第2話

 今日だけは技術の進歩が憎い。

 イアンは『王立ミネルヴァ魔花大学』と書かれた古めかしい鉄柵の門を、恨めしげに見上げる。左頬に貼られた真珠葉パールリーフのガーゼは、ひんやりと冷たかった。

 真珠葉パールリーフのガーゼは、幻をも実現する特別な力を持った植物『魔花まか』が使われた魔花加工品まかかこうひんの一つだ。

 魔術も魔法も使えない人間種がほとんどを占めるガーテリア王国では、魔花加工品まかかこうひんは大事な外交資源であり、日々改良しようと研究開発が押し進められている。おかげで残って欲しいと思った打撲痕は、明日には治ってしまうだろう。

 「はぁ……」

 イアンは沈鬱なため息をこぼす。門兵に身体検査を受け、石造の尖った塔がそびえ立つ校内へ足を踏み入れる。とある教授室まで向かう薄暗い廊下を歩いていると、汚れ一つない白衣を着た青年たちが、前からやってきた。

 「なぁ、この後の第4西塔の307教室ってどこ?」

 「あー、えっと確か大時計の……」

 九月に入ったばかりの新入生だろう。彼らが古城のような——実際一昔前の戦乱では城として使われていたらしい——広大な敷地に困惑しているのを尻目に、イアンは足早にすれ違った。

 本当は助けてあげたかったが、新入生にはよく絡まれる。今は急いでるのもあって、面倒事は避けたかった。

 ここに来る者のほとんどは爵位も継げず、騎士団入りも拒否し、渋々学者になりにきた貴族の次男や三男だ。彼らは平民出身の者に絡んだりするが、イアンは伯爵家の次男。同じ立場のはずなのに、イアンは虐げられる側だった。

 「ねぇ、見た? あいつ、灰簾蔦タンザナイビーのチョーカーをつけてたぜ」

 「しっ、あの人はロイ様の近衛騎士ロイヤル・ガードだ。下手なこと言うと卒業に響くぞ」

 「え? でもオメガで近衛騎士ロイヤル・ガードなんて無理だろ?」

 隠す気もない陰口に、イアンは心の中で『俺もそう思うよ』と同意した。

 人間種は第二次性徴期に、男女の性以外にも三つの性にわかれる。

 平均的な能力を持つ『ベータ』、優れた才能を持つ支配階級の『アルファ』、卑しい香りで人を惑わす『オメガ』。

 オメガは男性でも子宮を持つため、中性的で筋肉がつきにくい。ゆえに騎士職など身体能力が物を言う世界にはいなかった。

 イアンは校内を歩きながら、窓ガラスに映る自分の姿をちらっと見る。

 たしかにシャツの襟からは、フェロモン抑制効果を持つ灰簾蔦タンザナイビーで染められたチョーカーが顔を覗かせている。

 それはオメガの証であったが、でも身に着けているのはチョーカーだけじゃない。

 騎士としてレイピアも帯刀していれば、ガーテリア王国騎士団の紋章が入ったシャツも着ている。なのに大半の人間は紫紺のチョーカー以外目に入らない。

 (そんなもんだろうな)

 イアンは片手で首を絞めるようにチョーカーを撫でた。

 惨めだと思ったことが無いと言ったらそれは嘘だ。首を絞める触り方は、あの日から癖になっている。

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