第22話

 馬車が人工的に作られた美しい庭園を通り過ぎたとき、ロイが突然降りると言い出した。

 「俺は気分転換がしたいだけだ。イアンはこのまま乗っていけばいい」とロイは言ったが、イアンも一緒に馬車を降りることにした。

 一つは主人であるロイを宮廷内とはいえ、一人で歩かせるわけにはいかなかったから。もう一つは、馬車の中ではロイの出す雰囲気が怖く、先ほど庇ってくれたお礼が言えなかったからだ。

 林の入り口で、御者はロイとイアンをおろす。日が落ちて薄暗い小道を二人並んで歩いた。

 宮廷の庭園とは違い、離宮に続く林は手入れされていない。それは単純に放って置かれているだけだったが、心を落ち着かせるなら、自然に任された林の方がいい。イアンは勝手にそう思っていたが、ロイもそれは同じようで、林に入って数分後にロイを盗み見ると、目の中にあった険がとれていた。

 イアンはお礼を言うなら今のうちかなと思い、

 「ロ、ロイさっきの……」

 と話しかけたとき、ロイが被せるように

 「俺のことは気にするな」

 と言った。

 「え?」

 イアンは何の話かわからない。自分はほとんど何もしゃべっていないし、ロイの『気にするな』は、何をさしているか不明だった。

 「俺は公式行事なんて大っ嫌いだが、お前が聖闘技祭せいとうぎさいに出るためなら出席しよう」

 「ちょ、ちょっと、それはどういう……?」

 「え? 聖闘技祭せいとうぎさいに出たいって話じゃないのか?」

 ロイはロイで全く別のことを考えていたようだ。イアンはお礼を言いたかっただけなのだが、聖闘技祭せいとうぎさいの話の方が気になってしまった。

 「え、お、俺が出るの?」

 「ここにはお前しかいないだろう。イアンなら十分勝てる見込みがある。さっきのセオドアとか言ったか? あいつを合法的にボコボコにできるいい機会じゃないか」

 ロイの過激な発言に、イアンは苦言を呈する。

 「い、いや、俺には無理だよ………俺が出ても、ただの恥晒しになっちゃうって」

 聖闘技祭せいとうぎさいは腕っぷしに自信がある騎士しか出ない。そんな中オメガの貧弱騎士が出たら、主人であるロイの評判も下がってしまう。イアンの出場を止めはしても、薦めるなんて、普通の王族ならしないことだ。

 「なんでそんなことを言う? しっかり鍛錬も積んでるんだ。恥晒しになるわけがない」

 なのにロイは、イアンが負けることなんて一切考えていない。剣術の能力もわからないのに。

 「ロ、ロイは……どうして俺をそんなに高く評価してくれるの?」

 イアンは震える声で、ロイに問う。聖闘技祭せいとうぎさいの件だけじゃない。今日だって、ロイは自分より強いアルファのセオドアに、「俺の近衛騎士の方が優秀だ」とはっきり言った。ついこの間も、子供ができない体なのに「お前は魅力的だ」なんて囁いて……ロイは自分に過大すぎる評価をしてくれる。それが不思議でしかたなかった。

 「俺はオメガだ。普通は……聖闘技祭せいとうぎさいに出そうなんて考えない。なのになんで……」

 パキッと足元の小枝を折る。小川のせせらぎが、だんだんと大きくなった。

 「なんでって……それはずっとお前をそばで見てきたからだ。誰よりも鍛錬を頑張っているお前をな。別に高く評価したわけじゃない。客観的な意見だ」

 もう一本、枝を折ろうとしていた足が止まった。

 「そうは言っても、聖闘技祭せいとうぎさいに出すなら、セオドアみたいな騎士の方が良いでしょ?」

 どうしてそんなことを言ったのか、イアンは自分でもわからなかった。アルファで優秀なセオドアの方が、聖闘技祭せいとうぎさいへ参加するのに適している。そんな当たり前のことを聞いて、自分は何がしたいのだろう。

 しかしロイは、想定外の返事をする。

 「はぁ? そんなわけないだろ」

 「えっ」

 前から聞こえてきた声に、イアンは顔を上げる。

 ロイは先に小さな石橋を渡っており、橋の盛り上がった場所でこちらを振り返っていた。後ろからさす半月の後光が眩しくて、イアンは目を細める。

 「セオドアみたいな、強いだけの騎士ならごまんといる。でもお前は違う。ちゃんと自分の中に芯があって、己に恥じない生き方をしている」

 ロイはそう言うと、石橋を少し降り、イアンの方へ近づいてくる。

 「それに、俺を十年守ってきたのは誰だ? セオドアか?……違うだろ。俺を守ってきたのはイアンだ。イアン以外、誰もいない……」

 一瞬、ロイは何か迷うように口を閉ざす。けれど意を決したように口を開き、イアンの頭に手をのせた。

 「だから他の騎士なんていらない。俺はお前だけいればいい」

 「……っ!」

 イアンはぼっと顔が熱くなった。ロイは暗闇でよく見えていないのか、イアンの変化には気づかず、癖毛の頭を撫でる。

 「それにしても……急にどうした? まさかセオドアに嫉妬したのか? 俺がお前より、アルファの騎士を選ぶんじゃないかって」

 「えっ!? あ、え、いや」

 図星だった。イアンは嫉妬している自覚は無かったけれど、ロイが他の騎士の方がいいと言ったら……暗く沈んだ気持ちになっただろう。

 ——ロイの近衛騎士は自分だけでありたい。

 清く正しい忠誠心と表すには、私情が入りすぎていた。

 「安心しろ。俺はお前以外、誰にも近衛騎士には認めない」

 ロイの発言に、しゅわしゅわと胸の辺りで泡が弾ける。前までなら、他に騎士を見つけて欲しいとさえ思っていた。自分が辞めるのに、楽だからと。

 (でももう……そんなの言えない……)

 イアンは気づいてしまった。自分の中で新たに芽吹いた、甘く切ない熱情に。それは初めて自覚したものだったが、これがどういう類の物なのかは、知っている。

 恋だ。どうしようもなく恋だ。

 「そ、そっか……」

 新たに生まれた感情に全ての意識を持っていかれ、イアンはあやふやに言葉を絞り出すので精一杯だった。

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