第27話 第一夜/訪れない夜明け

 アンナが荷物から包帯やら薬やらをテキパキ出して応急処置をして、ヴィバリーはかろうじて安定したようだった。それがいつまで保つかは俺にはわからない。一晩明けたらけろりとしてたりするのか。それとも、その逆か。とりあえず今はアンナに背負われて、スー、スーと細い寝息を立てている。顔色は悪い。

 俺たちは負傷したヴィバリーを連れて、来た道を戻っていた。団長がこの状態で先に進めるわけがない。目指すのは、数時間前に俺が見かけた横穴だ。木々の間を走る風も強くなってきて、どこか寝る場所が必要だった。ヴィバリーにも俺たちにも。

「大丈夫か、ユージーン?」

 アンナはちょくちょく俺やユージーンにそう尋ねた。団長が倒れた今、自分がしっかりしなきゃと思ってるんだろう。確かにアンナはいつもより頼もしく見えたが、同時にいつもより幼くも見えた。時々忘れそうになる……どれだけ強く大人に見えても、俺とアンナで10歳も20歳も離れてるわけじゃないんだと。

「大丈夫」

 ユージーンはいつになく真顔だった。今もこの森の影響で頭はフラフラしてるはずだが、右手に松明を、左手に弓をしっかり握って周囲に目を配る。どんな外敵が来ようと一瞬で殺すつもりだっただろう。堂々として、感情を押し殺していた。


 そして、俺は――俺は、いつも通りだった。

 荷物を持って、下を向いて歩きながら、ひたすら後悔している。

 ――こんなはずじゃなかったんだ。カナリヤをかばった時、俺は誰も死なせたくなかった。ヒーローみたいに考えてたわけじゃないけど、誰も死なないならそれが一番じゃないか。人殺しの俺だからこそ、少しでも命をこぼさないようにしなきゃと思ってた。そう働きかけるべきなんだと。

 その結果がどうだ? カナリヤは死んで、ヴィバリーも死にかけてる。

 俺が何も言わなければ、カナリヤを助けようなんて思わなければ、死ぬのはカナリヤ一人で済んだのに。自分の手で救えるわけでもなく、結局他人に任せるだけのくせに、どうしてそんな思い上がりをしてしまったのか。

 俺は馬鹿だ。そんなことはわかってる。わかってるつもりだった。

 少しでもいい道を選ぼうとして、結局最悪の道を選んじまったのか。

 これが本当に最悪なのかどうか……まだ、わからないけど。


「……あなたのせいじゃないわ」

 ヴィバリーの声がした。アンナの背中で、いつの間にか目を覚ましていたらしい。

 俺に言ってるのかと思ったが、彼女は目の前のアンナに向けて言っているようだった。

「私が……何もかも。いつも、隠して……」

 言葉は途切れ途切れでうわごとのようだったけれど、その瞳ははっきりと醒めていた。いつも通りに冷たく、全てを見通すように。

「……引き受けるべきじゃなかったのよ。逃げることもできたのに。私の意地で……あの人の……馬鹿なこと。私が……白なのに。あなたたちを、使って……」

 意味をなすようでなさない言葉の群れ。ヴィバリーの青白い顔には汗が吹き出ていた。カナリヤに噛まれた傷から、感染症でも起こしたのかもしれない。それとも体力を消耗したのか。医者でもないのだからわかるはずもないのに、あれこれ可能性ばかり考えてしまう。

「いいから、静かに寝てな。たまには休みが必要だよ、あんたには」

 アンナが優しく言って、足を早める。今のペースでは間に合わないと思ったのかもしれない。ユージーンは自分の体格ではヴィバリーを背負えないことを悔やむように、渋い顔で周りをうろちょろしていた。


 夜はどんどん更けていった。まるで終わりがないかのように。

 そろそろ時間的には2時か3時ごろになるのだろうか。松明の火はもう消えて、周囲は何も見えなくなった。ユージーンは必死に目を凝らして暗闇に道を探したが、森に感覚が狂わされているせいか、俺たちの元来た方向は彼女にさえもうわからなくなっていた。

 俺たちはもはや何の指針もなく、森の中を闇雲に歩くだけだった。

「くそっ……ダメだ。あのまま進んだ方がよかったのか……くそっ」

 アンナの後悔のつぶやきが聞こえた。ヴィバリーを気遣ってか静かな声だったが、自分への深い怒りがこもっていた。

「……アンナ」

 俺は何か言って慰めようとしたが、それ以上何も言えなかった。実際どれぐらいの付き合いかわからないが、彼女は長年の相棒であり親友を亡くしかけているのだ。俺とは重みが違う。

「ゴホッ……! う、く……」

 ヴィバリーが大きく咳き込んで、同時に痛みに顔を歪めた。その様子を肩越しに見て、アンナは覚悟を決めたように深く息を吐いた。

「……トーゴ、毛布をそこに敷いてくれ。これ以上動かすのは危険だ。一旦ここで休ませる」

 言われた通り、慌てて毛布を地面に敷く俺。アンナはゆっくり屈みこんで、ヴィバリーの体をそっと上に横たえる。それからほんの数秒のうちに、馬車から持ってきたばかりでまだ綺麗だった毛布にじわりと赤い染みが広がった。まだ血が止まっていないのだ。

「ありが……とう」

 浅い呼吸をしながら言うヴィバリー。その姿を見て、ぞくっとした。痛みのないはずの自分の体に、ぴりぴりと痛みが走るような気がする。

 彼女は本当にこのまま死ぬのかもしれない。絶対に死なないと思ってたわけじゃないけれど。アンナが刺された時とは違って、じわじわと近づいてくる死に心が追いついていないのだ。

「あたしたちもここで休もう。ユージーン、弓を置いていいよ。見張りはあたしがするから」

 アンナはそう言って、横たえたヴィバリーから離れた。ユージーンは入れ替わりにヴィバリーに近寄って、そっと頭をなでた。猫をあやすように、何度も繰り返して。

 見ていられなくなった俺は、そっと立ち上がって、森へ入っていった。入ったといってもほんの数歩だ。迷子になる気はない。

 それから黒々とした空に向けて、小声で叫んだ。

「キスティニー……! キスティニー! ……聞こえてないか?」

 反応は何もなかった。俺は森の冷たい空気を深く吸い込んで、三人のところへ戻った。


 戻ってくると、ヴィバリーとアンナが話していた。

「喋らないで。今は気付け薬が効いてるだけだ。体力使わない方がいい」

「いいえ。今黙ったら……もう、喋れないかもしれない」

 ヴィバリーの声はさっきよりしっかりしていたが、アンナの言う通り一時的なものなんだろう。口振りからすると、彼女自身もそれをわかっているようだった。

「縁起でもないこと言うなよ。いいから黙って。黙らないとあたしが絞め殺す」

 自分が一番縁起でもないことを言いながら、アンナの声は震えていた。

 ヴィバリーはふっと微笑んで、俺の方を見た。まるで、俺が唯一この場で冷静な判断を下せるというように。……確かに、そうなのかもしれない。俺はアンナやユージーンほど付き合いが長くない。

「私を置いて、森を出て。鳥を放して……それで仕事は終わる」

 その言葉に、アンナがカッと声を荒げた。

「置いていくわけないだろ! ……あんたを置いていかないよ。どこへも行かない」

 アンナは声のトーンを少しずつ落として、ヴィバリーのそばに顔を近づけて、彼女の頰に触れた。

「大丈夫。夜が明けたら、きっと良くなる……」

「……嘘は『白』の仕事よ」

 それきりヴィバリーは黙って目を閉じた。一瞬どきっとしたが、まだ息はしていた。

 寝息を聞いて安心したのか、アンナはヴィバリーの隣にうずくまるようにして横になった。ユージーンも、ヴィバリーの頭に手をのせたままうつらうつらしている。

 その姿を見ているうちに俺もどっと体に疲れを感じて、木の幹に背中を預けて目を閉じた。もう、体力的にはとっくに限界だったのだ。


 眠りに身を委ねながら、このまま目が覚めなければいいと思った。目が覚めたら、ヴィバリーはもう死んでいるかもしれない。そんなこと、確かめるのはごめんだ。最初に気づくのはきっとアンナだろうし。アンナにそんな悲しいことをさせないで欲しい。

 どうか。お願いだから。この夜が明けないで欲しい。

 ――俺はそう願った。

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