第32話 第二夜/少女の横顔
しばらく、気を失ったようだった。夢を見ることもなく、ただ途切れた意識の虚無からゆっくりと目覚めた俺は、青ずんだ夜の闇に包まれて横たわっていた。森にいるのかと思ったが、頭上に空は見えなかった。湿った匂いからすると、どこか洞窟の中にでもいるのかもしれない。
目をしばたいて、ぼんやりと記憶を辿る。俺は時間がループする森にいて、ヴィバリーが殺されて、アンナも多分死んだ。それから何が起きたのか、記憶がはっきりしない。何があって、どう意識を失ったのか。
「ああ……目、覚めた?」
隣で声がした。体がびくんと震える。
俺は反射的に起き上がろうとして、バランスを崩してまた地面に倒れこんだ。痛みのない体でも、土に正面から顔を打ち付けるのは屈辱的で嫌な感じがした。くそっ、体の自由がきかない。何か――何か足りない。
「……寝てたら。他に何もできないよ。自分の状況、わかってる?」
カナリヤは膝を抱えて座ったまま、つまらなそうに言った。
状況なんて全然わからない。どうして俺がこいつと一緒にいるのか。俺に何が起きたのか。知らない間にまた夜が明けて、新しいループに入ったのか? いや、そんなには寝ていないはずだ。
「何が……」
「覚えてない? あんた、仲間をやられて私にかかってきたの」
そう言われて、うっすらと記憶が蘇る。アンナが倒れたのを見て、俺は思わずカッとなってカナリヤに剣を向けたんだ。勢いとはいえ、よくもまあそんなことをしたものだ。
「勝ち目もないのに、よくやるよ。ちょっと感動したな、正直……」
無感動にしか聞こえない声で呟くカナリヤ。といって皮肉というわけでもないようで、ぼんやりと膝を抱えたままじっと暗い洞窟の壁を眺めていた。その瞳には、さっきのような狂気はもう残っていなかった。少なくとも、そう見えた。暗がりなので、自信はないが。
確かなのは、俺がまだ死んでいないってことだ。
「……なんで俺を生かしてる?」
横になったまま尋ねると、カナリヤは疲れた顔でくっと笑った。
「寂しかったから? ……なんてね。何の危険もないから、殺す必要ないってだけ。っていうか、本当にわかってないんだ……痛みがないんだっけ。右腕、動かしてごらん」
困惑しつつ、言われるままに動かそうとする俺。だが――
「あ……?」
「ないでしょ。ごめん。やりすぎた。色々……ほんとに」
俺の右腕は、そこになかった。バランスが取れないわけだ。痛みがないことの弊害を、今さら実感させられる。喪失感すらないまま、俺は右手でケツが拭けない体になった。そこに腕があるような感覚だけまだぼんやり残っている。夜が明けるまでのこととはいえ、いい気分はしない。
「……そうか」
「冷静だね。さっきはキレてたのに」
そう言われて、俺はカナリヤが本当は俺に何を謝罪しているか気づいた。右腕のことだけじゃなく、アンナとヴィバリーのことを気にかけているのだと。俺が冷静なのは、すぐになかったことになるって知っているからだけど。
「謝るぐらいなら、殺さなきゃよかった」
吐き捨てるように口にしてから、その言葉が全部自分に返ってくることに気がつく。冬子に対して。もう謝罪など遅すぎるのだと。いや、今考えることじゃない――
「殺そうとしてきたのはそっちじゃん。やらなきゃ私が死んでた」
顔は伏せたままだが、ムッとした様子を見せるカナリヤ。……そういえば、背後から不意打ちしたのはこっちだったか。元はといえば武器を向けてきたのは向こうだが、道徳的に言えばヴィバリーの方が悪いのかもしれない。
目の前で殺された時はかっと頭に血が上ったが、こうして時間が経ってみると、嫌になるほど冷静に第三者目線で捉えている自分がいた。
「……悪かった」
立場が逆になってしまった。とはいえカナリヤは俺の謝罪にさほど興味はないようだった。
「いいよ、もう。どうでも。死んだ連中のこと……」
カナリヤは投げやりに言って、ため息をついた。そうして膝を抱えた姿を見ていると、彼女は本当にただ年相応の少女のようだった。そんなこと、同い年くらい(推定)の俺が言うのも変か。向こうからすると、俺も年相応の普通のガキに見えているんだろうか。
……仲間を殺されて、腕を一本切り落とされた相手に、そんなこと考えるのが普通とは思えないけど。今の彼女はすっかり落ち着いていて、さっきまでとは別人みたいに見えた。
「さっきの……何があったんだ。砂塵騎士団と」
彼女が半狂乱になっていた理由が知りたくて、俺はぼそっと尋ねる。また次の夜でも同じようなことが起きるんだろうから、原因を知っておけば対処できるかも……という打算もあった。今までの出来事を見る限り、おかしくなったカナリヤが俺たちと出くわすと、高確率で俺たちかカナリヤが死ぬ。いざコララディを見つけても、誰かが死んだままループを抜けるんじゃ困る。
「あいつら、そんな名前だった? どうでもいいよ、本当……」
「でも、お前まともじゃなかっただろ。目も虚ろで」
しつこく聞く俺に、カナリヤは鼻を鳴らして首を横に振る。
「……いいよ、そんなに聞きたきゃ話してあげる。腕一本ぶんの貸しもあるし」
カナリヤはふっとため息をついて立ち上がった。血を吸って黒くなったローブが、かすかな夜風ではためく。
「私はウィーゼルに言われて、あんたたちが目的地に着くまで監視するはずだったの。でも、先回りして森に入った途端、何かおかしくなった。方向感覚が狂って、頭が散漫になって……」
ユージーンに起きたこととよく似ている。コララディの魔術の影響か。エルフと同様、竜人間(?)の彼女も魔術に敏感だったりするのだろうか。
「だから、しばらく木の上で隠れて休んでたわけ。でも……あいつに見つかった」
カナリヤは不快そうに言って、チッと舌打ちする。
「あいつ……?」
「さっきの騎士団の『赤』だよ。私の同業。こっちが気づくより先に矢を射たれてた。油断してたな……ああ、もうっ」
悔しげに洞窟の壁を蹴るカナリヤ。砂塵騎士団の赤騎士ってことは……前の夜には「竜に食われた」とか言われてた奴か。確か、ふとっちょなんとか……ふとっちょしか覚えてない。
「見つかったからって、どうしていきなり射たれるんだ? 敵だと思われたのか?」
「こんな森の中で正体のわからない相手を見つけたら、殺しておく方が安全でしょ。私だってそうする。それも『赤』の仕事だし」
カナリヤはさらりと言いながら、再び地面に腰を下ろした。話しているうちに少し気をゆるめたのか、足を伸ばして姿勢を崩している。
「向こうも完全に殺る気だった。ご丁寧に毒まで塗ってさ」
「毒……!?」
それでようやく、今までのカナリヤの妙な振る舞いが理解できた。竜の時も人間の時も、毒にやられておかしくなっていたわけか。
「そ。強めの神経毒かな。普通の子なら即死してたんじゃない。……普通なら、か。こんな体で得することもあるわけ。たまにはね」
その話ぶりからすると、竜人間であることを本人はあまり好きではないようだ。俺のゾンビみたいな能力と比べると、竜っぽくなれるなんてかなりイケてる方だと思うが。
「……まあ、死ななくて良かったな」
「そう思う? 私が生きてたおかげで、あんたの友達は全滅したけど」
怪訝な目をしつつ、苦笑するカナリヤ。相当冷たい奴だと思われただろうが、コララディの魔術のことまで説明するとややこしいので言わずにおく。
「毒でおかしくなってたんなら、まぁ仕方ない……とは言わないけど。納得はしたよ。お前も言ってたじゃん。死んだ人間のことは、もういいって……」
それはもしかすると、冬子のことを忘れたい気持ちから出た言葉だったのかもしれない。忘れてはいけないとか、自分は人殺しだとか。そんな中途半端な罪悪感を時々、投げ捨てたくなる。俺がどう思おうと、人殺しである事実は変わらないし、冬子に許されるわけでもないのに。
だから今だけ全部忘れて、ただの一人のガキみたいな気分でいてもいいんじゃないか。年頃が近く見えるせいなのか、カナリヤと話しているとそんな気分にさせられた。……どうせ何を言っても、何を思っても、すぐになかったことになるんだし。
「……うん。生きててよかった。誰をどれだけ殺しても、やっぱり私は自分が生きててよかったと思う。そんなもんだよね」
カナリヤはそう言いながら、顔を俺の反対側へ向けた。
暗くて最初は気づかなかったけれど、そちら側はすぐ洞窟の外になっているらしい。かすかな風と、木の葉に薄められた月明かりが少し入ってくる。洞窟というより、ちょっとした横穴だ。もしかすると、前の晩に通りがかってたどり着けなかった例の横穴にいるのかもしれない。……カナリヤは、わざわざ俺をここまで運んでくれたのだろうか。
「どこまで話したっけ。そう、毒矢で射られて死にかけて……危ないとこだったわけ。木から落ちて、全身痛くてさ……でも幸いかどうか、あのクソ騎士はそこで仕事に徹するほど有能じゃなかった。私が女だって気づいて、何しようとしたか想像つく?」
そんな言い方されたら、否が応でも想像はつく。
「げ……」思わず出た俺の声に、肩をすくめるカナリヤ。
「そんな感じ。マジで。危なかった。手足がまだ痺れてたから、喉笛噛み千切ってどうにか殺したけど。最悪な気分。エルフどもの国からやっと出られたのに、外もこんなのばっかりとかさ。救いないじゃん」
はぁーっと深いため息をついて、カナリヤは顔を歪める。声色は変わらないが、途切れ途切れの言い方でなんとなく、少し動揺した気持ちが伝わる。しかしこんな話で引き合いに出されるエルフってのは、どれだけ変態揃いなんだ。
「他の砂塵騎士団は、そいつの敵討ちでかかってきたってことか」
「さあ。詳しいことはよく覚えてない。毒が残ってる間、相手が誰かなんて見てる余裕なかったから。巻き添え食わせただけかもね。どっちにしろ同類でしょ、多分……」
昨夜会った他の砂塵騎士団は気のいいおっさんたちに見えたが、確かにちょっと話しただけでそいつの本性がわかるわけもない。カナリヤの言う通り、あいつらも同じようにヤバい奴らだったのかもしれない。
「とにかく、これで私の話は終わり。なんか、話したらちょっとスッキリしたな。やっぱりあんたを生かしといてよかったかも」
カナリヤはそう言って少し笑った。助けになれてよかったと言いたいが、仲間も自分もボロボロにされた後でそれはさすがに言いづらい。
「……これからどうするんだ?」と、尋ねる俺。
「さぁ、どうしよっかな。任務はあんたたちの監視だけど、この状態でもう先には行かないでしょ。さっさと帰ろっかな。こんな森、もういたくないし……でも、どっちみち朝まで待つ。まだ何か潜んでるかもしれないし」
朝まで待つ、か……その朝は多分来ないんだが。
「帰るって、国に帰るのか? エルフの国、好きじゃないみたいだけど」
俺の問いかけに、カナリヤは失笑する。
「ふ。あの国が好きな人間いないよ。そのうち縁切るつもり。でも、今はまだ無理。やること、あるから」
「やることって何だ?」
根掘り葉掘り質問する俺。この体でコララディ探しもできそうにないし、夜が明けるまで正直暇なのだ。
カナリヤはからかうようにくすっと笑って俺の方を振り向いた。
「質問ばっかじゃん。答え終わったら、あとでもう一本腕もらうから」
「はは……」
最悪に不謹慎な冗談だと思いつつ、つられて俺も気の抜けた笑いを浮かべる。
「……やることってのは、この体のこと。私の一族、みんなこんな感じなんだ。何百年か前に、どっかの魔術師に呪いを掛けられたとかでさ。竜の姿になれる代わりに、長生きもできない。母親も三十ちょっとで死んじゃった」
「え……」
いきなり重い話が始まったので、自分で聞いたこととはいえ面食らう俺。カナリヤはそんな反応にも慣れているのか、軽い口調で先を続ける。
「でも、私は死にたくないから。解呪できる魔術師をずっと探してるわけ。千年王国にはネリマルノンがいる。エルフたちを創った、現代最高の肉体術師。彼女に近づくために騎士団にも入って、エルフの王子ともコネを作って……ちょっとずつ前に進んできた」
「行動力、すごいな」
竜変身という強みがあるにせよ、この若さでよくそこまでやれたものだ。刻一刻と寿命が近づいているわけだから、それだけ必死になれるのだろうか。
「どうも。間に合うかどうかわかんないけどね。私の先祖も誰一人、結局間に合わなかった……私、なんであんたにこんな話してるんだっけ。この森のせいかな。本当、変な森……」
話し疲れたように、カナリヤは自分の膝を抱き寄せて背を丸めた。俺もそれ以上は質問せず、黙って彼女の肩越しに、洞窟の外の闇を眺めていた。
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