第25話 第一夜/竜の横顔

 ――長い夜だった。

 砂塵騎士団と別れてから、数時間は経っただろう。俺たちはさらに暗さを増していく森の中、ヴィバリーの掲げる松明を頼りにひたすら歩いていた。火を消すかどうか少し議論になったが、竜に限らず魔獣の相手をするなら火があった方が有利だというアンナの意見が通った。

「……なぁ、方向は合ってるのか?」

「大まかには合っているはずよ。あの学者が書いていた地図を見たから」

 俺の質問に、背を向けたまま答えるヴィバリー。あの場に地図があった記憶も彼女がそれを見ていた記憶も俺にはないが、いつの間にか盗み見ていたらしい。

「あんた、なんかちょっとヤケになってない?」

 と、アンナがヴィバリーをからかう。状況が混乱してくるほど、アンナだけが楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。戦士の血がさわぐみたいな……? いや、単に困っているヴィバリーを見るのが好きなだけか。

「言いたいように言えば。これも考えた末の結論よ。時間魔術師の正体も目的もわからない以上、今はそちらのことは考えずにアウラの城跡を目指す。私たちの邪魔をする気なら、いずれ手を出してくる。これきり何もなければ、それでよし」

 まぁ、理屈としてはその通りなのだが。それでもヴィバリーが普段より焦っているように見えたのは確かだ。森に入る前に言っていたように、アンナやユージーンの身を案じているんだとは思うが。

「つまり、なるようになれってことね。嫌いじゃないけど、そろそろどっかで休んだ方がいいんじゃない? ユージーンが完全におかしくなっちまってる」

 アンナは後ろに背負ったユージーンを指差す。彼女はもはやぐったりするのに慣れてきた(?)のか、なぜか無言でヘラヘラ笑っている……気持ち悪い。エルフも無敵じゃないってことか。

「そういえば、さっき洞窟みたいなのあったよな。あそこに戻って寝かせたらどうだ」

 俺はアンナの意見に賛同しつつ、後ろをちらりと振り返る。今となってはもう暗闇しか見えないが、確かに途中で横穴を見つけたのだ。自分が「あそこ入って休みてえ」と思ったのでよく覚えている。

 痛覚のない体のおかげで足が「痛む」ということはないのだが、体力の消耗は当然ある。それは痛みのない、妙な気だるさとして感じられる。純粋な疲労感がずしりと全身にのしかかってくるような感じ……つまり普通に辛い。

「時間魔術のせいなら、休ませて治るものじゃないわ。このまま進む。それが『白』としての私の決定。だから何も言わずについてきて」

 苛立ちを隠さずに言って、ヴィバリーはそれきり背を向けた。やっとまた四人揃ったと思ったら、さっそく空気が荒れてるな……この先には冬子がいるってのに、この調子で大丈夫なんだろうか。

 俺は歩をゆるめてアンナに近づき、ひそひそ声で話しかけた。

「……おい。あんまりあいつのこと、刺激しない方がいいんじゃないのか」

「刺激って?」

「ほら、ヤケになってるとかさ……リーダーのあいつが冷静じゃなくなったら、俺たちも危ないんだぞ」

 我ながら不安な声でそう言うと、アンナはくっくっと声を抑えて笑い出した。

「心配すんなよ、少年。あれぐらいキレてるうちに入んないから」

 それ、心配しない理由になってなくないか……?

「あの子がこれでいいって言うなら、その通りにしてれば大丈夫。今までそれで生きてこれた」

「……あいつのこと、よっぽど信用してるんだな」

 盲目的にも思えるようなアンナのヴィバリーへの信頼に、俺は素直に感心した。ときどき丸投げしてるようにも見えるけど、自分の命を預けるってことは、やっぱりそんな軽い覚悟じゃないんだ。

「まぁ、団長としてはね。人間的には全然信用してないけど」

 声を抑えて言うアンナ。その直後に、視界がふわっと明るくなった。松明を持ったヴィバリーがこちらを振り向いたのだ。

「……全部聞こえてるわよ」

「知ってて言った」

 アンナの余裕な答えに、ため息をつくヴィバリー。

 その時、急にユージーンが背中からぐいっとアンナの金の三つ編みをぐいっと引っ張った。

「痛ったぁ……急に何すんのさ、ユージーン!」

「音。におい」

 ユージーンが短く鋭い声で言う。それだけ言われても何もわからないが、何か危険を知らせたいらしいことは、その表情で誰もが理解した。ヴィバリーは松明を地面に置いて、細剣を抜く。アンナも弓を抱えたユージーンを地面に放り出して、自分の大鎚を両手でブンと振って構えた。俺はまあ、後ろに一歩下がった。

「音と臭い……竜か? 魔術師か?」

「…………」

 大声で問うアンナに、ユージーンは黙って困惑の目を向け、首を横に振る。

「どっちも違うってこと? よくわかんないんだけど……」

 そんなやりとりをしている間に、俺たちの耳にも異質な物音が聞こえてきた。みしっ、みしっ、と連続して木の幹がきしむ音。何かが木々を、枝から枝へと飛び移りながらこちらへ近づいてくる。これはたぶん、魔術師じゃない。

「竜か……!」

 舌舐めずりするアンナ。その顔の横を、スヒッと矢の一線が飛びすぎる。ユージーンの矢だ。雑な狙いで放たれた矢は、すぐ近くの木の幹をぶすりと貫いて止まった。なんつー貫通力だ。

「こっ……ユージーン! あたしを殺す気!?」

「あぅ……」

 申し訳なさそうな音を発しながら、弓を構え直すユージーン。だが、やはり狙いはゆらゆら揺れて定まらない。

「トーゴ、ユージーンから弓を取り上げて二人で後ろに下がって。ここは二人でやる」

 的確な指示を出しながら、アンナの横に並ぶヴィバリー。

 俺は言われた通り、弓ごとユージーンの体を抱えて後ろに下がる。弓は重そうだったので、代わりに矢を矢筒ごと取り上げた。うーっ、と不満げな声を出されたが致し方ない。

「来るッ。あたしが叩き落とす。あんたは首を!」

 いつもとは正反対に、アンナが激しい声で指示を出す。ヴィバリーも魔獣狩りはアンナの方が詳しいと知っているのか、黙って彼女の指示に従い、剣を引いて「突き」を繰り出す予備動作に入る。

 次の瞬間、頭上からくわっと大きな影が飛びかかってきた。……いや、大きくはない? 思ったよりもずっと小さい影だ。松明でゆらめく影が大きく見せたのか。

「おらっ!」

 その影を真っ正面から叩きつけるアンナの重い一撃。だが、「竜」はたやすく叩き落とされはしなかった。まるでアンナの迎撃を予想していたように、空中で体をくねらせ、太い尻尾を振って大鎚に叩きつけたのだ。

「くぁ……っ!?」

 予想外の賢しい抵抗に、ひるんだ声を上げるアンナ。だが、力比べはアンナの勝ちだ。竜は吹き飛ばされて、さっきユージーンが撃った木に叩きつけられる。

「シギャァァァァッ!」

 その巨大なトカゲは、松明の炎に照らされて雄叫びをあげた。俺はふと違和感を覚える。この姿……この鳴き声。見覚えがある。聞き覚えがある。

 俺がそんなことを考えている間に、ヴィバリーの閃光のような突きが竜の喉元を刺す。だが、それも再び瞬時の動きでわずかに急所を逸れたらしい。ふた突きめをねじこまれる前に、竜はただの獣とは思えない俊敏な動きでくるりと身を翻し、ヴィバリーを牽制しながら木々の陰に消えた。そして、その動きにも俺は……見覚えがあった。

「おいッ、ヴィバリー! あれって……?」

「静かに。邪魔っ!」

 鬱陶しそうに言って、ヴィバリーは暗闇に目を凝らしつつ前に出る。アンナも横に並び、身を低くして大鎚を構える。一瞬の静けさ。互いに息をひそめ、牙をむいて睨み合う狩人と狩人。俺は緊張感にのまれてぐっと息を詰まらせる。

(今の「竜」……まさか)

 頭の中で、記憶をたぐる。間近でじっくり見たわけじゃない。この世界の「竜」なんてみんなあんな姿なのかもしれない。それに、あいつがここにいる理由がない。さっきの砂塵騎士団といい、不可解な出会いが多すぎる。

「シッ!」

 短く強く息を吐く獣の声。ヴィバリーの頭上に、黒い影が落ちる。とっさにアンナが大鎚を振る。だが、弾け飛んだのは竜の血肉ではなかった。すぐに気づいて、舌打ちするアンナ。

「チッ……!」

 バカッと音がして、木片が砕け散る。これは囮だ。

「カァァァッ!!」

 大鎚の旋風で枝葉が舞い散る中、咆哮とともに竜が駆ける。その瞬間、俺は「竜」の横顔が火に照らされるのを見た。そこには、鱗のはげた生々しい火傷の跡があった。

「……カナリヤ!」

 俺が叫んだ瞬間、竜の足がぴくりと止まった。

 その隙を無情な騎士たちが見逃すはずもなく。ヴィバリーはまっすぐにその目を突き、鮮血が周囲に飛んだ。

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