第17話 幻影城奇譚

 ――細い路地を歩いていた。見慣れない道だ。狭い坂道。左右には背の高い、石造りの家々。息苦しいようでいて、どこか落ち着くような。変な感じの道だった。

 俺はぼんやり石畳を眺めながら、無心に足を動かした。すれ違う人々は、男も女も誰もが無愛想で、よく見ると少し透けている。それで俺は、ああ、これは夢なんだなと気づいた。ローエングリンの襲撃に備える間、ぼんやりしているうちにうたた寝してしまったんだろう。

 夢だと気づくと、なんとなく好き勝手したくなる。自分で夢だとわかってる夢――明晰夢って言うんだっけか。俺はそもそも夢自体ほとんど見ないタチだし、明晰夢となればもっと珍しい。どうせなら、楽しんでおこうと思った。

「おーい!」

 意味もなく大声をあげてみたり。まあ、小市民の俺が思いつく「好き勝手」なんてこんなものだ。セクハラとか泥棒も思いついたが、夢の中とはいえ人間の形をしたものに何かするのはやはり気が引けた。

 とりあえず、そのまま坂道を上っていく。周りを歩く人々も、多くは同じ方向へ行くようだった。この街では、誰もが寡黙らしかった。何も言わず、何も見ず。それとも、俺にこの世界の言葉が聞こえないだけなのか? まだ、よくわからない。何しろ夢なのだから。どんなことでも起こり得るのだろう。


 人の流れに沿っていくうちに、景色に徐々におかしなものが混じり始めた。夢だと思えば、そこまで奇妙でもないのだが……それにしたって、俺らしくない夢だ。

 空を飛ぶ鳥たちは、よく見るとふわふわ飛ぶ人間だったり。おっさんから子供まで、多種多様な人間たちが、カラスみたいに屋根の上でガァガァ鳴いたりぼんやりたむろったりしている。糞を落としたりしなきゃいいが。

 そして、街並みもどこか歪んでいる……歪んでいるというか、まるで子供がそこら中に無計画に建物を作りまくって、気が向くままに増築したりつなぎ合わせたりしているような。いや、子供に建物は作れないが――そうとしか言いようのない無秩序さなのだ。

 網目みたいに複雑に絡まりあう空中回廊やら、無駄に空まで長々と伸びて誰も登らなそうな塔やら。小学生にマインクラフトで好き勝手な街を作らせたらこんな風になるだろうか。かと思えば、ぽっかりと地下に空間があいて、その底に工場みたいに整然とした街並みがあったり。

 そう、要するに「ばらばら」なのだ。無数の意志が、無数の街が組み合わさってできているような。そんな、カオスな世界だった。


 人混みの中で、急に隣の中年男から話しかけられた。

「なあ、あんた。ここは初めてだろう?」

 普段なら、警戒心の強い――すなわち小心者である俺は、そういう怪しい奴とは話さないのだが。ここは何しろ夢の中だ。いきなり腹を刺されても死ぬわけじゃなし。

「まあ、そうだけど。夢なんて、どうせ毎回違うもんだろ」

 年上のおっさん相手に敬語も使わず話す自分を、少し頼もしく思う。夢の中ぐらいは堂々とした人間でいようじゃないか。おっさんは俺の反応を聞いて、ケタケタ笑った。

「そんなことを言うくらいだ。ホントにこりゃあ、お上りさんだね。しかし、幸運なことだよ、君……この夢を見出せたことは」

「ふうん……」

 なんだか馬鹿にされている気がして、鬱陶しくなった俺は目をそらして空を見る。空までも、やはりどこかおかしい。ある瞬間には青空で。次の瞬間は夕暮れで。夕暮れ空の端っこに、浮いた雲の隙間から「夜」が見える。

「楽しみたまえよ。この夢は一瞬であり永遠だ。まさに幻影そのもの……いやさ、現実もまたそんなものであろう? 夢と現の間には……夕暮れの影がさすばかり」

 再び、おっさんに視線を戻すと――そこには、老人がいた。会話をしながら、いつのまにか入れ替わっていたのか。いや、同じ人間が、姿を変えたのか。

「あんた、さっきまでおっさんだったよな?」

 夢の中なら、まあ驚くほどのことではないのだが。現実でも、魔術師相手なら起こりそうなことだし。元おっさんのじいさんは、さっきと同じ笑い方でケタケタ笑った。

「そうだったかのう。どうだったかのう? はて、はて……」

 はぐらかすじいさんに、俺はため息をついて顔をそらす。と、今度はまた違う声色が聞こえた。

「どうだったかしらねえ。何が本当だったかな? さて、さて……」

 今度は、20代後半くらいの色気のある女が隣を歩いていた。面食らう俺を見て、彼女はケタケタ笑った。

「どんな姿をしてもいいんだよ。ここでは全てが許される。あなたが何者であろうとも。人間も、魔術師も、力あるもの、力なきもの、生あるもの、死せるもの、夢みるものなら誰もが、思うままの自由を得られる。ここは、永遠の……おっと」

 言葉の途中で、元おっさんの元じいさんの女は急に話を中断して、俺を追い越してとっとこ駆けていった。

「空を見てたら、なんだか急に飛びたくなってきた。話の続きは他のやつとしておくれよ。そら……!」

 勝手に言うだけ言って、彼女はふわっとジャンプしたかと思うと空に飛び立っていった。確かに、いろいろと自由だ。

 周りを見回すと、確かにさっきの元おっさんと同じように、見るたび姿の違う誰かが歩いているようだった。……濃いキャラだったが、あれもこの夢ではモブキャラということらしい。


 とはいえ、またわけのわからん連中と話す気もせず、俺は淡々と坂道を歩き続けた。せっかくの自由な夢を楽しまないのはもったいない気もしたが、夢の中だろうと、結局のところ俺は俺だ。性格が変わるわけじゃない。さっきのおっさんみたいに、ぱっと他人に変わることなんてできやしない。空を飛びたいわけでもない。高いところは苦手だし。

 やがて、噴水のある大きな広場に出た。古めかしい、どこかの白黒の洋画で見たような広場。オードリー・ヘップバーンとかがいそうな。よく知らんけど。

 見たところ、この場所は他と違って、奇妙なほど普通だった。つまり、夢らしい異常現象が何も起きていない。普通の噴水と広場だ。人間じゃなくハト(っぽい鳥)が飛んでいて、ベンチがあって。

 俺はなんとなくホッとして、その木のベンチに腰掛けて、ぼんやり人の流れを眺めた。プリズムみたいに見るたび色を変え姿を変える人々。幽霊にしては生き生きとして、かといって誰一人おしゃべりもしない。まるでお互い、少しだけずれた別の世界にいるように。

 やはり妙な夢だ。何が面白くてこんな夢を見るのか。そもそも、のんびり夢なんか見てる場合なのか? 現実では、無敵の魔術騎士が俺たちの命を狙ってる。戦闘になれば俺は見てるだけとはいえ、さすがに寝てるわけにはいかんだろう。

 ――さっさと醒めるか。しかし、どうやって? セオリーとしては、やはり「夢の中で死ぬ」とかだろうか。そのまま現実で死ぬみたいな話もないではないが。

 俺は周囲を見回して、どこか飛び降りられそうな塔を目で探す。尖塔みたいなものはそこかしこに生えているが、どうもそこにたどり着く道が見えない。おそらく、空を飛んでる連中が使うものなんだろう。

 ふと、俺は周りの人の波がどこかにふっと消えていくことに気がつく。最初は、この広場が行き止まりだと思っていたんだが、どうやら他の連中はもっと先へ進んでいくようだ。どうも俺には見えない道があって、そこに歩いていくようだ。

 見えないゴールみたいなものがあって、たどり着ければ夢から覚めるとかだろうか?

「つっても……どこ行きゃいいんだよ」

 思わず独り言が漏れる。歩いてく連中が消える瞬間を見定めようとするのだが、どうも見えないというより「認識できない」ようなのだ、俺には。じっと一人を目で追っていても、いつのまにか他の人間とすり替わっていたり。

 ベンチを離れて、広場を端から端まで歩いてみるも、やはり道は俺が登ってきた坂道だけだった。

「くそっ……」

 なんとなく、疎外感を抱かずにいられなかった。他の連中には見えてるものが、俺には見えてない。俺だけ置いてけぼりをくらって、この広場に閉じ込められているのか。


 やがて疲れた俺は、噴水の縁に腰掛けてため息をつく。この世界では、こんな風にあくせく焦ってるのも俺だけみたいだ。俺の夢ならもっと俺の思い通りになってもいいだろうに。明晰夢というより、むしろ悪夢の一種なのかもしれない。

 そう思いかけた時――横から、不意に声をかけられた。

「ねえねえ、お兄さん。迷子なの?」

 振り向くと、噴水の縁に、俺と同じように腰掛ける少女がいた。いや、見た目年齢的には幼女と言ったほうが近そうだ。にこにこと人懐っこい微笑を浮かべて、眠たそうな目で、しかし興味ありげに俺の方を見ている。

「不思議なこともあるもんだねえ。この城に来る人は、みんな道がわかるはずなんだけどなぁ。ふっふふー……しかも、騎士さんかぁ。へんなの。ま、全然いないわけじゃないけどさ」

 紫色のふかふかした、いかにも子供っぽいパジャマみたいなものを着ているが――その言葉も目つきも、どことなく大人びて年相応には見えない。さっきのおっさんのことを考えると、こいつも子供なのは見た目だけで、中身はおっさんかもしれない。くそっ、つい疑い深くなるな……

「ふわぁ……あー、ねむ……」

 小脇にでっかい枕(?)を抱えて、今にも寝入りそうな格好であくびをする幼女。

「今、『城』って言ったよな。このへんに、城があるのか?」

 俺が尋ねると、彼女はくすくす笑って瞳をくるくる動かした。

「あらら……お城も見えていないんだ。ふーん……じゃあ、すっかり獣なんだね。ふっふふ……わんちゃんって呼んでもいい?」

「はぁ? いいわけねえだろ……」

 思わずウンザリした口調になる俺。生意気なガキだ。たとえ中身がおっさんだろうと、あるいは見たままの子供だろうと、いきなり犬呼ばわりとは無礼にもほどがある。

「そーお? 従順そうだし、ぴったりだと思うけど……ふわぁーあ。でも、なんでここに紛れ込んだんだろ……あの子が呼んだのかなぁ? そんなわけないか……」

 ぶつぶつと意味ありげな独り言をつづける幼女。だが、こういう思わせぶりなやつは大抵、重要な情報を持ってるものだ。俺は咳払いをして、改めて彼女に話しかけた。

「あー……なあ、君。俺、この夢から醒めたいんだけどさ。なんか方法知ってるか?」

 子供は苦手だ。何をするか予測がつかないし、それでいて傷つけないように庇護してやらなきゃいけない。とにかく、面倒の塊だ。

 幼女はにまっと口を横に開いて笑った。不吉な予感を抱いて、眉をひそめる俺。

「いーよ、わんちゃん。教えてあげる。その代わり、私がわんちゃんって呼んだら『ワン!』って返事してくれる?」

 ――ほら、やっぱり面倒なことを言い出した。

「あのなあ。ここ、夢の中なんだぞ。生意気なガキをひっぱたいたって誰も咎めやしない。夢だと思えば、俺も罪悪感ないしな。いいから教えろ」

 ちょっと言い方ひどすぎたか、と思いつつ強気に出る俺。最近は会うやつみんな強い連中ばっかりだったから、久しぶりに強気に出れる相手に会って、調子に乗っていたのかもしれない。それが年下の子供というのは、なんとも情けないが。

 しかし……甘かった。

「……ふーん。そーいう態度なんだ」

 幼女がすうっと目を細めた瞬間。俺は、壁の中にいた。

「え……?」

 ウィザードリィみたいに完全に石のなかにいるという意味じゃなく。四方を壁に囲まれて、身動きが取れなくなっていたのだ。腰掛けた噴水も、壁でぶっつり切られて水の流れが止まっている。

「ほらー、わん! って言ってよ、わんちゃん。きっと声に出してみたら結構楽しいよ」

 壁の向こうから、さっきの幼女の声がした。

 俺は力を込めて壁を叩くが、びくともしない。なんなんだ一体、この夢は。俺以外は好き勝手になんでもできるくせに、俺は何もできないってことか。

「それにホラ、『夢の恥はかきすて』って言うでしょ。夢から醒めたら誰も覚えてないんだし。恥ずかしがらずに言ってみてよー」

 そんな変なことわざ、この世界にだって絶対ないと思うが。

 子供相手に意地を張るのもだんだんバカバカしくなってきた俺は、ため息をついて顔を伏せ、小声でそれを口にした。

「……わん」

 次の瞬間、壁は消え失せ、噴水の水は元どおりに流れていた。

「よくできました! うん、かわいいかわいい。かーわーいーい!」

 ぱちぱちと手を叩きながら、嬉しそうに笑う幼女。

 ……この翻弄される感じ、キスティニーを思い出す。だが、こっちは小さい子供だけに、腹は立つものの心のどこかで「子供のすることだ」と納得できるだけましな気がする。依然として、中身がおっさんである疑惑が晴れたわけではないが。

「……それで、夢から醒める方法は?」

 一瞬、何の話だっけというふうに目をパチクリさせる幼女。やっぱり中身も子供かもしれない。おっさんだとしたら、かなりの演技力だ。心は幼女なおっさんなのか。その場合、心も見た目も幼女だからノーカン……か?

「あー、そうそう、その話ね。えっとぉ……夢から醒めるのは、たぶん無理かなー。ふわぁ……むにゃ……」

「は?」

 急に興味を失ったように、眠そうな顔であくびをする幼女。

「ふつうは、みんな好きな時に目覚められるんだけど。わんちゃんは、夢を動かせないでしょ。夢みていないから」

「は?」

 再び、同じ声で聞き返す俺。言葉はわかるが、意味がわからない。幼女はすはぁと深く息を吸って、じっくりと言葉を吟味するようにしながら、説明を始めた。

「つまりね……うーん……ここは、あなたの夢じゃないの。ここは、夢みるみんなの夢なんだ。もともとは、ある魔術師が作った夢なんだけど……彼女が、そこに国を丸ごと入れちゃって。それから、たくさん人が住む大きな夢になって。せっかくだから、彼女は夢の門戸を開いて、誰でも来られるようにしたのよ」

「……ちょっと待て。混乱してきた……」

 聞き覚えがある話のような気がするが、思い出せない。国ひとつ、丸ごと夢の中に入れた魔術師……ヴィバリーが何か話していたような。

 いや、今はそのことはいい。とにかく、ここを出る方法を探すのが先だ。

「誰でも来られるなら、誰でも出られるんじゃないのか……?」

 俺の質問に、幼女は首を横に振る。

「この夢をみる唯一の資格は、夢を持ってること。願いがあること。っていっても、魔術師になるぐらいの強い願いはいらないの。狂っちゃうような夢じゃなくていい」

 彼女はふわっと浮いて、抱えていた枕の上に腰掛けた。

「小さな夢。でも、叶わない夢。それさえあれば、この夢の中で自由にふるまえる。いいことも、悪いことも。空を飛んで、姿を変えて、好き勝手に家を建てて。地下の方では、人殺しの夢をみる人もいる。市街地では、ただ一人でつましい暮らしをしている人もいる。何でもいいし、何でもできる。ここは、夢みるものの聖域サンクチュアリなんだよ」

「聖域……」

 ようやく、なんとなく理解ができた。この夢が何なのか――

 つまりは、MMO系のネトゲみたいなもんだ。この世界に散らばった夢見がちな、かといって魔術師になるほどでもないようなくすぶった連中が、一つの夢の中に集まって、自分たちの「夢」を叶えている。共同幻想ってとこだろうか。

「俺には、その資格がないってのか? だから、何もできないって……」

 俺にだって、夢みたいなものはある。冬子みたいな空想・妄想ではないにしろ、ああしたいとかこうしたいって願いはある。あるつもりだ。

 だが、幼女はそんな俺の考えをきっぱり切り捨てた。

「うん。わんちゃんの心には、何もないよ。だって、あったらお城が見えてるはずだもん」

「だから、お城なんてどこに……!」

 口答えする俺にあきれたとでもいう風に、彼女ははぁーっと長いため息をついた。

「しょーがないなあ。私のわんちゃんだし、お世話してあげなきゃいけないか。眠いけど……私がお城につれてったげる。あそこなら、他の方法も見つかるかも。ほら、おいで。お散歩いこっ」

「あ、ああ……」

 お前のわんちゃんじゃねーよ、と言いたいところをぐっとこらえて、うなづく俺。だが、歩き出すかに見えた幼女はピタッと立ち止まって、不満げに俺を振り返った。

「ん。返事」

 ……くそっ。

「わん……」

 幼女は再びにまっと笑って、ペットにお手でもさせるように、俺に向かって右手を差し出した。いや、これはエスコートしてやるって意味なのか。

 しぶしぶ、俺も自分の右手を出して……彼女の小さな手に触れた。


 その途端に。景色が、一変した。


 色褪せた世界が、オーロラのように輝きはじめて。重なり合う無数の風景が、俺の目に同時に映るようになり。そして、その全ての中心に――「城」はあった。城と言っていいのかどうか。その、巨大な「何か」は、確かにそこにあったのだ。

 地上から伸び、天上から伸びる二つの城壁。それらが中空で繋がって、巨大な砂時計のような形をつくっている。尖塔は渦を巻き、からみあい、砂時計の接合部を囲むように、曼荼羅のような模様を描いている。さらに、空の向こうに目をそらすと、どうやらそちら側にも「地上」があるらしい。スケールがでかすぎて、もはや何が何だかわからない。だが彼女の目を通じて、俺にもその存在をはっきりと知覚できていた。

 彼女がやたらと俺に見えないことをからかいたくなった気持ちもわかる。こんなもの、もし見えるのならば、見逃すはずはない。

「我らが『幻影城』へようこそ、わんちゃん。私の名前はコララディ。終わらない夜のナイティ・ナイトコララディ。以後、お見知りおきあーれ」

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