第2話  もう何もかもいらない!

「お前には失望した!!」


 久しぶりにお父様と話をした気がする。

 家では会わないように部屋の中だけでひっそりと生きていた。

 食事だって部屋で一人でとっていた。

 

 今日は帰ってすぐ、父と母と妹が仲良く食事しているところに通された。


「アラン殿下に婚約破棄を促すなど!お前は自分の立場を何一つ理解していない!!」


 久々の父の怒号は、本当にうるさかった。

 妹はその声に萎縮して、母は宥めるように父の手を握った。


「我が一族、ヴィブレスト家は五大公爵家の一角。かつて世界を収めた王家に嫁ぐとこの名誉。ヴィブレスト家は創世の魔法使いを輩出した栄光もある。お前は他の誰も手にすることができない幸せを全てその手に収められるのだぞ!!」


 創世の魔法使いとは、特に魔力の多い人間にしかできない固有魔法、『天候操作』『記憶操作』『開花魔法』『魔力操作』『再生魔法』の五つを指し、かつて魔法社会最盛期に現れ、国王に仕えた最強の五人が使っていたとされる魔法を使える魔法士のことである。

 我がヴィブレスト家は、その時から王家に忠誠を誓っており、かつ純血の血統であった。


「でしたらその栄光を、父上の娘にお与えください」


 父は顔を歪めた。

 妹はビクッと体を振るわせた。


「……この子は魔力を持たない……お前も知っているだろう」


 父と母が再婚してできたのが、妹だった。私の母は、私が小さい時に亡くなった。魔力の持たない母から生まれた妹には、純血も魔法もなかったが、私と違って親に愛されいた。好きな人に産ませた子供はさぞかし可愛いのだろう。政略結婚で生まれた私は、王家に媚びるための駒に過ぎなかった。


「私は本当にいらないのです。その栄光も、名誉も、何もかも」


「はあ……。名家の重圧に押し潰れるなど……お前はヴィブレスト家の家門に泥を塗るきか」


 重圧……?

 私……この家の重圧でこんなに息苦しいのかしら。

 だったら全てを捨ててしまいたい。

 私……多分甘いこと思っているわ。

 毎日のこの生活は、この家に生まれたこそ享受できたもの。食べるものに困らず、清潔な服を着て、病気の時は医師が見てくれて、それは平民にとって普通じゃない。でも私……なんでこんなにも何もいらないのかしら。

 そうだ。もう生きることに希望を見出せないからだ。


「私にとって、王家に嫁ぐことはなんの意味も持ちません。私にとってアラン殿下は王に足るとは到底思えないデグ。私にとってヴィブレスト家は過去の栄光に縋る時代錯誤な名家。私にとって父上は……財布以外の何者でもないですわ」


 父は手に持っていたグラスを床に叩きつけた。

 顔は憤怒一色。血管が千切れそうなほど浮き出ている。


「お前は親に向かって……!お前に必要なものを全て揃えた私に……!なんて口を聞くんだ!!」


「それは本当に私のためですか?」


「なんだと!?」


「私が嫁げばヴィブレスト家は安泰ですね。自分のため……の間違いですよね」


 父は怒りを通り越し、目を見開いてジッと私を見ていた。


「私がいなくなれば、あとは三人家族で仲良く暮らせる。あともう少しの我慢。それで父上は貴族として役目を果たし、あとはその子にいい結婚相手を見繕うだけ……ですかね。いいですね。きっと父上はそのために今まで頑張ってきたんでしょう。母と妹のために」


「お前などもう私の子ではない」


 とても冷たい声だった。

 先ほどまでとは打って変わり、押し出すように声を出していた。

 

「出て行け。今すぐに。もう顔も見せるな。お前は……なんて親不孝なんだ。お前に母親や妹のような優しさが少しでもあれば……」


 私は知らない。母とは数回しか話したことがない。妹には近づくなと父に言われていた。父はいつも一方的に決定事項を言われるだけ。私にそんなものを求めるなんてお門違いだ。


 でも私、これでもう……。


「親不孝でごめんなさい。でもお父様。私を自由にしてくれてありがとう。私、今日からはメイ・ヴィブレストとしてじゃなくて……ただのメイになるね」


 私は今までつっかえていたものが嘘のような、晴れ晴れとした気持ちになった。


 父は呆気取られたように、私の顔を見ていた。

 母と妹は、状況があまり理解できていないのか、ポカンとした様子だった。

 

 私は振り返って部屋を出た。長い廊下を玄関の方へ歩いていく。

 暗い廊下は、これからの当てのない旅への不安を助長するようだった。

 それでも足取りが軽かった。

 ずっと思っていた。生きていることに意味が見出せないと。

 与えられた役割を果たしていく中に、没頭できる何かに巡り会えなかった。

 ただ目の前のハードルを超えて、ご飯を食べて、眠って、死んでいるように生きていくことがつまらなかった。

 今死んでいい。眠るように死にたい。ずっとそう思っていた。

 

 でも私、今死にたくない。

 今死んだら、幽霊になってでも化けられる。

 私、ずっとこの日を待ち望んでいたんだ。


「お嬢様。本当にこれでよろしいのですか……?」


 侍女が心配そうに私にそう話しかけた。

 私は不安そうな彼女の背中を馬に鞭打つように強く叩いて励ましたい気分だった。


「ええ!だって初めて自分で選んで得たものですもの。この自由は!」


「……後から反抗期だったと言っても、おそらく旦那様はもう……」


「いいのよ。勘当よ?私、何も後悔していないわ!」


 侍女は心配そうな顔から呆れたように笑った。


「お嬢様……なんて清々しい顔で笑うんですか。そんなお顔初めて見ます。どんな高価なプレゼントだって、王子との婚約が決まった時だって、そんな顔していなかったのに」


「心から嬉しいのよ。じゃあ、私行くわ」


「はい。でも夜は冷えます。せめてこちらの外套を」


「ありがとう」


「いってらっしゃいませ。メイ様」


 父は後日離縁届を提出し、名実ともに私はヴィブレスト家から除籍となった。それに伴い、貴族の地位を剥奪された私は、必然的にアラン殿下との婚約が破棄となった。


 私がそれを知るのは少し後になったが、この時の私は街の方に歩みを進めた。

 息が白く見える寒空で、どこまでも飛んでいけるような足取りで、平民の私を歓迎してくれるような星々の夜空の下で、私はステップを踏みながら夜道を歩いた。



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