第36話 未知なる者

「……なるほど。状況は把握したわ。私たちは全く記憶にないけど……大変だったみたいね。お疲れ様」

 十夜近くに及んだ俺の長い冒険物語のダイジェストを聞いて、ヴィバリーは労いとも皮肉ともつかない微笑みを浮かべた。

「本当にあんたの作り話じゃないんだろうね、それ」

 からかうように言って、笑うアンナ。俺は「はは……」と力なく笑い返して、肩をすくめる。冗談なのはわかってるが、証明するものが何もないのも事実だ。まるで本当にただの夢だったような、落ち着かない感覚。

「嘘じゃない……変な感じ、消えた」

 俺をかばうように、ユージーンが言う。森を覆っていた時間魔術が消えたことが、こいつにはエルフの感覚でわかるのだろう。

「わかってるよ、そんなの。あんたも元気になったわけだし」

 アンナはそう言って、背負っていた大弓をユージーンに放り投げた。ユージーンはそれをぱっと受け取ると、一瞬のうちに素早く弦を張り直して、具合を確かめるようにぐいぐいと引っ張り始めた。その目つきはループ中のぼんやりした目とは打って変わって、鋭い狩人の目に戻っていた。


 ――俺たちは今、かつて砂塵騎士団が野営していた焚き火の跡地に腰を下ろして作戦会議をしている。

 コララディの最期を見て予想はしていたが、砂塵騎士団の男たちもまた森から姿を消していた。残されたのは彼らの装備と、白骨死体だけ(ちょうど俺の足元にある)。

 ヴィバリーによれば、時間魔術が解けた後は、歪められた時間が元に戻ろうとする力が働くのだという。つまり、ここでループしていた百年間、彼らはずっと「ここにいた」ことになったのだ。俺たちもあのまま十年二十年ループしていたら、今頃おっさんおばさんになっていたのかもしれない。

 一点だけありがたいのは、おっさんの小便臭かった俺の服から、どうやらおっさんの成分だけ風化して消えたらしいことだ。あのまま行軍するぐらいなら全裸の方がマシだった。

「……とにかく、これでアウラの城跡に出発できるわね。もっとも、足止めされていた記憶も私たちにはないのだけれど」

 ヴィバリーはそう言いながら、ぼろぼろの地図を広げる。その古びた地図は、砂塵騎士団とともにいた研究者の爺さんが遺していったものだ。昨夜はまだ綺麗な羊皮紙だったが、今は百年ぶん劣化してしまったらしく、判読も難しい。いや、そもそも俺にはこの世界の文字はまだ読めないんだが。

「この地図のおかげで、位置関係はほぼ把握できたわ。あとは……フユコと接触するだけ」

 その名前が出ると、アンナや俺たちの間にぴりっとした空気が流れる。状況はまったく違うが、少し昔を……あっちでただの高校生をしていた頃を思い出す。母親と他愛のない会話をしていても、冬子の名前が出た瞬間に空気が変わったものだ。

 だが、今の空気はそういう感情的な理由だけではない。魔術師狩りのプロとして、この未知の相手とどう相対するかをヴィバリーたちは真剣に考え始めていた。

「必要なのは魔術の正体か……どう手を出す? 全く予備知識なしってのは珍しいよね」

 アンナが肩をすくめて言う。きっといつもの『はぐれ』魔術師狩りでは、事前にそいつがどういう魔術師かわかっているケースが多いのだろう。サヴラダルナの時も、準備万端で臨んでいたようだし。

「まずは居場所を特定すること。城跡にいるという予測も、私の希望的観測に過ぎないわ。正確な位置を知り、なおかつこちらの存在を気づかせないこと。ユージーンに偵察をお願いしましょう」

 ヴィバリーの言葉を受けて、ユージーンが無言でうなづいた。

「でも……俺たちの存在に、あいつはもう気づいてるだろ。だからわざわざ夢に出てきたんだ」

 幻影城の玉座に座る冬子を思い出しながら、俺は苦い顔で言う。

「そうね。でも、こちらの動きを逐一把握してはいないはず。もしそうなら、とっくに手を打っているわ。あなたの話では、そのコララディとやらはフユコの指示で動いたわけではないんでしょう?」

「あ……ああ、そう言ってた。アウラの友達だとか。信じられるかどうか知らないけど」

 そう言いながら、俺は自分の言い方が必要以上に自信なさげになってしまったと感じる。三人に記憶がないせいで、余計にループ中のことが夢みたいに思えるのだ。まあ、コララディと話したのは実際に夢の中だったわけだが。

「信じていいと思うわ。彼女の時間魔術は、少なくとも百年前から動いていた。フユコの出現よりずっと前……それから今日まで一度も解かれていなかったわけだから」

「細かい話はもういいだろ。んで、ユージーンが偵察してる間こっちはどうすんのさ」

 俺とヴィバリーがあれこれ情報を分析しているうちに、業を煮やしたアンナが大鎚をぱたぱたと手で叩きながら横やりを入れる。

「そうね……私は別行動で周囲を調べておくわ。フユコの他にも魔術師がいないかどうか。アンナはここで待機しておいて。いつでも動けるように」

「あいよー」

 つまらなそうに口を尖らせつつも、肩をすくめて従うアンナ。

「俺は?」

「トーゴはユージーンと一緒に偵察に向かって。理由はわかるわね」

 いや、わからないが……そう言われると、何かしらわかってる風に答えなきゃいけない気がしてくる。

「えと……冬子を知ってるから、か?」

「そういうこと。彼女の様子を見ておいて。精神状態、健康状態、その他何か異常な点がないか。彼女が魔術を見出して、それを行使しているのなら、何かしらあなたの知る姿とは変わっているところがあるはず。そこから魔術の正体に近づけるかもしれない」

 異常な点と言われても、俺が知っている冬子はそもそも異常なのが当たり前だった。

 最後に見た、あいつの「普通」はいつだっただろう。中学に上がってすぐの時? それとも、小学校のどこかであいつは変わったのだろうか。表向き普通にしていただけで。

 ――もしかすると、最初からそんな時はなかったのかもしれない。冬子の心を、俺が本当に知れたことなんてあったのだろうか。俺がゲームしている隣で無邪気に笑っていた子供は、本当に冬子だったのだろうか。

「……トーゴ?」

 ヴィバリーの声で、はっと我に帰る。

「ああ、大丈夫。冬子の様子を見ればいいんだろ。大丈夫だ」

 大丈夫大丈夫と、繰り返し言うほど大丈夫じゃないのが露呈してる気がする。

 自分で思ってた以上に、俺は冬子との接近に動揺しているらしい。夢の中で会った時でさえ、まともな受け答えなんてできなかったのに。直接顔を合わせて自分が何を思うのか、予想もつかない。

 話したい、謝りたいと思っている気持ちの陰に、とてつもなく大きな恐怖が隠れている。罪への恐怖。死への恐怖。冬子の背中を刺した時もこんな風に、自分の中の得体の知れない恐怖に突き動かされていた。自分がまた同じことをしないと言い切れるだろうか?

 まだぼんやりしている俺に、ヴィバリーは最近しまわれっぱなしだった黒の兜を取り出して放り投げてきた。

「今すべきことは偵察よ。あなたの妹を殺すわけじゃない。考えすぎないで。あなたは私の指示を聞いて、従っていればいい」

「……言いなりになれって言ってるみたいだな」

 兜を頭にはめつつ、そうこぼす俺。ループの中でヴィバリーの失敗や汚さを見てしまったせいか、上からの物言いに少し反抗的な気持ちになっていた。

「入団する時にそう言わなかったかしら。騎士として行動する時には、己の心はどこかに置いていきなさい。その方が身軽になれる。その方が、鋭くなれる。生き抜くにはその二つで十分よ」

「生き抜く……か」

 ただ生き抜くだけなら、そもそも俺はここまで来る必要はなかった。危険を冒してヴィバリーたちについてきたのは、冬子と会うことに何か意味があると思ったからだ。ただ生き汚く生き残るだけじゃなく……何かできると思ったはずじゃないのか。

 そんな俺の迷いを察したのか、ヴィバリーは俺に背を向けて歩き出しながら、ぽつりと言った。

「妹のために、死にたいわけじゃないんでしょう?」

 ――この女は。俺が無意識に避けていた問いを、あっさり見透かして口にする。

 わかってる。危険を冒してきたと言っても、死にたいわけじゃない……もし冬子の命と俺の命を天秤にかけるようなことになったら、俺はまだ自分の命を捨てられないままなんだ。ついさっき、迷いもなくコララディを殺したように。

「…………行こう」

 俺はヴィバリーの問いには答えないまま、立ち上がってユージーンに声をかけた。ユージーンは変わらない冷めた優しい目で俺を見て、うなづいた。

 そんな俺たちを、アンナはなんとも言えない神妙な顔でじっと見ていた。優しいけれど、断絶のある目。俺と冬子の母親と同じ目だった。

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