第3話 寒い、お腹が空いた
この不況の中、働く先などそうそう見つからず、近年の異常気象や水用生物の大量死など、食べ物の物価が高く、重税で家賃も高いし、着る服や日用品も冷戦の影響で滞っていた。
つまりこのままでは確実に死ぬ。
私は着ていたドレスや髪飾り、ネックレス、指輪、身につけていたものを売って、代わりに買った質素なワンピースと侍女にもらった外套で寒さを凌ぎ、食べ物やホテル代に回した。
だがとうとう、ホテルに泊まるお金をその日食べるパンに回さなければならないほど切り詰めなければならない時が来た。
侍女にもらった外套も売った。
街を行き交う人々は、みんなどこか虚だった。
一つのパンを三人で分け合う子供たち、薄い服で体をさする商売人、袖から骨のように細い腕を垂らす青年。みんな……生きているけれど……死にたくないからこうしてるんじゃない。生きているから、必要最低限を更新し続けて、考えることをせずに、ただその日のパンにありついている。どうして、なんで、そんなことを顔も知らない、声も届かない王や貴族に言ったってしょうがない。そんな諦めきった街だった。ここにいると、貴族だった頃の自分を思い出した。私は、こんなふうに毎日を生きたくなかったからあの場所から出たんだ。でもここで暮らしている人たちと私は、一体何が違うんだろう。
私は王都を出ることを決めた。
ここにいても職はない。食べるものも、お金も、尽きていくだけ。
城下町のはずれにでた。
年老いた老人が私を見て言った。
「この先はスラム街だよ……」
女性なのか男性なのかもわからなかったが、痩せてしゃがれている声だった。
「ええ。私はその先の農村部に行きたいので、ここを突っ切るのが近道ですから」
「無法地帯だ。人は簡単に死に、警務部もないから助けてくれる人もいない」
「ここと同じ、ですね」
「……国王は何を考えてるんだろうね。創世の魔法使いが五人集い、その五人が認めた王が民に手を差し伸べて初めて、この国は豊かになるというのに。この国が所有している創世の魔法使いは……『魔力操作』ただ一人。情けない話だよ」
創世の魔法使いとは、国史の授業でたびたび耳にする言葉で、彼らは世界を変えうる力を持ち、元々干魃で痩せた土地だったウィチェリーの土地を潤す『開花』、曇り空が続く空に光を差し込ませる『天候操作』、傷ついた人を癒やす『再生』、人々が争わない不戦を誓う『記憶操作』、潤沢な魔力の源『魔力操作』、魔法使いとして最強とも言える魔法を持つ5人の魔法使いを指していた。
強い魔力を持つ時代、それは当然貴族の中から生まれ、彼らは国のために力を使い、繁栄と安寧のために国が彼らを所有し、国は安泰とされていた。
だが今国が所有しているのは一人だけ。これでは国はバランスが取れず、今まさに崩壊を迎えようとしている。天災もこの飢餓もその始まりに過ぎないのだろう。
私は、侍女から貰った外套を売って買った最後のパンを老人の膝に置いた。
「だからこそ私たちは、自分たちで立ち上がらないといけないんです。上は頼りないんですもの。私には今できることは何もないけど、やっと自由になれたから。今はいけるところまで行ってきます」
「……この先は今3つのマフィアが縄張り争うをしているそうだよ。気をつけるんだね」
「はい。お元気で」
私はそれからしばらく歩いた。道はあるが、雑草や苔で歩きにくい道もあった気がする。進んだ道を振り返ることはしなかった。
道中空を見上げることもしていなかった。
ただ道なりにまっすぐに歩いていた。
なんの期待も不安もなかったが、最後に歩いたヴィブレスト家の廊下を歩くときより、はるかに足取りは重かった。
体も気だるいし、お腹は空いているのかどうかすらわからなかった。
フラフラと歩いていたが、しばらくして高い建物が増えてきた。
スラム街は警備隊もいないので叫び声を上げても殺されるだけ。
子供は人身売買のバイヤーに攫われ、若い女は体を売り、男はマフィアとして簡単に人を殺す。同じ国の人間でも奴らを人と思ってはならない。社会科の先生はそう言っていた。
突如なる発砲音。人の悲鳴。
私はとんでもないところに来てしまったかもしれない。
心臓がいくつあっても足りない。
足が震える。
薄い古着と髪と顔を汚れた布で覆っても、まるで戦争地帯を真っ裸で出歩いてるように心許なかった。
スラム街に入ったばかりの時はそうだった。
でも中心に近づいていくうちにその印象はガラリと変わった。
スカートを翻して駆け回る子供たち。活気付いた店が並び、人の行き来が激しい。
私より手や足を露出した女の子たちが「今日はあの店に行こうよ!」と楽しげに話している。
「安くするよー!」と言う定員の太い声。
私は一体何に怯えていたのだろう。
ここは……私の知らない世界だった。
布を纏っている方が目立つ気がして、私は頭の布を取る。
ここは、スラム街なんかじゃない。立派な街だ。
ここは王都より栄えている。
パンも野菜の値段も、あそことは比べものにならないほど安い。
服屋の生地も常套だ。
スラム街は貧民の集落で、そこで生まれたマフィアが不当な商売をしている。彼らは王都で落ちぶれた貴族や、魔力の持たないものばかり。そう聞いていた。私が知っていることなど、現実とは程遠いものだった。
「あら!嬢ちゃんガリガリじゃない!」
私は膨よかな体型の女性に背中を叩かれる。
「今向こうの教会で炊き出しをやってるから、行ってきなさい!美味しいわよ!」
そう指差す方には、人の賑わいと空へと伸びる煙があった。
「ご丁寧に……ありがとうございます」
私は一例して言われた通りの方へ歩いた。
近づくと、皿に盛ったスープでみんな暖をとっていた。街灯と焚き火の光でよく分かったが、私のような薄汚れた服装をしている人はいなかった。
王都の城下町では、これが普通だったのに、こっちでは浮いてしまうわね。
一人のシスターが私の元へ駆け寄り、「どうぞ」と素敵な笑顔で私にスープとパンを手渡した。
「熱いから火傷しないようにね」
本当に温かい。
「ありがとうございます」
私は建物に寄りかかって、スープをスプーンに掬って一口食べた。
温かい。美味しい。
私これが今日の最初のご飯だ。
もう空は星空しかなかったが、ここは王都より空が建物で見にくかった。
一人の少年が私の前で歩みを止めた。
私を見て、驚いているようだった。
その少年は心配そうに私の前で跪き、私の頭を撫でた。
「なんで泣いてんの……?」
当然のように助け合っているから。私みたいに何も生み出せない、ただのワガママな娘にも親切にしてくれるから。私もこんな風に優しい社会を作りたかった。
アラン殿下、あなたにその情熱が無く、自分の魔力のなさに悲観して私と距離をとっていたとしても、今の私だったらそんなものと笑って許せただろう。
なんで王都はあんなに貧しくなってしまったの。私が子供の頃はまだ店も人も活気付いていた。このスラム街よりも。
なんでこんなに美味しいの。あの老人に言ってあげたい。踏み出す勇気さえあれば、あなたにも。
「ご飯が……温かいから……」
私がそういうと少年は自分が来ていた外套を私にかけた。
「ここら辺じゃ見ない顔だな。もしかして家出?」
なんでわかるんだろう。
「あれ、当たり?ご飯食べたら教会に泊めてもらいなよ。あそこ布団たくさんあるから。そんで朝になったら家に帰りな。いいな」
私と同じくらいの年の男の子。私の頭に手を置き、諭すようにそう言った。
「うん」
私には帰る場所などとうにない。それでもそう言って笑った。
少年は立ち上がり、「じゃ」と言って走り去って行った。
ここにならあるかな。働ける場所。ここでならできるかな。自立することが。
ここでなら見つかるかな。やりたいこと。
明日、夜が明けたら探してみよう。
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