第31話 第二夜/竜と獣と
「……どうする、団長?」
大鎚を構えつつ尋ねるアンナの声は困った風だが、危機感はあまりなさそうだ。一対三だし(素人の俺を含めるかふにゃふにゃのユージーンを含めるかは微妙なところだが)、向こうは見るからに消耗している。だが、すでに似た状況から手痛い反撃を食らう状況を見てきた俺は、どうしたって落ち着かない。
「放っておけば、そのうちどっか行くかも……?」
自分で言っといてなんだが、野生動物みたいな言い草だ。でも実際、今のカナリヤはそれくらい異様だった。目の焦点も定まらず、俺たちのことが認識できているのかどうかもわからない。それでもまだ少しずつ、こちらへ近づいてきているのが不気味だ。
「馬鹿を言わないで。このまま逃せばいつどこで襲われるかわからない。不安要素は消しておく」
隙なく刺剣を構えたまま、答えるヴィバリー。
「仕掛けるか?」
「いいえ、少し話してみる。下がって待機」
そう言われて、前に出した足を残念そうに引っ込めるアンナ。
ヴィバリーは切っ先がぶれないように固く構えを維持しながら、摺り足でじりっと一歩前に出る。その動きを見て、藪の中で落ち着きなくゆらゆら揺れていたカナリヤの動きが止まった。
「おま……え……」
カナリヤは今初めて相手が俺たちだと気づいたかのように目を見開き、どこか力ない手でナイフを逆手に構え直した。姿こそ人間でも、その爛々と燃える瞳は、前夜に見たときと同じように正体のない狂気に満ちている。
だが、少なくとも言葉を発したということは、まだ人間としての意識があるということだ。同じことを察したのか、ヴィバリーは油断なく距離を保ちつつ静かな声で話しかけた。
「カナリヤ。落ち着いて、深呼吸して」
カナリヤはぴくりと体を揺すって反応した。呼びかけに答える気配はないが、肩を上下に動かし呼吸を落ちつけようとはしているようだ。
「話がしたい。お互いまだ死ぬ気はないでしょう」
「……い、嫌」
舌が回らないのか、少しつっかえながら答えるカナリヤ。
「死にたくない……私はっ、まだ……」
ぶつぶつ呟きながら、相手の戦力を確かめるように目を素早く左右に走らせるカナリヤ。まだ意識が怪しいのか、言っていることが微妙に噛み合わない。
「武器を下ろしなさい。そうすれば私も剣を引く」
ヴィバリーの言葉を聞いて、カナリヤは急に顔を伏せた。一瞬それがどういう反応なのかわからずに困惑する俺。よく見れば、構えたナイフが小刻みに震えている。彼女は――笑っているのだ。
「くっ……ふふ。信じると思う? 無邪気に、さ……馬鹿みたい」
顔を上げたカナリヤが浮かべていたのは、どこか投げやりで悲しい、歪んだ笑み。頰の生々しい火傷の跡を見て、俺はそれが思ったよりも小さくてよかったなんて、場違いで自分勝手なことを感じてしまったりした。
「聞いて。私たちは全員、未知の魔術師から攻撃を受けているのよ。そいつを何とかしないと、永遠に森から出られなくなる」
ヴィバリーはあくまで冷静に、淡々とカナリヤを説得する。
「あなたが何をしにこの森へ来たか、この男たちと何があったかは知らないし聞くつもりもない。ただ一つ確かなのは、お互い生き延びなきゃいけないってことよ。私たちに殺し合う理由は何もない。わかるわね?」
「……わかる。わかってる……」
カナリヤはぶつぶつとつぶやく。それが問いへの答えなのか、ただの独り言なのかは判断しづらい。
「だったら、さっさと頭を冷やして。ナイフを置くの」
問答の繰り返しに焦れたのか、ヴィバリーはため息をついて構えを解いた。それを見て、アンナも大鎚を下げるのが視界の端に見えた。
対するカナリヤはこちらの急な動きに一瞬警戒したようだったが、それから注意深く俺たちを見回して、ゆっくりとナイフを下げていった。
「フ……ハァ……」
構えは解いても、呼吸はまだ荒い。その青ざめた顔を見て、俺はようやくカナリヤの心情を理解できた気がした。彼女は怯えているのだ。俺たちだけでなく、周りの全てが自分の命を脅かしているように。でも、なぜ?
「よし。私たちに協力する気はあるか」
白騎士としての威厳なのか、まるで自分がカナリヤの上司みたいに上から目線で問うヴィバリー。カナリヤは静かに首を横に振る。
「……ない。あんたたちは他人。信用はしない……できない」
「同じね。なら武器を置いて去りなさい。魔術師は私たちが仕留める。夜明けまでに。あなたはその間、身を潜めていればいい」
「勝手にして……でも、武器は捨てない。私も身を守る」
強情に言って、唇を噛むカナリヤ。ヴィバリーも強情に譲らない。
「この森にはもう私たちしかいない。危険はないわ」
「魔術師がいるって言ったでしょ、自分で……」
「……はっきり言うわ。魔術師を探す間、とち狂った様子のあなたがナイフを握って背後にいるかもなんて心配をしたくないのよ。武装を解いて」
ヴィバリーの歯に衣着せぬ言い方に、カナリヤはふっと力なく笑った。
「そう。そう見えるよね……わかった。従う」
相手に理があることを悟ってか、それともこれ以上やりあっても無駄だと思ったのか。カナリヤは急に態度をころっと変えたと思うと、握っていたナイフを地面に落とした。
「ほら。これで……満足?」
カナリヤの問いをよそに、ヴィバリーは素早く足で払ってナイフを彼女から遠ざける。
「ええ。これで満足」
「フン……」
カナリヤは鼻で笑って、こちらを向いたまま一歩後ろに下がった。
ユージーンを背負ったまま一部始終を後ろで見ていた俺は、二人が離れたのを見てようやくほっと息を吐く。ひとまず、今回は殺し合いにならずに済んだようだ。
ループものといえば何度も同じ展開を繰り返すのがありがちだが、ループのたびにちょっとずついい方向に未来を変えていくのも定番っちゃ定番か。この調子でいい感じに進めば(砂塵騎士団は気の毒だが)、コララディもわりとすぐに見つかるかもしれない。
そんな楽観的かつ雑な予想を立てていると、ふとカナリヤと目が合った。彼女は血まみれの髪を頰にへばりつかせたまま、俺に向かって小さく微笑んだ。
(な……なんだ、今の?)
さっきの悲しい笑みとは違う、優しい笑顔だ。はっきり俺に向けられていた。多分。俺の妄想じゃなければ。
「じゃ。さよなら」
短く言って、カナリヤはそれきり背を向けて木々の間へ歩きだした。
――それで円満にお別れになればよかったのだが。
カナリヤが森へと一歩踏み出すのと同時に、ヴィバリーの様子が変わった。静かに……全くの無音のまま。彼女は地面に向けた剣の切っ先を、ゆっくりと上に持ち上げ始めた。
アンナはとっくに察していただろう。俺も、この瞬間に気づいた。ヴィバリーは、最初から彼女を逃す気などなかったのだと。「不安要素は消しておく」と口にした通りのことを、実行しようとしているのだと。
一瞬、声が出そうになった。殺すな、と。でも、結局声は出なかった。
カナリヤの存在が危険因子なのは前の夜でよくわかっている。さっきも多少話が通じたが、やはりおかしなところはあった。なにより、ナイフがなくとも彼女には恐竜の牙と爪がある。100%冷静に打算だけで考えるなら、彼女は今ここで殺しておくべきなのだ。どのみち、夜がループすれば全てチャラになる。必要なのは、探索のための時間を無駄にしないこと。
……ここまでヴィバリーの思考を追いかけて、俺はあきらめたのだ。今なお生々しく脳裏に浮かぶヴィバリーの死相をまた見ないために。今度はもう、足を引っ張らないと。
そしてヴィバリーが再び突撃の構えを完成させ、足腰のばねを溜めきった瞬間、ふっと彼女の姿がかき消えた。切っ先が宙を裂く軌跡だけが目に入り、遠くなり始めたカナリヤの背中が音もない影に隠れる。
だが――ぱっと飛び散る鮮血とともに、聞こえた声はヴィバリーのものではなかった。
「……見え透いてるんだよ、ババア」
交差した二つの影が離れて、立っていたのはカナリヤ一人だった。火傷とは反対側の頰を剣で鋭くえぐられていたが、それだけだった。一方突き飛ばされるように地面に崩れたヴィバリーは、そのまま動かなかった。それ以上は確かめたくもない。
読まれていたのだ。最初から言っていた通り、無邪気に信じるほど彼女は愚かではなかった。
ちくしょう、完全に裏目だ。倒れ伏したヴィバリーの姿に、胸の奥から熱いものがこみあげる。ゲロを吐きそうだ。だって、あいつの首がおかしな方を向いてるんだ。ちくしょう、最低の夜だ。早くやり直すしかない。早く終わらせてくれ。
「ヴィバリーッ!」
ユージーンが俺の背中で叫んだかと思うと、肩を蹴って飛び降りていた。いつものぼーっとした姿から想像もつかない激情。こいつがそんなにヴィバリーのことを好きだなんて知らなかった。
だが、獣のようにカナリヤへ飛びかかろうとした瞬間、ユージーンの小さな体は横に吹き飛んで、木に叩きつけられていた。
「ぐ……っ」
「あんたは寝てな。あたしがやる」
アンナだ。調子の悪いユージーンを戦わせまいと、力づくで寝かしつけたのか。目まぐるしく変わる状況に面食らいながら、俺はよたよたと後ろに引く。
「あ、アンナ……」
アンナは大鎚を隙なく構えて、俺たちの前に立ちふさがるように両足でしっかりと立っていた。この状況で、その大きな背中は頼もしく見えた。
けれど彼女がこちらを小さく振り向いた瞬間、そんな気持ちは吹き飛んだ。
「なあ、トーゴ……夜が明けたら全部元に戻るんだな? 本当にそうなんだな?」
アンナの声は震えて、顔は青ざめていた。
「ああ。そうだ。そうだよ」
俺の答えに満足して、アンナは悲壮なまま笑った。
「……そ。にしても、最悪の夢だな。泣きそうだよ、あたし」
そう言ったきりアンナはもう振り返らず、カナリヤのもとへ歩き出した。
結果がどうなるか、素人の俺でもだいたい予想がついた。死に物狂いのカナリヤと、打ちのめされたアンナと。ふらふらでも怒りに満ちていたユージーンの方がまだ戦えたかもしれない。
仲間が全員倒れた後で、俺はようやくカナリヤの微笑みの意味を理解した。あれは一人残される者への哀れみだったのだと。
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