番外編 ゆめみるもの

 私はずっと夢みていた。

 そんなの無駄だと言われたって。私はずっと夢みていた。

 何かが起こる日を。何かが変わる日を。世界の扉が開く日を。

 私はずっと夢みていた。


「冬子、今日はどう?」

 口だけ笑って、目は恐る恐る、お母さんが言う。

 私は申し訳なさそうな顔を作って、心は冷たいまま、

「……ごめん」

 と言う。何を謝ってるのかわからないまま。自分が悪いと思えないまま。ただ、お母さんに申し訳ないと思ってはいるのだけど。それ以上の何をできるのか、何をしたいのか、全然わからないまま。


 部屋に戻って、本を広げる。だいたい、もう読んでしまった本だ。ぼろぼろの、子供の頃の本。カバーを裏返しにしたやつは、学校で読んでた本。あ、図書館から借りっぱなしのもある。死ぬまでには返さなきゃ。

 広げる、っていうのは、読むって意味ではなくて、文字どおり広げておくこと。ベッドの上に、好きな本の好きなページを開いて、クリップではさんで、何冊も、囲むように広げておく。

 そして、本と本の間でじっと横たわる。時々、文字を目で追って。頭のなかで物語を反芻して。ついでにスマホでまた別の本を読んだりもして。

 そんな風にしていると、なんだか別の宇宙にぷかぷか浮かんでいるような気分になって、気持ちだけ、幸せになれる。自分が別の世界にいる気分。私の夢みる世界たち。ジャンルは色々。明るい話も暗い話もある。でも、どれも私を満たしてくれる。

(どうしてだろう?)

 時々、そんなことを自問する。答えはわかってる。どれも、自分の世界じゃないから。

 時々、涙を流す。本に落ちさえしなきゃいい。ページがふやけるのは好きじゃない。


 私はずっと、知っていた。自分がこの世界にそぐわないって。

 なんとなく、どことなく。いつも落ち着かなくて。何かが違う気がしていて。何かがおかしいって、はっきり感じているのだけれど。でも、それが何なのかわからない。

 大きくなるにつれて、少しずつ気付き始めた違和感の正体は、つまるところ自分自身だった。私は、生まれてくる世界を間違ったんだ。


 同じ世界に生まれてきて、普通に暮らせる人がいて。勉強とか、会話とか、ちゃんとできる人たちがいて。だけど、私には何もできない。どうすればいいかもわからない。

 他のみんなはまるで、生まれた時から頭の中にコンパスがあるみたいに思えた。どうすれば溶け込めるのか。どうやったら笑えるか。友達同士で、何を言ったらダメとかさ。なんとなく知っていて、なんとなく気づいていく。

 でも、私にはわからなかった。みんなが同じ言葉を話してるのに、私だけが、罰されたバベルの民みたいに通じない言葉を喋ってる。私が何か言うと、みんなの顔がこわばる。

 小学生の時はまだよかった。みんな、笑ってくれたから。今はみんな笑わない。みんな、私が違うものだと知っている。ただ、遠ざかっていく。

 時々遠くから、それとなく、当てこすりみたいなことを言われても。私にはそれが本当に悪口なのかどうかよくわからなくて、その場ではへらへら笑って、後から気づいて泣きたくなったりする。


 最近、思いついたことがある。

 私の頭の中にも、もしかするとコンパスはあるのかもしれない。ただ、指している場所が違うだけ。私のコンパスは、ずっと虚空を指している。夢の遠く、ここにはない場所を指している。存在しない世界の、存在しない星。永遠にたどり着けない場所。だから私は、どこに行けばいいかわからなかったんだ。

 そして、これからも、そこにはたどり着けない。たどり着けないまま、ただ生きていかなきゃいけない。それを続けるだけの勇気が私にはなくって。だからこうして、寝そべって夢をみているんだ。


 もし、私にもっと勇気があって。

 自分を変えられるとしたら。私は何をどう変えるだろう。

 この世界に合わせて、今の私を作り変えて、他の子と同じことを話せる、同じように感じられる自分に作り直すだろうか。

 そんなことを考えていたら、無性に悲しくて、悔しくなった。

 自分のはらわたを裂いて、脳みそを取り替えて、そうして生まれ変わるということは、古い自分を殺すのと同じだ。私はただ生まれてきただけなのに、生まれてきたことが間違いだったからって、自分で自分を殺さなきゃいけないのか。


 私は、いやだ。私は、死にたくない。

 私はこの私のままで生きていたい。

 きっとずっと叶わない夢。

 そんな夢を、私はみていた。

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