第10話 魔術師なるもの

「……兄貴」

 浅い眠りの中で。

「兄貴?」

 俺は、確かに冬子の声を聞いていた。

「…………」

 瞼が重くて開かない。体が重くて動かない。

「……生きてるの?」

 俺は返事ができなかった。心も体も疲れきっている。

 何もかもが遠くにある。暗闇の中に、俺の意識だけがある。

 このまま全てが、俺の手の届かない遠くにあればいい。俺はもう、目を覚ましたくない。目を覚ましたら、俺はまたろくでもないことをする。俺はもう、何もしたくない。俺の心は弱くて、邪悪で、何かを選ばせれば必ず間違ったことをする。

「…………生きてるね」

 近くに、息遣いが聞こえた。冬子の息が。冬子が生きている。

 よかった。俺は――お前が生きててよかった。

「兄貴」

 ほんのわずかに。瞼が開いて。あいつの顔が。見えた。

「……死ね」



「……ッ! ハァ……ハァ……あ?」

 荒い息をしながら飛び起きると、目の前にユージーンの顔があった。俺の顔を不思議そうにじっと覗き込んで、笑うでもなく、心配するでもなく、ただ観察していた。

「……どこだ、ここ?」

 俺が聞くとユージーンは、困ったように眉根を寄せて、目をそらした。どう答えていいかわからない、ということだろうか。自分で考えるしかなさそうだ。

 見回すと、周囲にあるのは暗闇ばかり。明かりのない、薄暗い部屋――部屋? いや、部屋じゃない。がたがたと、体に感じる振動。――動いてる。

「あーっ、起きた? 起きてる? 寝心地いかが? 夢見は最悪? シ、シ、シ……」

 急に、むかつく目覚まし時計みたいなキンキン声が耳元で響く。

「うわっ!?」

 反射的に体を逆方向に動かそうとして、俺はバランスを崩して倒れこんだ。痛みはないが、気分は悪い。だが、おかげでやっと状況が飲み込めた。カポカポとリズムのいい蹄鉄の音、がらがら回る車輪の音……ここは、馬車の中だ。

「騒がしいな、起きて早々……」

 部屋の端にあったカーテン状の垂れ幕をひょいと上げて、アンナが顔を出した。

「……アンナ……お早う」

「日が変わるほど寝てないよ。まだ、夕方だ」

 そう言うと、アンナは垂れ幕をざっと横に引いた。奥の覗き窓から夕日が差し込み、広々とした馬車の中を照らし出す。

 積まれた荷物の隣には、クッションにカーペット……屋根も付いてるし、昨日乗った馬車より、数段豪華だ。乗り心地もまるで違う。馬車の中だと気づかなかったわけだ。

 きょろきょろ見回していると、アンナの横でじっと座ってたヴィバリーが、何も言わずに俺の顔をちらりと一瞥するのが目に入った。

「……俺が気を失ってる間に、何があったんだ?」

 俺の隣にプカプカ浮かんでいるキスティニーを顎で差しつつ、ヴィバリーに向かって尋ねる。

「特に大きな変化はないわよ。西へ仕事に行くって話は聞いてたでしょう。あなたが目を覚ますのを待っていられなかったから、そのまま出発したの」

 ヴィバリーの答えはなんとなく、普段よりほんの少し不機嫌に聞こえた。気を失ってる間に、荷物みたいに馬車に積み込まれた俺の方が文句を言いたいところなんだが。

「うふふ、ヴィバリーちゃんはちょっと拗ねてるのよ。自分にわからない話がどんどん出てきたから……彼女、コントロール・フリークなのね。イクシビエドと一緒ねえ」

 キスティニーが、まるで旧知の仲間みたいな口ぶりで説明する。それを聞いてさらにムッとしたヴィバリーは、聞こえよがしに舌打ちした。

「こちらの事情にまで立ち入ってこないでもらえるかしら。お互い、イクシビエドの命令で同行しているだけでしょう?」

 その臆せぬ言いぶりに、キスティニーは嬉しそうに笑った。ヴィバリーも初対面の時はもっと距離を置いていた気がするが、立場の変化にともなって接し方を変えたようだ。実際、こいつと話す時は真面目に話してもろくなことはない。

「シシ、シュ、シュ……命令なんかじゃないわよう。あくまで対等な取引。魔術師には、上も下もない。わたしたちはそれぞれが、己という一国一城の主なのよ。まあ、騎士様にはわからないかなー……く、く……」

 喋りながら、キスティニーは空中をコロコロ転がって、馬車の外へふっと消えた。相変わらず、フリーダムだ。

「……まあ、あの女の言う通り、情報を消化できていないところはあるわ」

 ヴィバリーはため息をついて、俺の方へ向き直った。

「トーゴ。これから向かう先にいる魔術師……『フユコ』っていうのは……あなたの、何なの? 知っていることを、私に話して。これはお願いじゃなくて、命令よ」

 キスティニーに変なことを言われた後だからか、強い口調の裏に、どことなく不安を感じた。といっても、パニくってるとかそういう不安じゃない。これから、剣を向ける相手の正体が掴めないことに対する、狩人としての慎重さだ。

「冬子は……俺の、妹だよ」

 俺はなるべく感情を込めずに、静かにそれを口にした。今まで知らん顔していたアンナとユージーンが、ひょいと俺の方を見る。

「なるほど。それで、あなたは、彼女がこの世界にいるとわかってたの? 彼女が、魔術師であるということも? あなたの世界には、魔術師はいないと言っていた記憶があるけど」

 畳み掛けるように質問を投げかけるヴィバリーに、俺は首を横に振る。

「……いや。俺は、何も知らない……そもそも、生きてるとも思ってなかった。あいつは、向こうでは、その……し、死んでたから」

 最後の言葉を口にする瞬間、ほんの少し、唇が震えた。

「死んでた? ……何があったんだ」

 アンナが、そう問いかけた。その声は、俺を疑うどころから、むしろ俺に同情しているみたいだった。罪悪感に苛まれつつ、俺は適当にごまかした。

「……じ、事故で。車が、ぶつかって……あいつが死んで。その瞬間、こっちの世界に飛ばされてきたんだ……多分」

 それらしい説明。事故で死んで、異世界で転生。そう……あいつにとっては、そういうことなのかもしれない。異世界で、魔術師に生まれ変わった。そういえばガキの頃は、魔法使いになりたいってよく言っていた。あいつは夢を叶えた……ただ、死因が事故ではないというだけ。


「…………そう。じゃあ、あなたからそのフユコって魔術師の力については聞けそうにないわね。そっちはどうなの? キスティニー、さん?」

 ヴィバリーが虚空に向かって尋ねると、キスティニーはそのちょうど反対側にパッとワープして現れた。走り続ける馬車の中でワープするってのは、どういう感覚なんだろうか。

「わたし? わたしがなーに?」

 すっとぼけるキスティニーに、顔をしかめるヴィバリー。

「その子のことを何か知っているんでしょう。最初に会った時からほのめかしていたもの」

「うっふふ……そうだっけ? うろ覚えだけどー……」

 さらにとぼけるキスティニー。ため息をつくヴィバリーの額に苛立ちの縦じわが寄る。

「……無駄な時間を使いたくないの。話す気があるなら話して。黙っているつもりなら、勝手にして」

 ヴィバリーがそう吐き捨てた瞬間、キスティニーはパッと空中から姿を消した。そして、どこに行ったかと思えば――

「それじゃ、勝手に話そっかなー。シュシュ……」

 ヴィバリーの膝の上に乗っかっていた。反射的に、剣の柄に手をかけるヴィバリーを、可笑しそうに眺めている。ヴィバリーはゆっくりと深呼吸して怒りを抑えながら、引きかけた細剣を柄に収めた。この二人が百合カップルになる日は遠そうだ。

「あの子ねえ……わたし、一回会ってきたの。でも、あんまりお話聞けなくて……また行こうと思ったら、今度は魔術で向こうに行けなくなっちゃった。これ、どういうことかわかる?」

 俺を含め、全員が「全然わからん」という顔をする。

「彼女の居る座標への、空間魔術での転移を禁じられたのよ。わたしにも、原理がわからない。術式を妨害されたわけではない。意識術による禁則をかけられたのでもない……私以外の空間魔術師も、あの場所には到達できなくなっている。つまり、ただ……できるはずのことが、できない。既存の魔術の範疇では解釈できない現象が、この先で起きてるの」

 早口で、なおかつ心底楽しそうに語り出すキスティニー。俺にはまだ全然理解できなかったが、ただヴィバリーだけが何か察した様子で、膝の上のキスティニーを怪訝そうに睨んだ。

「……つまり、七門に含まれない魔術、ということ?」

「そーいうこと。たぶん。少なくとも、私とイクシビエドの解釈はそう」

「…………」

 膝の上にキスティニーの頭を乗せたまま、じっと考え込むヴィバリー。

「……ねえ。七門、ってなんだっけ?」

 尋ねたのは、俺ではなくアンナだった。どうやら、この世界でも常識的な用語ではないらしい。それを聞いたヴィバリーが、再びため息をつく。

「お願いだから、魔術学の基礎だけでも勉強してよ、アンナ」

 肩を竦めるアンナを睨みつつ、ヴィバリーは説明を始めた。

「魔術には七つの体系があるの。熱力、時間、空間、生命、肉体、意識、知識。それら七つの門のどれか一つを開くことによって、人は、魔術を見出す……」

 一瞬、ヴィバリーの視線を感じた。お前も、勉強しておけ、ということか?

「わたしとかイクシビエドとか、複数使えるのもいるけどね。すごいでしょー? 知識系は応用きくんだ。その代わり、一門を究めた魔術師には深さで敵わない……」

 キスティニーが再びワープして、今度はアンナの股下に現れつつ言う。アンナは気色悪そうに彼女を避ける。

「んじゃ、その七つに含まれない魔術ってのは……誰も知らん新しいやつってことだな。何が起きるかわからんから、調査してこい、と」

 アンナのざっくりしたまとめに、キスティニーはくつくつ笑った。

「アンナちゃんのそういうとこ、大好きよ。理屈は人を本質から遠ざける。あらゆるものの本質はもっと、感覚的でシンプルなもの。己の本質を探り、つかみとることが魔術師たる者の……」

「イクシビエドは、フユコを始末させる気なの?」

 ヴィバリーが、鋭い言葉でキスティニーの長話をさえぎった。

「おい、ヴィバリー……」

 俺に気を使ってか、ヴィバリーの服の裾を引っ張ってやめさせようとするアンナ。ヴィバリーは、その手を鬱陶しそうに振り払った。

「やめて。いざという時まで曖昧にしておくつもりなの? 仕事を手伝えないと言うなら、彼には早めに抜けてもらわなきゃいけない。決断は早いほうがいいわ」

 そう言いつつ、ヴィバリーは俺の目を見なかった。俺はうつむいて、自分の足を見た。どうする? 何ができる? 何をしたい? 俺の中には、何の答えもない。結局、俺がこうして「騎士団」についてきたのも、そういうことかもしれない。誰かの指示に従っていれば、自分で考えずに済むから。

「イクシビエドは、まだ何も決めてないわ。真の未知を前にして、彼が求めるのはただ『識る』ことよ」

 くすくす笑いながら、キスティニーは三度ワープして、今度は俺の目の前に現れた。俺の目を覗き込み、中にあるものを識ろうとするように。

「でも、恐れてはいると思うわ。魔術とは何か? 人は魔術を識り得ない。それは無限の未知……けれど、それらしく語ることはできる。魔術学者はなんて言ったかしら? 魔術とは?」

 横目でヴィバリーを見て、話を促すキスティニー。ヴィバリーは、彼女が求める言葉を探し、それを口にする。

「魔術とは……『世界を都度に再定義する力であり、試みである』と」

「そう……それが全てではないけれど。人間風に解釈するなら、それでよいわ。魔術とは、今ある世界のことわりを部分的に破壊し、そこに自らの意志を介在させた上で再構築させるプロセス。わたしたちが見ている世界は、魔術によって生み出され、魔術によって常に壊され、そしてまた魔術によって再構築され続けている。その無限の連環が、奇跡的なバランスを保つことで、わたしや、あなたが、お前たちが、全てが、今ある形で安定しているの」

 キスティニーは取り憑かれたように……いや、おそらくはこっちが彼女の「素」なんだろうが、とにかく淡々とわけのわからない理論(?)を語った。そして、ぽかんとする俺たちの顔を見回すと、満足げに微笑んだ。

「……つまり、異界からもたらされたフユコちゃんの魔術は、この世界のバランスを大きく壊す可能性がある。だから、もしそうとわかった時は、イクシビエドは躊躇なく彼女をこの世界から抹消するでしょう。……ふぅ、ついテンション上がっちゃった」

「そう聞くと、やっぱりイクシビエドは『殺す』方向で考えているように思えるわね。それじゃ、トーゴ。改めて聞くけど、あなたはどうする?」

 ヴィバリーが、ようやく俺の目を見て尋ねた。俺は、顔を上げて――少なくとも、自分の中でこれだけは真実だと思えることを話した。

「俺は、あいつを殺したくない。だけど……何がどうなってるのか、見届けたいとは思ってる。だから、この旅にはついていかせて欲しい」

 俺の答えに、ヴィバリーはどこかホッとしたような顔で、ため息をついた。

「……そう。わかったわ。好きにして。でも……いざという時、私たちの邪魔はしないで」

 ヴィバリーたちが本気で冬子を殺そうとするなら、俺に邪魔ができるとも思えないが。でも、俺は……うなづかなかった。ヴィバリーも、それ以上は何も言わなかった。


 日が落ちてから、俺たちは馬車を止めて野営することになった。要するにキャンプだ。馬車を降りると、一面の荒野が広がっていた。岩に砂、まばらな緑。暗くて遠くはよく見えないが。

「……寂しい風景だな」

「昔は、大陸で最も栄えた地域だったそうよ。でも意識魔術を究めた魔導師ウィザードである幻影城主ウィッチ・オブ・ミラージュアウラが、この土地の全てを……人も、建物も、何もかも、自分の夢の中に隠してしまったんだとか……」

「夢の中に、って……どういう原理なんだ」

 魔術に原理とか道理を求めても無駄だと、わかっちゃいるが聞かずにいられない。ヴィバリーは岩に腰掛けたまま、興味なさげに肩をすくめた。

「さあね、私の知ったことじゃないわ。この土地で眠ると、今も夢の中で彼女の城を見られることがあるそうよ。でも、誰もそれが本物だと証明できない……ただの夢かもしれない」

 ヴィバリーは目を細めて、岩陰にアンナが熾した焚き火を眺めた。ユージーンとアンナは火のそばで料理を作っているが、ヴィバリーは料理に関しては役立たずなので除け者にされている。まあ、俺もだが。味見役もできないし……。

「……トーゴ。あなたは、夢を見る?」

 ヴィバリーは、つまらなそうな顔のまま不意にそう言った。

「さあ……見たことぐらいはあると思うけど。朝起きると、全部忘れてるよ」

 夢なんて、そういうものだ。それを惜しみはしない。

「私はないわ。夜に見る夢も、昼に見る夢も。私に見えるのは、現実の荒野だけ……」

 暗い地平を眺めながら、ヴィバリーはぼんやりと呟いた。この冷たい女にも、時々は自分の生き方に疑問を抱くことがあるんだろうか。

「それが不幸だとも、幸福だとも思わない。あるがままを受け入れる。だから……私は魔術師にはなれないの」

「……え?」

 その言葉の意味を考える間に、ヴィバリーはすっと立ち上がった。

「暇ね。せっかくだから、剣の稽古をつけてあげる」

「いや、俺は……」

 反対しようと口を開いているうちに。ヴィバリーは素早く抜いた細剣の切っ先で、俺の腰に刺さった剣をするりと引き抜き、空中にぱぁんと跳ね上げていた。

「……おい」

「取ってみて?」

 いきなりの無茶振り。なんてスパルタだ。剣は空中で、扇風機みたいにブンブン回りながら、俺の頭上めがけて落ちてくる。

「いや、無理だろ!」

「とりあえず掴んでみて。怪我してもすぐ治るでしょう」

 そう言うなり、ヴィバリーは背を向けた。自分でやるしかない。覚悟を決めて、深呼吸――している暇もない。鋭い音を立てて迫る、ぼやけた影に向かって、当てずっぽうで手を伸ばす。瞬間、何かを掴む手応えがあった。

「……やった!?」

 俺の指は、確かに剣を掴んでいた。ただし、掴んだのは柄ではなく刃だった。そりゃそうだ、柄なんか全体の20%ぐらいの長さしかないんだから、当てずっぽうで掴めば確率的に刃を掴むに決まってる。

 みるみるうちに手のひらから流れ出す血を見て、俺は思わず声をあげた。

「うわっ……くそっ、汚ねぇ……」

 慌てて手を放すと、地面に剣が落ちた。その音を聞いて、立ち去りかけたヴィバリーがちらっとこちらを見た。

「まずは動体視力を鍛えた方がいいわね。剣の振り方はわかるの?」

「……アンナに聞いたよ。っつーか、なんだよ、今のは! 俺の指が吹き飛んだらどうする気だ!?」

 血だらけの手を服で拭いながら、文句を言う俺。黒い服にしといてよかった。

「そのぐらいじゃ指は落ちないわよ。軽い剣だしね。目的地に着くまで、十日はかかるわ。それまでに、教えられることは教えておくから。……あなたも、努力して」

 それだけ言うと、ヴィバリーはアンナたちの方へ歩いていった。


 血が止まるのを待ちながら、俺はその場にしゃがみこんで、ヴィバリーの言葉の意味を考えた。……雇った責任として、一応の技術は教えてくれるということだろうか?

 いや、それより前に、気になる台詞が――

「……キスティニー、聞こえてるか?」

 ふと、頭をよぎった名前を呼んでみる。さっきから姿が見えないが、あいつのことだからどうせパッと出てくる気がする。これで誰にも聞こえてなかったら恥ずかしいが――

「呼べば出てくると思わないでほしーんだけどなーっ」

 その声は、俺の頭上から聞こえた。

「実際、出てきたくせに……」

 ぶつぶつ言いながらも、俺は内心少しビビっていた。馬車の中でダラダラと話した後ではあるが、こうして一対一で向き合うと、やはり気味が悪い。

「何か用? 魔術師を呼ばわって、何でもありませーん、なんて言ったら、相応の代償を払ってもらわなきゃ……」

 さらにビクつく俺の顔を見て、キスティニーはおかしそうにけらけら笑う。

「うっふふ、ウソ、ウソ! 他ならぬトウゴくんの言いつけとあらば、火の中、水の中、あるいはこの世の外だって……それもウソだけど……」

「もういい、わかった。それより、お前に聞きたいことがあるんだ」

 これ以上適当な話が長引かないうちにと、俺はきっぱりと言った。キスティニーは目を細め、今までとは違う、狂気を帯びた微笑みを浮かべた。

「……あら、あら。それって、騎士様たちには聞けないお話? うーん、男の子の悩み? それとも、それとも……」

「魔術師ってのは、結局……何なんだ?」

 それは、単純な問いだった。まだ誰も、はっきりと答えてはくれなかった問い。おそらく、あまりにも当たり前すぎるから。俺も自分で勝手に決めつけて、改めて聞かずにいた。

「どこから湧いて出てくる? 魔術師が、魔術師の子を生むのか? ……違う、よな」

 俺の濁した質問に、キスティニーは静かに、遠回しに、答えを口にした。

「――魔術とは。人間が、自らの内に見いだすもの。不確かな、言葉のない言葉。世界の構成概念。己の魂の名。それを把握し、支配した時、人は人であることをやめる。肉体はただの器になり、その瞬間から成長も老衰もしない。空腹になることもない。それが、魔術師なるもの」

 キスティニーは一瞬、目の前から消えて、

「だから、わたしのぶんはいらないよ、アンナちゃん」

 ……とだけアンナに伝えて戻ってきた(らしい)。

「それじゃ……魔術師は、もともと、人間だったんだな? サヴラダルナも、お前も……俺が殺した、フードゥーディも」

 ぞくっ、と悪寒がした。あの瞬間、剣の柄ごしに伝わった肉の感触が蘇って。今も手が血にまみれてるのは、嫌な偶然だ。俺は、やっぱり……人殺しだったんだ。

「……わかってたでしょう?」

 シシシ、と楽しそうにキスティニーは笑った。

「……いや、俺は……」

「トウゴくんのことはずっと見てたよ。話す言葉も、心臓の音も聞いてたよ。わたしは空間術師であり、知識術師だから。ほんの少しだけど、ものごとを『識れる』。フードゥーディを刺した時のトウゴくんはね。自分で思ってるほど、慌ててなかったよ」

 何も言えなかった。キスティニーの言う通りだったからだ。

 俺は、自分で、自分を欺いていた。保身のために。自分の居場所を守るために。自分が、あいつを殺しやすいように。「これは、人間じゃない」と言い聞かせて。でも、内心、うっすらと、気づいていた。こいつらが、何なのか。

「魔術師とは何であるか? 無数の説明があるけれど。本当の説明は存在しない。だから、みんな好きなように解釈するの。わたしが好きなのを教えてあげるね」

 ……こいつらは、冬子と「同じもの」だ、と。

「魔術師とは、夢みるもの。魔術とは、願いの力。狂気に至るほどの、純粋な願い。人の枠に収まりきらない、大きすぎる夢。だから我ら魔術師は、人を捨て、心を捨て……それを、つかみとるのだよ」

 歌でも歌うように、なめらかな調子で言い終えると、キスティニーは空を見上げ、ふわりと空中に浮き上がっていった。

「……月が綺麗。ああ、間近で見ずにいられない……じゃね、トウゴくん」

 そして、そのまま、かぐや姫みたいに夜空に吸い込まれて消えた。俺はため息をついて、荒野に目をやった。月の美しさなんか、俺にはわからなかった。

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