第8話
「そういえばさっきの会話少し聞こえちゃったけど、イアン君ここを辞めるの?」
報告が終わったらすぐに研究室へ戻るオリヴァーが、珍しく教授室に残っている。何かと思えば、先ほどの会話が気になったらしい。
大事な被験体がいなくなるのが嫌なのだろう。ロイは安心させるように
「研究には協力すると言ってた。ただ、近衛騎士は辞めて運命の番を探したいらしい」
と教えた。
イアンが運命の番を探したいと言った時、ロイはとうとう全てを打ち明けなければならないと、頭ではわかっていた。
お前をオメガに堕としたのも、あの日襲ったのも、この俺だと。
でも、どうしても言えなかった。
(あいつは覚えていないし、話したところで何も解決しない。無暗に傷つけるだけなら、黙っておこう)
イアンから離れないための醜い言い訳なら、いくらでも思いついた。
(ひどい執着。お前はいつまでイアンを騙し続けるんだ?)
(いやでも、性転換薬が完成したら全て無かったことにできるかもしれない)
(それは望み薄だろう? 今日の実験結果をちゃんと見たのか?)
正論を語る自分に、いや、でも、を繰り返す。ぐるぐると落ちていく精神を表層に持ってきたのは、オリヴァーの忖度ない発言だった。
「なんだぁ〜よかった! とうとう君の元で働くのが嫌になったのかと思ったよ!」
「……はぁ?」
「いやぁ〜これで安心安心」
オリヴァーは一人納得したように笑顔を浮かべ、研究室に戻ろうときびすを返す。
ロイは慌ててオリヴァーの白衣を掴んだ。
「は!? ちょっと待て、どうしてイアンが俺の元で働くのが嫌になるんだ!?」
たしかにロイはイアンをオメガに堕とした極悪人かもしれない。その上強姦未遂までしている最低な人間だ。やばいやつという自覚はある。
でもイアンはまだ真実を知らない。なのに嫌われる理由が、ロイには一つも思い浮かばなかった。
オリヴァーは『なんでわからないの?』とでもいうように首を傾げると、
「えー? だってロイって、我がままで、人使いが荒くて、しかも汚らしいじゃん? もし僕だったら今すぐ辞めてるね」
と言った。
……我がままで?
……人使いが荒くて?
…………汚らしいじゃん?
ロイは見えない刃物で、グサッ、グサッ、グサッと三回刺される。通り魔に遭った気分だった。血は流れていなくても、瀕死寸前。なにより最悪なのは、オリヴァーの意見は客観的なこと。第三王子だからといってへつらわないのはいいが、言葉選びが直球すぎた。
「ま、待て、そ、そんなはずは……!!」
ロイは一方的にやられた傷をふさぐため、反論となるデータがないか、己の脳内を振り返る。
(イアンにはそこまで我がままを……言ってるな。退職届を受け取らずに跳ね返し、あいつが一生懸命考えたであろう理想を、否定して傷つけた)
心臓が、嫌な音をたて始める。
(いやいや、他にいい面があるはずだ。主人として近衛騎士を大事にしたり……しているか? 話しを聞かずに無理やり帰らせたのに?)
ロイは他にいい面はないかと振り返るけれども、傷は塞がるどころか広がっていく。初めて自覚した我がままっぷりに、冷や汗が出た。
「くそっ、なんてことだ!!」
悔しさのあまり、デスクを強く叩く。
研究に熱中するあまり、イアンに嫌われてるかもなんて考えたこともなかった。イアンの体をベータの頃に元に戻すことが最善だと。それがイアンのためにしてやれる唯一の罪滅ぼしだと。信じて疑わなかった。
(馬鹿か自分は。これじゃあイアンが運命の番だなんてよくわからん相手にすがってまで、退職の話を持ち出すのも当然だ!!)
「なぁオリヴァー!! 俺はどうしたらいい!? どうしたらイアンに嫌われない!?」
ロイは必死の形相でオリヴァーの両肩を掴み、大きくゆする。
「え? な、何? 嫌われたくないの?」
「当たり前だろ!!」
「え? じゃ、じゃあ……とりあえず見た目綺麗にしたら?」
オリヴァーがロイの着ている汚い白衣を指差す。
たしかに。見た目だけならすぐに変えられる。幸い大学にはシャワールームもあるし、綺麗な服も二、三着予備があったはずだ。
「でも、この髪は……」
ロイは無造作に暴れてる黒髪を掴む。
こいつをどうにかしないと、他を綺麗にしても意味がない。普段ならジャックに切らせるのだが、護衛のイアンがいないと離宮には戻れなかった。
(だとしたら他に任せるしか……)
ロイはきょとんとしたオリヴァーに目をむける。白衣の袖から伸びる手は、研究で使う
「そうだ! お
「え!? それとこれとは違うでしょ!」
「お前にしか頼めん! お願いだ。俺の髪を切ってくれ!!」
ええーと嫌がるオリヴァーに、ロイは滅多に下げない頭を下げて懇願する。それほどまでに、イアンに嫌われたくない気持ちは強かった。
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