第21話

 騎士団本部前のロータリーに馬車を止めると、ノアの従者が待っていた。従者は団長室まで案内してくれるらしい。イアンは団長室がどこか知っていたが、何も言わずに、ロイの斜め後ろに控えながらついていった。

 従者は正面玄関すぐの階段を登り、三階につくと、重厚な赤いカーペットの敷かれた廊下を進み、扉をノックする。

 「ノア様。ロイ様をお連れしました」

 「ああ。ありがとう。入って大丈夫だよ」

 返ってきた丁寧な物言いは、教授室に入るときのロイとは大違いだった。ロイは返事が全て聞こえる前に、扉を開けて中に入る。イアンも後に続いて部屋に入ると、甘い香りが鼻腔をかすめた。それは花やお菓子の甘さではなく、フェロモン特有の芳しい刺激。イアンは香りの主が座る、格調高そうなデスクに目を向けた。

 イアンがノアに直接会うのは数年ぶり。神が丹精に作られた美貌は衰えるどころか、壮年期に入り艶っぽさが増していた。

 後ろに縛った長いブロンドの髪も、優しさが滲み出ている瞳も、ロイには無いものだ。しかしウェーブのかかった緩い癖毛と、赤い虹彩だけは、異母兄弟であることを感じさせた。

 「やあ、ロイ久しぶり。よかったらそこに」

 「要件はなんだ」

 棘のある言い方に、ノアの左側にいる近衛騎士が眉を潜める。黒髪を短く刈り込んだ彼は非常に体格がよく、華奢なイアンより数倍強そうだ。

 (もしかしたら……アルファかな?)

 確証はなかったが、ノア一人にしては匂いが強い気がする。イアンがじっと見ていたら、冷たく睨まれたので、慌ててノアへ視線を戻した。

 「何か急いでいるのかな? ゆっくりお茶でもしたかったんだけど……」

 「そうだ。急いでるんだ。だから、なんで呼び出したのか早く教えてくれ」

 ロイの態度に、ますますノアの近衞騎士は、眉間の彫りを深くする。イアンもロイを嗜めたいが、ノアがいる前だ。普段通り接するわけにも行かないので、ことの成り行きを見守るしかなかった。

 「あ、じゃあ最近の研究はどう? 魔花まか加工理論はこの国の宝だからね」

 「守秘義務がある。何も言えない」

 「ふーん。それは残念だ」

 あまりにもそっけない返事に、ノアの目が一気に冷める。

 イアンはこの落差が苦手だった。表と裏があるような感じ。口では「君は優秀らしいね、期待の星だ」と言いながら、第三王子の近衛騎士に配属を決めたのはノアだ。それならまだ、わかりやすく不機嫌になるロイの方がいい。

 「じゃあ、そちらの彼は……イアン君だっけ?」

 「イアンは関係ないだろう」

 「ロイには聞いてないよ」

 心の内で悪いことを考えていたのが、気づかれてしまったのだろうか。矛先が急に自分に向き、イアンは背中に冷や汗が出る。

 「君はオメガの近衛騎士だっけ? なんで軍服を着ていないの?」

 騎士団本部に来るとわかっていたらちゃんと着てきた。などと言えるわけもなく、イアンは騎士団指定のシャツに厚手のカーディガンという格好を後悔した。

 「申し訳ございません。重い軍服のジャケットでは何かあった際に咄嗟に動けない可能性がありましたので、本日は通常護衛任務ということもあり、軽装で職務に勤めておりました」

 それは半分嘘で半分本当だった。オメガの体では、重い軍服は邪魔でしかない。身軽な方がレイピアを早く振れる。けれど咄嗟のときに動けないほどではない。着ていても業務に支障はないが、イアンは肩が凝るので、あまり着ることはなかった。

 「ああ、全然気にしないで。ただ僕は心配で……」

 ノア様は組んだ指に顎を乗せ、憂うような表情をする。

 「軍服も着れない人間が、弟の近衛騎士っていうのはねぇ……どう思うセオドア?」

 「そうですね。ロイ様をお守りするにはオメガでは難しいかと」

 セオドアと呼ばれた近衛騎士は、ふっと鼻で笑って答えた。

 イアンは事実なので、口をつぐむ。その様子に、セオドアは続けざまに

 「彼はベータのときは優秀だったかもしれませんが、いまはお飾りの近衛騎士。他に適任がいます」

 と言葉で刺してきた。隣のノアは同意するように頷く。

 正論すぎて、イアンも同じように頷きそうになった。だから言われたことに傷つきもしなければ、怒りも湧かない。早くこの時間が終わらないかな……と虚無を見つめていたら、斜め前から予想外の声が聞こえてきた。

 「セオドア……お前は馬鹿だ」

 「……はい?」

 イアンは驚いて、斜め前のロイに目をむける。よく見ると、ロイの拳は震えていた。とてつもない激情を抑えるかのように。

 「いまの立ち姿、体幹が傾いている。イアンもジャックもそんな汚い立ち方はしない。アルファだからと己の能力に傲って、鍛錬を怠っている馬鹿の証拠だ」

 「なっ!」

 セオドアの顔は怒りで真っ赤だが、ロイはなおも続ける。

 「そうやってすぐに感情的になるのもよくないな。イアンは目上の相手にそんな失礼な態度は取らない。どう考えても、俺の近衛騎士の方が優秀だ」

 今度はノアの方に顔をむけ、

 「イアンは十年前から俺の護衛をしている。その間俺は何度も身の危険を感じたが……こうして生きているのはイアンのおかげだ。俺はこいつ以外近衛騎士は認めない。お前がなんと言おうとな」

 と強く言い放った。

 ノアもセオドアも目を見開いている。でも一番呆けた顔をしていたのはイアンだろう。

 (いま、ロイは庇ってくれた? 俺のために?)

 やっと事態が飲み込めると、イアンは全身が痺れるのを感じた。なぜならそれは、ロイにとって怒りを表すほどの価値が、イアンにはあるということだから。ぴりぴりと嬉しさが伝播していく。緩い電流が体を巡り、頬に熱を集めた。

 「そっかそっか……ロイはそんなにイアン君が大事なのか……」

 一方ノアは寒気がする笑顔を浮かべ、一枚の紙をロイの前まで持ってくる。

 「これは今年の聖闘技祭せいとうぎさいの要項だ。そこまで言うなら、ぜひ出てほしいな」

 「今日の要件はこれか。さっさと渡せばいいものを」

 ロイはノアから紙を奪うと「帰るぞ」と言って扉に向かう。

 「あ、ま、待って!」

 イアンは敬語を使うのも忘れ、先に部屋を出たロイの後を追いかける。騎士団長室の扉に手をかけたとき、ふと、違和感とでもいうのか、イアンの何かが、足を止めさせた。

 「………?」

 根拠のない直感が働く。ばっと後ろを振り向くと、ノアが妖艶な笑みを浮かべていた。

 「どうしたの? イアン君。ロイはもう行ってしまったよ?」

 「あ、いえ……なんでもありません」

 言外に早く出ていけとにおわされ、急いで部屋を出る。イアンはこのとき、ノアに感じた違和感を、特に気に留めなかった。しかし真剣に原因を突き詰めていたら——この先の運命は違ったかもしれない。






 二人が去った団長室は静けさに包まれる。ノアは椅子を窓側に向け、ロイとイアンが乗った馬車が出ていくのを見送った。

 「やっぱり僕の予想通りだったね」

 静寂を破ったノアの発言に、セオドアが頷く。

 「しかし、どうしてあのオメガを気に入っているんでしょうか? 理由がわかりません」

 「さぁね。でもイアン君のために頑張っていることは確実だ」

 セオドアの疑問はもっともだが、ノアにとって、理由はさほど大事ではなかった。イアンを大切に思っている、という事実が重要なのだ。

 研究も、抑制剤を飲むのも、全てはあのオメガのため。

 ロイが大学にいるときはノアは手出しができなかった。そのため、今日は一種の賭けだったが、向こうは全く気づいていないようで安心した。

 「一応、聖闘技祭せいとうぎさいでイアン君の実力を見てから判断するけど……今日仕掛けた『おもちゃ』が作動したら、いつでも行けるようにしておいてね。一瞬しか無いから、ある程度探ってくれればいい」

 「はっ、かしこまりました」

 ノアは夕闇の沈む空を眺め、思案に耽る。今度の聖闘技祭せいとうぎさいを逃したら、次はないかもしれない。自分のためにも、世の中のためにも、絶対に成功させなければならなかった。

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