第12話 千年王国の魔術騎士

 翌朝。同席を嫌がって逃げたユージーンを除く我らが冬寂騎士団は、月光騎士団の面々と向き合って座っていた。

「……さて、昨夜は存分に愉しませてもらった。返礼として、そちらの質問に可能な限り答えよう」

 俺たちの馬車よりさらに豪奢な天幕の下、ガートルードは堂々と言った。昨日負ったはずの致命傷もすっかり消え失せ、変わりない不遜で不敵な笑みを浮かべている。当然ながら悪びれた様子もゼロ。すなわち、うちの団長をキレさせるに十分な態度であった。

「チッ……」

 聞こえよがしに舌打ちしつつ、ヴィバリーは早速詰問する。

「まず、一つ聞かせてもらう。何故、うちの騎士を襲った?」

「私の気が向いたからだ」

 くっくっと笑いながら、ガートルード。

「諸君も承知していると思うが、我ら千年王国のエルフにとって外部の人間は皆、野を駆ける獣と同じ。殺生はいかなる罪にも問われない。今、諸君を生かしているのも同じ理由だ」

「貴様に媚びて、ご機嫌伺いでもしろと?」

 苛立ちつつも、相手に戦意がないことを知ってかヴィバリーは怒りというよりうんざりした様子だった。だが、どうやらそんな不機嫌な態度もまた、ガートルードを喜ばせるようだった。

「くふ……いや。私は人も獣もあるがままの姿が好きだ。諸君らは己の望むようにするがいい。我々の目的を邪魔しない限り、我々もこれ以上の邪魔はせん」

「……そちらの目的、とは何か?」

 ヴィバリーはやや慎重な面持ちで尋ねた。俺たちの目的は、冬子に会って――「調査」すること。もしかすると、こいつらも同じではないのか。こんな人気のない荒野に、こんな明らかに一般的でない強さの騎士団がうろついてるなんて、偶然とは思いがたい。

 だとしたら、こいつらは競合相手になる可能性がある……いや、全部俺が勝手に想像してるだけなので、ヴィバリーの考えてることは全く別かもしれないが。

 ガートルードは静かにその視線を受け止めながら、すうっと目を細めた。

「さて……これは答えてよいことだったかな。ウィーゼル、どうだったか?」

 すると、背後に控えていた例のぬぼっとした男が歩み出た。よく見ると、小脇に黒い兜を抱えている……このウィーゼルという男も、どうやら俺と同じ「黒の騎士」らしい。

「……構わんでしょう。身内の恥とはいえ、今さら陛下も隠す気はありますまい」

 ウィーゼルはぼそぼそと告げて、再び後ろに下がった。肩をすくめるガートルード。

「お前がそう言うならば、よかろう。我々はある魔術師を追っている」

 横に並んだヴィバリーとアンナの間に、一瞬ぴりっと緊張が走る。だが、続くガートルードの言葉でどうやらそれは早とちりであったと知れた。

「我々の獲物は……魔術師であり、同時に騎士でもあった。名はローエングリン。千年王国の騎士として、長く王族に仕えた優秀なエルフだ。私も同僚としてよく知っている。知っているつもりであった」

 魔術師で騎士……正反対の性質に思えるが、両立できるものなのか。

 そういえば、さっきからエロい手つきでガートルードにまとわりついてる例の女魔術師(ジェミなんとか?)も、騎士団の一員なんだろうか。いや、ガートルードは青と白って言ってたから、残るは赤と黒。あの魔術師はキスティニー同様ただのオマケか。

「先日、ローエングリンは突如として騎士の位を辞した。何やら天啓を受けたと言ってな。要はとち狂ったのだ。そして王国を出奔し、西へと旅立った。騎士を辞すること自体は罪ではないが、同族が任務以外の理由で王国を離れることは許されん。それは我らが母たるネリマルノンの愛に対する裏切りだからだ」

「ネリ……誰だ?」

 俺は小声でヴィバリーに尋ねた。

魔導師ウィザードよ。千年王国の大領主、這うものクロウリング・ウィッチネリマルノン……肉体魔術を使って、エルフという種族を生み出したと言われている。長い間、表舞台に姿を見せたことはないけれど」

 ヴィバリーの説明に、ガートルードは眉をひそめた。

「千年王国でその忌まわしい呼び名を口にせんことだ。旅慣れた私と違って、母への侮辱に慣れない同族もいる……血の繋がりはなくとも、ネリマルノンは確かに我らエルフを人の改良種として生み出されたお方だ。私は第二世代の王子として、何度か拝謁の名誉を賜ったことがある。……美しい魔女ウィッチだった。さすがに、母親に欲情はせんがな」

 そう言って、フッと笑うガートルード。昨夜から感じてはいたが、こいつはいちいち話をシモの方向に持って行きたがるな……。両性具有だけあって、見た目は美女でも中身はおっさんに近いのかもしれない。ヴィバリーへのセクハラもそれで納得がいくような気がする。

「話が逸れたわよ。本題に戻って」

 ヴィバリーに指摘され、ガートルードは愉快そうに居住まいを正す。すらりとした脚を組み直す姿は艶かしいが、その脚の間に潜むモノを考えるとなんとも複雑な心地だ。

「……つまり、我々は身内の裏切り者を追っている。彼女を狩ることが唯一至上の目的であり、それ以外のことに興味はない。ご理解いただけたかな?」

 ヴィバリーはしばし沈黙した後、ため息をつきつつうなづいた。

「そうね。それだけ聞けば十分。我々もこれ以上、関わり合いになりたくない。ただでさえ時間を浪費した」

 さっさと立ち去ろうとするヴィバリーを、ガートルードは素早く制する。

「そう急くな。こちらからも聞きたいことがある。お前たちは何を追っている? いかに野を行く獣とて、目的もなくアウラの荒野に踏み入ることはあるまい。まして我らと時を同じくして……偶然ではなかろう?」

 俺たちが感じる疑問は、向こうも感じて当然か。ヴィバリーはガートルードとは視線を合わさず、立ち上がって背を向けた。

「答える義理はない」

「それもそうだ。ならばいずれ、『気が向いたら』改めて聞かせてもらうとしよう。あるいは、ローエングリンが答えを持っているのかもしれん……彼女の首に尋ねるのもよかろう」

 不吉なつぶやきを聞きながら、俺たちは月光騎士団の天幕を後にした。


「……んで、どうする団長? このままあいつらがどっか行くまでシカトするってことか? 邪魔なら潰しちゃってもいいんじゃないの」

 馬車の近くに戻ってから、アンナが言った。物騒だが、暴力直結のヤンキー的な発想はアンナらしい。

「あまり現実的じゃないわね。悔しいけど、彼らは強いわ。今は敵対しない方が無難よ」

 一方、ヴィバリーはやはり冷静だった。朝はだいぶキレてるみたいだったが、話している間に落ち着いたのだろうか。いや、内心どれだけキレていても、団長としての判断は冷静に下せるのが彼女なのだろう。

「まー、エルフはさすがに手強いだろうけど、他は人間だろ。昨夜みたいにあのヘンテコ魔術師に手伝わせれば、あたしらでも勝てそうな気がするけどな……」

 まだ納得いかない様子のアンナは、口を尖らせてぶつぶつと言う。ヘンテコ魔術師ことキスティニーの名前が出た途端、ヴィバリーは表情を曇らせた。

「あの女は当てにしないで。昨夜のは一度きりよ。やっぱり、戦闘で当てにできるような相手じゃないわ」

「ほーん……まあ、今回は白の判断に従うさ」

「今回と言わず常にそうすべきなのよ、本来」

 嫌味で返しつつも、ヴィバリーは複雑な表情でうつむいた。その様子を見て、俺はふと気になっていたことを口にする。

「そういえば……どうやってキスティニーに戦闘手伝わせたんだ?」

「聞かないで。ろくなことじゃないから」

 そう言われると、かえって気になる。ヴィバリーがさっさと馬車の中に姿を消すのを見届けた後で、俺はアンナに尋ねてみた。

「アンナは知ってるのか?」

「さーね。二人でなんかゴニョゴニョ話してたけど、それだけだったよ」

 ゴニョゴニョか……さらに気になる。

 馬車の外に立ってあれこれ妄想を膨らませていると、不意にアンナが声をかけてきた。

「あー……そういや、トーゴ。あんたに一度話しときたいことあるんだけど。今、時間ある?」

「へ? ああ、時間ならあるけど……?」

 そりゃまあ大した仕事があるわけでもなし、時間はいくらでもある。困惑していると、アンナは馬車の方を少し気にしつつ、アゴをくいっと動かして俺についてくるようにと合図した。


 馬車から少し離れた岩陰で。岩に腰掛けたアンナは、いつもより真面目な顔でじっと俺の方を見た。二人きりとはいえ、色恋沙汰のイベントが起きるとは全く思えない自分の冷静さが悲しい。

「……で、わざわざヴィバリーから離れて、俺に何の話なんだ?」

 そう聞くと、アンナはやや言いにくそうに頭をぽりぽり掻いた。

「まあ、そんな大した話じゃないけど。今のうちに言っとかないと、話せる機会ないと思ってね。ほらあたしたちが探してる……例のフユコって子のこと」

 その名前を聞くだけで、犯した罪を責められている気がして気が重くなる。

「…………」

 俺が黙っていると、アンナは先を続けた。

「たとえイクシビエドがその子を殺せって命令して来たとしても、あたしは手を出さないから。それだけ、承知しといて」

「え……?」

 思わず、ぽかんとする俺。アンナはいつもの調子でからっと笑った。

「ヴィバリーがどこまで本気かはわかんないけど……ユージーンはいい子だし、多分話せばわかってくれると思う。だから最悪、あたしたち二人でヴィバリーをふんじばれば大丈夫じゃないかな」

 俺は、困惑していた。どうして他人のアンナが自分の立場を危うくしてまで、俺の妹のことを気にかけてくれるのか。いや、アンナがおせっかい焼きだってことはわかってる。でも、俺にはその気持ちが想像できなかった。俺なら、絶対にしないことだから。

「……どうしてだ?」

「どうしてって……そりゃ、あんたの妹なんだろ。血の繋がった家族ならさ。生きて、一緒にいる方がいいよ。死んだと思ってた家族が生きてたなんて、夢みたいじゃない?」

 アンナは、そう言って片手に握った大鎚ビリーを悲しげに眺めた。そうか――魔獣に殺された自分の弟と、冬子のことを重ねているのか。

「アンナ……その、ありがとう」

 俺はそう言うしかなかった。冬子が死なずに済むなら……それはいいことだと頭では思ってる。でも本音の本音を言えば、俺は冬子に向き合うのが怖い。あいつが俺をどう思っているのか。自分を殺した兄を……。いっそ、死んでてくれた方が俺の気は楽だっただろう。そんなこと、アンナには絶対言えないけれど。

「礼なんかいいって、別に。まあ、イクシビエドが代わりの騎士団を送ってよこしたりしたら、そん時ゃあたしもさすがに助けてやれないと思うけどね。……でも、もし無事に済んだら、大事にしてやんなよ」

 アンナは俺を一片も疑うことなく、そう言って微笑んだ。そんな風に優しくされるたびに、俺は無性に悲しくなった。

 世界ってやつは残酷だ。どうして、何もかもが起きてしまった後で、こんな風に誰かが俺に逃げ道を与えてくれるのか。もう、とっくに手遅れなのに。自分がやってしまったことから、逃げることなんかできやしないのに……

「……トーゴ? どうした?」

「え?」

 ぽつっと、水滴が俺の膝に落ちた。雨でも降ってきたかと思ったが、そうじゃなかった。ほんの数滴だけだが、それは俺の目から出た涙だった。

「何だよ、あたしの話がそんなに感動的だったか? しょうがないな、ったく……肩でも貸してやろうか?」

 冗談半分にだが、もしそうしたいと言ったら、アンナは本当に寄りかからせてくれただろう。俺は涙を雑にぬぐって、首を横に振った。さすがにそれは、情けなさすぎる。

「そっか……あんた、本当に妹のこと好きなんだな」

「……そういうわけじゃないんだよ」

 苦い顔で否定すると、アンナは可笑しそうに笑った。

「照れんなよ、お兄ちゃん」

 ――違うんだ。これは冬子のための涙じゃない。俺は結局、この期に及んでさえ、自分自身のためにしか泣くことさえできない人間なんだ。そのことが、また無性に悲しかった。

「さて……んじゃ、あたしは先に戻るから。ヴィバリーに勘付かれても面倒だし」

 そう言って腰を上げたアンナは、ふとその場で立ち止まった。

「ん? ……霧か」

 アンナのつぶやきを聞いて、俺も周囲の変化に気がついた。荒野に足を踏み入れてから、ずっと乾燥した天気が続いていたが……いつの間にか、周囲を薄っすらと霧が覆っていた。

「馬車の方向わかってるよな? アンナ」

 からかい半分にそう声をかけると、アンナは苦笑してこちらを振り返り――

「……アンナ?」

 そのまま、ぴたりと凍りついた。俺は何が起きたのかわからず、数秒の間、ぽかんと地面に座っていた。それから徐々に、状況のおかしさに気がついた。アンナは声を出そうとして出せずにいるように、口を小さく開いたまま顔を歪めた。その顔は徐々に歪み、笑いが消え、青ざめ始めていた。

「アンナ……?」

 声をあげた瞬間、目の前で血が爆ぜた。血を浴びながら、呆然と視線を向けると、そこに剣があった。まっすぐに、アンナの腹を貫き、こちらへと伸びる、血に濡れた銀色の刃が。

「……がふっ……。ちく、しょ……」

 アンナは口から血と悪態を吐きながら、背後に立つ暗殺者を睨みつけようとした。だが、相手はすでにそこにはなく、アンナはぐったりとその場に崩れ落ちた。

 俺は思わず飛び出して、アンナに駆け寄った。彼女の目は光を失っていた。ぞっとして、耳を近づける。細い呼吸の音。まだ生きてる。

「……っ……誰が……」

 見回して、俺は言葉を失った。誰もいないのだ。アンナを貫いた剣さえも、跡形もなく消えていた。あるのは、俺とアンナと、ただ真っ白な霧だけ。霧はついさっきよりもさらに濃くなり、もはや一寸先も見えなくなっている。

 血管がどくどくと音を立て、頭に血を送る。何とかしてこの場を切り抜けられないか。どうすればアンナを助けられるか。必死に脳を働かせて。だが、そんな策なんて、あるわけがない。――俺がパニックに陥りかけた時。

「……死を恐れるな」

 かすれた女の声がした。俺の耳元で。

「生はひとときの夢」

 それから、何かが視界にずるりと伸びていくのが見えた。下から、上へ。

「今はお眠り……」

 それは、アンナの体を貫いたのと同じ、血まみれの銀の剣だった。

「霧の中で、静かに」

 痛みのないまま、腹を刺される異物感。暗くなっていく視界。力なく垂れ下がる自分の腕の感覚。かつて一度やり過ごしたはずの死が再び、避けようもなく俺の目の前にあった。

「……おやすみ」

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