第19話 夜霧にひそむ

「冬…………」

 目を開くと、まだ夢の続きのように、まぶたに残った冬子の背中と、黒い空とが重なって見えた。

 夢の中では言葉にならなかった思いが、話せなくなった今になって、ぼんやりと形をとっていく。それは、こんな単純なひと言だったのに。どうして、顔を合わせただけで、何も言えなくなっちまうのか。

「あ、起きた? この状況でグーグー寝れるの、うらやましいね」

 近くで、カナリヤの声。

「……ごめん」

「謝られても困るけど。何かいい夢でも見れた?」

「どうかな……」

 俺は曖昧な返事をしながら、体を起こす。鼻腔に入ってくる冷たい空気が、頭を冷静にしていく。たった今、夢の中で見てきたものをどう消化すればいいのか。とりあえず、誰かに伝えた方がいいか。

「ヴィバリー、いるか? 話が……」

 見回して、名前を呼ぶ。彼女は天幕の中で、すぐにこちらを振り向いた。

「どうしたの?」

 ヴィバリーは怪訝な顔をしていた。まあ、寝起きのやつにいきなり名前を呼ばれて、面白い話が聞けるとも思うまい。だが、俺が一言発した途端、彼女の顔色は変わった。

「今、冬子に会った。夢の中で」

「……説明して」

 その声には、疑惑と驚きが半々。信じさせるために何を言えばいいのか。

「えっと……魔導師ウィザードの夢なんだ。ほら、お前が昨日言ってただろ。幻影城の……そこに、ローエングリンと一緒にいたんだ。あいつが……」

「! 幻影城主ウィッチ・オブ・ミラージュ? ……ふぅん。それで、何か聞けたの?」

 ヴィバリーはまだ少し疑いながらも、一応聞く価値があると判断したようだった。

「……いや……具体的には何も。ただ、あいつは……」

 イクシビエドとも戦う気だ、と。言葉に出しそうになって、俺は慌てて口をつぐむ。

 それを声に出して言えば、イクシビエドに聞かれるかもしれない。あいつは、どこでも人の話を聞いてるはずだ。いや、領地の中だけだったか? ……どちらにせよ、言わないに越したことはない。冬子が徹底的に戦う気だと知られたら、イクシビエドも危険視してさっさと「殺す」って決めちまうだろう。

「あいつは?」俺の言葉を繰り返すヴィバリー。

「えっと、あいつは……夢を通じて、ローエングリンに会ってたんだ。そんな話をしてた。直接会ったことはないとか……」

「なるほど……寝ぼけてるにしては、面白い発想ね。確かに、それなら短期間でローエングリンを引き抜けた理由も説明がつく。イクシビエドがフユコの動向をつかめない理由も……まさか、ここでまた別の魔導師ウィザードが話に絡んでくるとはね」

 ようやく俺の話を信じたらしく、ヴィバリーはぶつぶつと考え深げにつぶやく。

 と、その背後からムッとした顔のウィーゼルが近づいてきた。

「おい、待て。ローエングリンがいたって? 夢だと……?」

「アウラの夢よ。聞いたことぐらいあるでしょう。夢の中の城……」

 ウィーゼルは舌打ちして、苦い顔で頭をかいた。

「……くそっ。そういやあいつ、夢がどうこうって言ってたな……聞き流しちまってたが、あれが前兆だったわけか……」

 国で一緒に暮らしていた頃のことを思い出してか、悔しげな様子のウィーゼル。確かに、自分の隣で寝てる奥さんが夢の中で他の誰かに会ってたってのは、なんだか寝取られ感がある。まあ、会ってた相手は俺の妹なんだが。

「ねえ。それじゃ、ローエングリンは今眠っているの?」

 ヴィバリーが何か思いついたのか、鋭い目つきで言った。

「あ、いや……どうかな。時間の流れは現実と違うって言ってた気が……でも、ちょっとはリンクしてるとかって……?」

 自分でもちゃんと理解できていないことを聞かれて、しどろもどろになる俺。俺たちの会話を聞いて、ウィーゼルが眉根を上げる。

「寝込みを襲う気か? 確かに、あいつの寝起きは良くないが……本当に寝てるかどうかもわからんのだろ。分の悪い賭けだぜ」

「このまま座して待つよりは勝算があると思うけど。いずれにせよ、あなたたちの協力なしでは仕掛けられない。決断は任せるわ」

 ヴィバリーの提案に、ウィーゼルは腕を組んで唸った。

「……まあ、そうだな。俺とあいつじゃ、お互い手の内がわかりきってる。あんたの策の方が案外、虚をつけるかも知れん。動くぞ、カナリヤ」

 いつの間にか、音もなくウィーゼルの背後に立っていたカナリヤが、武器を片手に無言でうなづく。同時に、天幕の上に登って周囲を見ていたユージーンも、弓を片手にすとんと地面に降りてヴィバリーを見る。

「行く?」

「ええ」

 手短な問いに、手短に答えて。ヴィバリーは自分もすらりと剣を抜いた。

「赤の二人は東西に分かれて、先行して霧の中を探って。標的を見つけたら、私とウィーゼルが追随する」

 いつの間にか、すっかり主導権を握っているヴィバリー。ウィーゼルは苦笑いしつつも不服はないらしく、肩をすくめて同意を示す。不満ありげなのは、カナリヤだけだった。

「それじゃ私ひとりで、あの化け物の寝床を探れって? 名誉な役目をゆずってもらってどうも」

 皮肉たっぷりに言って、鼻を鳴らすカナリヤ。反抗的な十代だ。どうもヴィバリーと彼女は、反りが合わないのかもしれない。タイプは違えど、同じクール系だから衝突するんだろうか。

「そっちは何か隠し球があるんでしょう。死にたくなければ、出し惜しみしないことね」

「……いいけど」

 カナリヤはヴィバリーの挑発にムッとしつつも、指示には従うようだった。片手にぶらさげていた例の回転ノコギリチャクラムを、キュルルッと一瞬回転させて止め、深呼吸をして霧を睨む。

「残りの三人は、天幕に待機して。ジェミノクイス、あなたも――」

 と、話しかけようとしたヴィバリーの口が止まる。ジェミノクイスは昼間と変わらず、布をかけられたガートルードの体に向かって膝をつき、うつむいたままぶつぶつとつぶやいている。目は虚ろで、半開き。ヴィバリーの声どころか、周りで起きている全てのことが意識の外にあるようだった。

「話しかけても無駄だよ。蘇生の時はずっとああだ。なんだか知らんが、集中してるんだろう」

 ウィーゼルはそう言うと、不意に俺の方に目を向けた。

「おい、ガキんちょ。期待はしてないが、いざという時はこいつらを守っといてくれると助かる。まあ、放って逃げても責めんがな」

「…………」

 俺は迷いつつも、一応剣を抜いた。自分が本当にローエングリンと戦えるとはこれっぽっちも考えなかったが。冬子に言われた「臆病者」という言葉が、まだ後を引いていたのだ。

 いずれにせよ俺は、ローエングリンからは逃げられない。夢の中での忠誠っぷりを見るに、こいつは地の果てまで追いかけても俺を殺しにくるだろう。今度こそ本当に死ぬのなら、せめて格好つけておきたかった。どうせ、死ぬ時だって痛くもないのだし。死に様を聞いた冬子に、また臆病者呼ばわりされるのは癪だ。

 そんな俺を見て、ウィーゼルは特に見直した風でもなく、口を傾けた。

「若いってのはいいもんだな。んじゃ行こうぜ、カナリヤ」

 その言葉を合図にして。冬寂騎士団、そして月光騎士団の赤と白は、深い霧の前で左右二手に分かれた。白は篝火のそばで立ち止まり、赤の二人がそれぞれ反対方向に、すっと身を屈めて踏み込んでいった。俺は天幕の入り口にじっと立って、その姿を見送るしかなかった。


 俺はしばらく、暗闇に満ちる霧をはらはらしながら眺めた。俺の位置から見える騎士の姿は、ウィーゼルとヴィバリーの背中だけ。カナリヤとユージーンは左右に分かれていったので、俺からは死角に入っているはずだ。そもそも身を隠してるだろうから、視界にいても気づかなかったかもしれないが。

 長い間、音も動きもなかった。申し訳程度に握った剣の柄が、じっとり汗ばんでいた。それとも、湿気だったのかもしれない。霧が立ち込めているせいか、空気がじめってたのは確かだ。


「……おそばに……私の月……その指……血管の、ひと筋……ここに、青く……ここに、赤く……」

 後ろから、ぶつぶつと喋るジェミノクイスの声が聞こえた。

 最初に会った時から常にイカれた感じだったが、ガートルードが死んでからはさらにひどい。目はかっと見開かれ、唇は震えている。血のように赤い髪がガートルードの体を包む布の上に垂れて、ホラー映画の一場面みたいにおどろおどろしい空気を醸し出している。

「トーゴ殿、でしたね?」

 剣を構えつつちらちら様子を見ていると、突然、ジェミノクイスがこちらをじろりと見返した。思わずびくっとする俺。今の立場的には一応俺が彼女を守る側のはずだが、その目つきを見てると今にもこっちが殺されるような気分になる。

「ああ……うん、まあ……」

 目をそらしつつうなづくと、ジェミノクイスは意外にもしっかりした仕草で、俺に向かって丁寧に頭を下げた。

「私とガートルード様をお守りいただけるとのお申し出、感謝いたします。偏愛術師スイート・ラヴァーとも称されるこの私ジェミノクイス、その御心に敬服いたしました。あなたの気高く尊きご決断は、きっと一編の詩となって語り継がれましょう」

「いや……それはないだろ……」

 冷静に否定する俺。おだてるにしても現実味がなさすぎる。「トーゴは剣を握ってぼんやり立っていた」の一行で終わるような詩を誰が語り継ぐというのか。それとも俺の派手な死に様をねちっこく歌い上げるのか?

 あきれた顔の俺を見て、ジェミノクイスはうっすらと微笑んだ。

「……私を守ってくださるということは。ひいてはガートルード様を守ること。この方のいない世界は、暗く寂しくなりましょう。この方のいない夜は……歌のない、笑いのない、熱のない夜……」

 再び自分の世界に入り込んで、ぼうっとつぶやくジェミノクイス。その瞳は、ガートルードの死体をじっと見つめていた。熱く、優しく、愛おしげに。

 ――この女は狂ってる。狂ってるけど、確かにガートルードを、彼女なりのやり方で愛しているらしい。布に包まれた肉塊でしかなくなっても、彼女にだけは、美しかったガートルードの姿が、全身まるごと再現できるほど鮮明に見えているわけなのだし。俺は、そんな風にまで誰かを好きになったことなんてない。

「だから……あなたが私を守るということは、私の世界のすべてを守ることなのです。この暗い世界の、小さな光……空の月……私の……夢を」

 ジェミノクイスはそこでふっと言葉を切って、もう一度、俺を見た。

「よろしくお願いいたします。私は、術に戻りますゆえ」

 それきり、ジェミノクイスはまたガートルードと二人の世界に戻っていって、俺に話しかけることはなかった。


 霧に視線を戻すと――遠くで、コォンと音がした。

 それは戦いの音にしては地味な、くぐもった音だった。思わず聞き流しそうになったほどだ。だが、白の騎士二人の反応でその深刻さがわかった。ヴィバリーとウィーゼルはそれぞれの武器をちゃりんと鍔鳴りさせて身構え、緊張した面持ちで霧を睨む。

 音は一度。武器で打ち合った音なのか、鎧を打った音なのか。いずれせよ、戦いが一瞬起きて……静かになった。こっちが勝ったんなら、黙ってる理由はない。つまり、ローエングリンが勝ったと考えるのが自然だ。

 俺はごくりと唾を飲み込む。音がしたのは、右か? 左か? 右にはカナリヤがいる。左にはユージーンがいる。どちらかが死んだのかもしれない。現実感がなくて、まだ悲しみも恐怖もない。ただ、はっきりと不快感が胸に広がる。死の匂い――最近、そんなものがわかるようになってきた気がする。鼻じゃなく、胸から広がる苦い感覚。

「……カナリヤ」

 短く、ウィーゼルが口にした。音がしたのは右だったのだ。俺は背中がぶるっと震えた。

 ――死んだのか。ついさっきまで話してた女の子が。まだ、あの子のことを何も知らないまま。ほとんど音もなく、こんなにあっさりと。俺もすでに二人、人間を殺してきたわけではあるが。殺される側に立つのは、当たり前だがまるで違う感覚だった。俺は頼りない両手で剣の柄を握りしめて、抱きかかえるように胸の前に寄せた。顔の近くで刃の冷たさを感じると、少しは冷静になれそうだったから。

 この事態はつまり、奇襲が失敗したということだ。だが、白の二人はまだ動かない。それとも、動けないのか? 俺は寝てたせいで、あいつらがどういう策を立ててたのかろくに聞いていない。

「行ってくる」

 ふと、こちらを振り返ってヴィバリーが言った。次の瞬間、白の騎士は二人ともその場から消え失せていた。霧の中に入ったのだ。

 俺はすり足で少し前に出て、天幕の外をうかがった。

 暗闇の中、霧が風に揺れていた。いや、この風はただの風じゃない。振り切られる剣の起こす風だ。ぶつかり合う金属の音、小さい火花、それからぴしゃっと水音。つまり、血の音だ。

 誰が誰を切ってるのか、俺には何も見えないし届かない。無力ってだけじゃなく、何が起きてるかも理解できないってのは、今までの戦いよりもよほど嫌な気分にさせられた。見えないところで、ヴィバリーやユージーンが死んでるかもしれないなんてのは。


 斬り合いは天幕からずっと右のほうで起きていたが、そのうち急に、間近でがさっと音がした。思わず剣を振り上げて、身構える俺。

 だが、霧から飛び出してきたのはローエングリンではなかった。もしあいつだったら、この瞬間とっくに死んでただろう。

「……か、カナリヤ!?」

 死人でも見たような声を上げる俺に、身をかがめた緑髪の少女はちらりと視線を送って人差し指を立てる。

「……静かに。得物、取りにきただけ」

 そう言って、カナリヤは小走りにテントの中に駆け込んだ。向かう先は、ガートルードの枕元。

「借りるね、ジェム。持ち主によろしく」

 無反応のジェミノクイスにぼそりとそう告げてから、カナリヤは床に置かれたガートルードの無骨な曲剣を持ち上げた。彼女は明らかに体に不釣り合いなその長大な剣を、重そうに引きずって天幕の外へと向かう。

「使うのか、それ……?」

 思わず尋ねる俺に、カナリヤは腰に下げていた金属の物体を床に放り投げ、アゴで示した。

「そ。ま、仕方なく」

 カナリヤが放り投げたのは、彼女が使っていた回転ノコギリチャクラムヨーヨー手裏剣――の成れの果てだった。ほぼ真っ二つに叩き割られ、ひしゃげて歪んだその無残な姿は、見るだけで顔を背けたくなるような圧倒的な暴力を感じさせた。これが人間だったらと思うと……急所を刺されるだけで済んだ俺やアンナはまだラッキーだったのかもしれない。

「それじゃ」

 短く言って、天幕を出ていくカナリヤ。一瞬、呼び止めたい衝動に駆られる俺。霧の中に消えて、このまま戻ってこないのではないか。そう思ったら、急に恐ろしくなったのだ。

 だが――声は出なかった。出せなかった。

 カナリヤの背中の向こうには、霧から一歩進み出て、篝火の間にゆらりと立つ騎士がいた。

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