第3話

 二年前の冬。初雪が降った日に、イアンは二十一歳になった。

 そして、初めての発情期ヒートを迎えた。

 二十歳まではベータとして宮廷騎士隊に所属し、第三王子ロイ・ガーテリアの近衛騎士をしていたはずなのに、一夜にして変わってしまった体に吐き気がしたのを憶えている。

 「ここは離宮です。二日ほど目を覚まさず、記憶にも混乱があるようで……」

 ロイの執事であるジャックの話を、イアンはベッドの中で呆然と聞く。

 彼曰かれいわくフードを目深に被った謎の人物が、オメガのフェロモンを撒き散らすイアンを宮廷内の離宮まで運んできたらしい。その人は「騎士団本部の修練場倉庫にいた」とだけ言うとすぐに馬で駆けてしまった、とのことだった。

 すでにロイは事情を知っており、今は大学に行っていると言う。

 イアンは彼の話を聞きながら記憶を辿ったが、思い出せたのは甘ったるい香りと身体が焼けそうな熱。暗闇の中、誰かに押し倒されながらも、じんわりと満たされる高揚感を感じたことだった。

 『後天性オメガ』

 新たにイアンにつけられた性別は、文献でしか見たことのない症例だった。

 「俺は、いつまで……ここにいていいんですか?」

 騎士団に居場所はない。主人であるロイも、オメガだとわかればすぐに追い出すはずだ。

 この先の身の振り方を考えるだけで、イアンは目の前が真っ暗になった。

 「それが……ロイ様は引き続き、あなたに近衛騎士をしてほしいと」

 「え?」

 そのとき、いるはずのない彼の姿が見えた気がした。

 緩くウェーブのかかった黒髪をかきむしり、ルビーのように輝く瞳を釣り上げ

 『たく、面倒かけさせやがって……』

 と言ってイアンより三歳年下の彼は、端正な顔を歪ませる。

 「研究にも協力して欲しいとも。後天性オメガは数少ない症例ですので……」

 「え、で、でも、そんな!」 

 イアンは言葉を詰まらせる。オメガの近衛騎士なんて絶対に役に立たない。なのに、どうして……

 『これで、借りは返したからな』

 また、ここにはいない彼の声が聞こえる。

 突き放すように言ってはいても、本当に困っていたら放っておけない彼の優しさが、胸を締め付けた。

 昔はイアンの方がロイを助けていたとは言っても、これではどう考えても釣り合わない。

 (……今は……君の誠実さが、すごく痛いよ)

 イアンは腕で顔を覆い、ベッドの中で静かに泣く。

 嗚咽で震える体は慣れ親しんでいたはずなのに、今は未知の生物のようだった。

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