第9話 知り得るを識るイクシビエド

 目が覚めたのは、昼だった。どこをどうして宿に戻ってきたのか、ろくに覚えていなかったが、ユージーンに穴から引き上げられて、それから気を失わずに歩いてきたことだけは覚えていた。

「あ、起きた?」

 ベッドの横に、アンナが座っていた。土まみれになった大鎚ビリーの手入れをしているようだった。俺は何か言おうと口を開いたが、何も言葉が出てこなかった。

「……昨夜は、なんだかんだ迷惑かけたね。ごめん」

 そう話すアンナの口調は妙にしおらしいというか、素直だった。昨日は荒っぽい姿ばかり見せられたせいでそう見えるのかもしれないが。

「巻き込んだ上に……嫌な役やらせちゃって。そんなつもりじゃなかったんだけど」

 頭をかいて、ばつが悪そうにため息をつくアンナ。自分は魔術師殺しなんて何百回も経験してるだろうに、俺がよっぽどショックを受けたように見えたんだろう。実際、ショックは受けたが。

「別に……アンナのせいじゃないだろ。俺が……自分で、やったことだし。結局、大した手伝いは……できなかったし」

 途切れ途切れに答える。それなりの時間は寝たはずだが、体も、頭もまだ疲れている。痛みは感じなくても、疲労は人並みに溜まるらしい。

「まあ、それはそうだけど。でも、礼は言っとくよ。ついてきてくれた時、結構嬉しかったから。これから、よろしくね」

 アンナはそう言って、俺の肩をポンと叩いて部屋から出ていった。昨日の一夜の報酬としては、物足りないが。それでも、多少なり嬉しくはあった。


 どうにかベッドから立ち上がって、俺も部屋の外に出ようとすると――待ち構えるように、ヴィバリーが立っていた。

「お早う」

 彼女の顔を見ると、昨夜の嫌な感触がふと蘇った。結局、勢いで丸め込まれるような形で、俺は彼女の騎士団の「黒の騎士」とやらになってしまった。ただ、後ろから人を刺す以外に、何ができるわけでもないのに――

「……おはよう」

 渋い顔で挨拶を返すと、ヴィバリーはふっと笑った。

「恨み言もあるでしょうけど。別に、私を好きになる必要はないわよ。自分が嫌な人間なのはよくわかってるから。ユージーンも私にはなつかないし」

 自嘲気味に言って、ヴィバリーは苦く笑った。俺の態度から、自分が嫌われたと思ってるらしい。別に俺は、彼女を嫌ってはいない。そそのかされたとか、うまくノセられたとは思ってるが。

「ただの上司だと思っておいて。仕事上の付き合い。指示だけちゃんと聞いてくれれば、寝食は保証する」

「……わかった」

 俺がうなづくと、ヴィバリーはため息をついた。

「差し当たって、今日は少し人と会うことになるわ。昨夜はすぐにこの街を出るつもりだったけど、ちょっと事情が変わった。お偉方が相手だから、服を着替えてもらわなきゃ」

「服?」

 そういえば、もともと服に気を使わない人間なので全く気にしていなかったが。今の俺は、最初の宿で目覚めた時に着せられていた、ザ・村人Aみたいな中世っぽい服をそのままずっと着ている。つまり一張羅だ。洗ってないから土まみれだし、あまり清潔ではない。

「昨日のフードゥーディの件で市長から報酬が出たから、分け前をあげる。これで何か上等なのに着替えて。いっぱしの騎士らしくね。一時間後に、ここで落ち合いましょう」

 そう言って、金貨を数枚俺に向かって投げてよこす。慌てて受け取りつつも、困惑する俺。

「う……でも俺、店の場所とか知らないし……お偉方ってことは、正装しろってことだよな。どんな服着れば……」

 服を買うのは昔から苦手だ。(得意な男子高校生なんているのか?)この世界にユニクロとかしまむらはなさそうだし。パニック気味の俺を見て、ヴィバリーはフームと唸った。

「……そうね。じゃあ、私が一緒に行くわ。団員の格好で私が評判を落とすのも困るし」

 有無を言わさず、先導するように歩き出すヴィバリー。

「早く行きましょう。無駄な時間をかけたくないわ」

 引っ張られるような形で、俺とヴィバリーは街に出た。女子と二人きりで服を買いに行くわけだが、デート的な雰囲気よりは、母親に引率されているような気恥ずかしさと面倒臭さを感じる俺であった。


「とりあえず、これとこれを着てみて。あと、これも。仕立て直す暇はないから、できれば大きめのにして。余った丈は、あとでユージーンが詰めるわ」

 服屋に着くやいなや、ヴィバリーは数着の服を放り投げてきた。店の中は、俺が想像する中世の服屋(?)よりはわりと現代的だった。ハンガーは発明されてないようだが、マネキンのようなものはある。とりあえず、試着室があるのはありがたい。

「ところで……騎士ってのは、鎧とかは着ないのか?」

 試着室の中でごそごそ着替えている最中、ふと思いついた疑問を布越しにヴィバリーに投げかけてみる。アンナもヴィバリーも、それぞれ手足や肩に簡単な防具みたいなのをつけてはいるが、胴体は完全に普通の服っぽく見える。ビキニアーマーとかよりは現実的とはいえ、無防備に感じるのも確かだ。

「私たちは、基本的に人間相手には戦わないから。魔術師と戦う時は、速さが第一。魔術を使われたら、鎧なんてほとんど何の役にも立たないもの」

「……なるほど」

 そういえば、最初に見た護法騎士団の連中も、鎧兜でがっちり固めてたわりには一瞬で死んでいた。……しかし、「基本的に」ってことは時々は対人戦もあるんだろうか。

「アンナは足甲だけは硬いのを付けたがるけど、あれは防具というより武器ね。……もしかして、鎧を着たいの?」

 そう言われて、初めて自覚した。確かに、ちょっと着てみたいのだ、俺は。せっかくファンタジーな世界に来たのだし。

「予算的に大丈夫なら……」

 つい、小市民的な発想が出てしまう俺。

「予算なら問題ないけど……多分、あなたが着られる鎧は多くないわよ。重いから」

 言われてみれば、金属の塊を服の上から被せてるわけだから、さもありなんか。

「あの兜みたいな、軽いやつはないのか?」

「あれはミスリル銀だから特別。魔術師が生成した希少金属だから……それだけ高価なの。絶対に踏み潰したりしないで」

 さらっとアンナへの恨み言を込めるヴィバリー。根に持つタイプらしい。しかし、ミスリル銀ときたか……アダマンタイトとかもありそうな世界だな。

「……まあ、時間ならあるから。あとで武具も少し見てみましょう。帷子がいいかしら……それとも、胸当てか何か……」

 そう言うと、ヴィバリーは考え深げに唇を傾けた。ニコニコしたりしないので見た目にはわかりにくいが、彼女は意外とこの買い物を楽しんでいるような気がする。根本的に、買い物が好きなのかもしれない。女ってそういうとこあるよな……いや、母親ぐらいしか知らんけど……


「武具はこっちの裏通りにあるわ。表通りの店は他所者向けにふっかけてるから行かないように。同じ鍛冶屋の失敗品を売ってるの」

「……ずいぶん詳しいんだな。ここ、何度も来てるのか?」

 とりあえず服を買って着替えた俺は、再びヴィバリーの引率でオーランドの街を早足で歩いていた。正装だから中世貴族みたいなフリフリを着せられるかと思ったが、意外と地味なやつに落ち着いた。正直、自分じゃ前の服と何が違うのかよくわかってないが、着心地はかなりいい。つい黒い生地を選んでしまったのは、根暗オタクの性か。

「もともと、この街の生まれなのよ。裏も表も色々と見てきたわ」

 眉をひそめて、苦笑いをするヴィバリー。故郷にいい思い出はあまりないようだ。

「なるほどな。それで、市長ともコネがあるわけか」

「……アンナに聞いたの? 別に、コネというほどではないわよ」

 今度は笑いも消えて、ただ苦い顔になった。市長とは何か因縁があるらしい。そんなに嫌な街なら来なければいいのにと思うが、仕事上そうもいかないのだろうか。

「――!?」

 角を曲がって、裏通りに入ったところで、突然、ぐっと服の裾を後ろから引っ張られた。ヴィバリーは、前にいる。

 俺は思わず、飛びのいて剣に手をかけていた。盗賊かスリか何かかと思ったのだ。だが、後ろに立っていたのは――いや、地面に膝をついて屈みこんでいたのは、みすぼらしい格好の老人だった。どうやら、物乞いのようだ。

 昨日の今日で、気が立っていたのか。過剰反応してしまったのが恥ずかしい。

「一銭も渡さないように。カモだと思われるわよ」

 冷たく言い捨てるヴィバリー。ぼさぼさの白髪を伸ばした物乞いの男は、俺の方に何度も頭を下げて、両手を突き出してきた。

「お願いします……どうか……どうか……」

 ちくりと胸が痛んだが、ほんの「ちくり」程度で金を誰かにくれてやるほど、俺も善人ではない。――結局、俺はアンナとは違うんだ。

 目を逸らし、背を向けて歩き出そうとした時、不意にぞくりと背筋が冷えた。

「ふふ……どうか……うふふ……」

 追いすがる老人の声が、徐々に、何か別のものに変質しようとしていた。不気味な笑い声……別人の声に。

「……どうか、ああ……少々、お話をさせていただきたい。冬寂騎士団のお二人……」

 ぎょっとして立ち止まった俺の横から、ヴィバリーが素早く歩み出た。

「……幻影か。魔術師の方、おふざけなら他所でやってもらえる? 急いでいるの」

 不意を突かれた不快感からか、一般魔術師相手にしては強く出るヴィバリー。老人は一向に意に介さぬ様子で笑いつづける。

「くふ、ふ……いや、面会が待ちきれなくてね……どうしても、彼と話したくて……何となれば、私という存在は知的欲求によってのみ成り立ち、また存続するもの……ふふ……」

 意味不明な言葉を羅列しながら、老人の顔がゆらりと陽炎のように揺らいだ。その奥から、ぬるりと身知らぬ男の顔がうっすらと見え始めた。

「……まさか」

 その顔を見たヴィバリーは、困惑した声をあげたかと思うと、さっと身を引いて、膝をついた。頭を下げるその仕草は、怯えているようにさえ見えた。上司が膝をついてるのに、俺が突っ立ってるのも変なので、遅れて俺も地面に屈み込む。

「……私を畏れる必要はない、ヴィバリー・バニアン。私は君のことを、生まれた瞬間から知っている。君が何を恐れ、何を愛し、何を憎むかを知っている……私はそのどれにもあてはまらない。凛として立ちたまえ。私はただ、この世界のあらゆる者にとって、親切な隣人でありたいのだよ」

 急に饒舌になったかと思うと、老人の姿は完全にかき消えて、そこに一人の男が立っていた。灰色の質素なローブをまとったその男は、若者のようでもあり、中年男のようでもあり、よく見ると老人に見えなくもない。人懐っこそうな笑顔を浮かべているが、同時にどこか空虚な、作り物の表情にも思えた。

 ぽかんとする俺をよそに、ようやく冷静さを取り戻したヴィバリーが、この突然の来訪者の名を口にした。

「ご無礼をお許しください……イクシビエド卿」

 ……イクシビエド。その妙な名前だけは、何度か聞いていた。俺たちがいる、この大領地の主……つまり、この世界で、一番偉い魔術師の一人だ。俺にはあまり実感がないが……この世界の住人にとっちゃ、伝説級の大物であるはずだ。どうりで、ヴィバリーがへりくだるわけだ。

「無礼を詫びるのは私だ。いずれ後で会う予定だったものを、こうして不意打ちしてしまったのだからね。長く生きていると、人を驚かせるくらいしか娯楽がないのだよ」

 イクシビエドは、その不気味な登場のわりには、話の通じる男のようだった。キスティニーやその他魔術師どもの大元締めということだから、アンナの昔話に出てきた奴みたいに、もっと常識はずれの人外的な存在なのかと思っていた。

「……彼と話したい、と申されましたか?」

 ヴィバリーが顔を上げ、イクシビエドを不審げに見た。イクシビエドがじろりと俺の方を見るまで、俺はそれが自分の話だと気づかなかった。

「そう……トウゴくん。私にとって彼は、未知であるというその一点において、この世界の誰よりも、興味深い存在なのだよ。『知り得るを識るウィザード・オブ・ナレッジ』などと称されるうちに……未知なるものの恐ろしさ、芳しさを私は忘れていた。近づくべきか、遠ざかるべきか……ふふ、今は、近づいてみようと思っているところだ」

 その言葉を聞いて、一瞬、えもいわれぬ不安が胸によぎった。俺は――自分の素性のことを、まだ誰にもちゃんと説明はしていない。別に隠さなきゃいけない理由もないんだが、説明が面倒なので、なんとなく先延ばしにしてしまっていた。キスティニーは何か察してるみたいだったが……こいつは何を知っているんだろう。

「智慧の魔導師ウィザードであるあなたにも、知らないものがある、と……」

 ヴィバリーは釈然としない顔で、イクシビエドと俺の顔を交互に見た。

「私はただ、知り得ることのみを識る者。誰にも知り得ぬことは、私にも知り得ない。だからこそ、こうして直接出向いてみたというわけだよ……君のもとに」

 わかるようなわからないようなことを言って、イクシビエドは目を細めた。二人の視線が、俺に向くのを感じる。だが、いきなり話を振られても俺だってどう説明していいかわからない。

「お、俺は……その……」

 しどろもどろになる俺を見て、イクシビエドは再び笑った。

「は、は……焦る必要はない。私の目的は、今、答えを得ることではない。君に、それを口に出す理由を与えることだ。考えがまとまったら、ヴィバリーに話してあげなさい。心は知り得ぬものなれど、言葉になりさえすれば、私の知り得ることになる……」

 意味ありげに言うだけ言って、イクシビエドはゆらりと後ろに下がった。

「では。後で、また会おう、ヴィバリー・バニアン。そして、トウゴくん。遅れないように。そちらの用件も、重要なことなのでね……」

 イクシビエドの姿はふっとかき消えて、途端に、周りの空気がふっと軽くなったような気がした。

 裏通りに取り残された俺たちは、自然とお互いの顔を見た。ヴィバリーの顔は、不信に満ち満ちていた。

「……記憶がないという話は、元から信じていなかったけど。どうやら、私が想像してたより面倒な過去があるみたいね?」

 俺はため息をついて、うなづいた。

「ああ。単に、説明が面倒だったんだけど……こうなっちゃ話さない方が面倒そうだし、全部話すよ。宿に戻ろう」

 そう答えつつも……全てを話せるわけではないことを思うと、内心嫌な気分だった。

 冬子のことだけは、誰にも言えない。仕事でフードゥーディを殺したのとは違う。俺は、何の罪もない、自分の妹を殺したのだ。仮にも仲間になった奴らに、そんなこと……話せるわけがない。


「……はぁー、なるほどね」

 俺がもろもろの説明を終えると、アンナがぽかんとした顔で言った。絶対に何もわかっていない。まあ俺自身、何がどうしてこんなとこに連れてこられたのか、全然理解してないのだから、アンナにわからないのも当然だが。

「自動車が走るとかテレヴィがどうとか、あなたのいた異世界とやらの話はさっぱり分からなかったけど……つまり、流言師ワンダリング・ワーズが言っていた『異界の客人』っていうのは、あなたのことだったわけね。イクシビエドまでが探っているとなると、これから誰がどう出てくるか……」

 一方、彼女なりに話を消化したらしいヴィバリー。俺自身のことより、こっちの世界でのそれぞれの思惑が気になるようだ。

「……ジドーシャ……テレ・ヴィー……」

 そして、ぼんやりと聞き流しているユージーン。

「まあ、とにかく伝わろうが伝わるまいが、説明はしたぞ。この話、さっきの魔導師ウィザードのおっさんにもしなきゃいけないのか?」

 ヴィバリーの方を見て尋ねると、彼女はきょとんとして首を横に振った。

「え? いいえ、そんな必要はないわ。イクシビエドにはもう伝わってる。彼は、つまり……『物知り』の魔術師なのよ。この世界で起きる、ほとんど全てのことを把握している。特に自分の領内では、全ての人間、動植物、空から土まで、生物非生物を問わず全ての動きを見て、聞いているという話」

 全知全能かよ……いや、「全知」までか。聖徳太子は同時に十人の話を聞いたって話だが(真偽はともかく)、聖徳太子何万人ぶんの脳みそがあればそんなことができるんだ。

「……ってことは、今こうして話してることも……」

「当然、筒抜けよ。どんな気分なのか、想像もつかないわね。無数の人間の咀嚼音から排泄音まで四六時中聞いてるなんて」

 珍しく下ネタっぽいことを言って、鼻を鳴らすヴィバリー。同調して、アンナもうなづく。

「要するに、盗み聞きしてるんだろ。質実剛健が売りのウーバリーっ子としては、陰湿な感じで前から気にくわないんだよね、イクシビエド。あたし、一人でいる時は、よくあいつに向かって言ってやるんだよ。『聞いてんじゃねえぞ、イクシビエド!』って……あれ、本当に聞こえてるのかなあ……」

 アンナの妙な癖はともかく、確かに、独り言も全部聞かれていると思うと落ち着かない感じがする。

「陰湿なのは否定しないけど、イクシビエドの領地の治め方は、魔導師ウィザードの中では一番ましだと思うわ。人間に対しても好意的……というより、ある程度は平等に扱っているから」

「聞かれてるからって、媚び売ることないのに」

 からかうアンナに、ムッとするヴィバリー。

「違うわよ。イクシビエドが『はぐれ』認定を多く出すおかげで、私たち騎士団の仕事も多く回ってくる。味方ではないけど、互恵関係といったところね」

「ま、お仕事くれるのはいいことだ。これから会うのもお仕事なんだろ? 市長と魔導師ウィザードがお揃いで出てくるなんて、一体どんな大物相手なんだ?」

 どこか楽しみそうなアンナの質問に、ヴィバリーは小さく唸る。

「……わからないわ。トーゴのこともあるし、何か計り知れない事情があるのは確かね。本当なら、私一人で話を聞くつもりだったんだけど……市長含め全員同席の上、というのがイクシビエドの望みだから仕方ないわ」

 不機嫌そうに言って、ヴィバリーはうつむく。その物憂げな様子を見ると、さっきから憎まれ口を叩いていたアンナがふっと優しい顔になって、彼女の肩をさすった。

「何でも一人で抱え込むの、悪い癖だよ。なるようになるさ」

「そういうわけじゃなくて……まあ、いいわ……ありがと」

 礼を言いつつも、ヴィバリーは何か考えありげにため息をついた。


 ヴィバリーのため息の理由は、招かれた市長宅に着いてすぐに知れた。数人のメイドに(やっとメイドが見れた! コスプレじゃない本格メイドだ。生きててよかった)案内されて、奥の面会室に向かうと……そこには、いかにも紳士という風体の、髭面の男が両腕を広げてにこやかに立っていた。

「おお、ヴィバリー! 待っていたよ、私の可愛い子……今日も一段と輝いているね」

 男の馴れ馴れしい言葉を聞いた瞬間、俺とアンナは顔を見合わせた。一体この市長、ヴィバリーとどういう関係なのか。年の離れた恋人か、愛人、それとも……

「人前で馬鹿なこと言うのは止めて。マ……パパ」

「パパ!?」

 俺が大声をあげると、アンナがこらえきれずに吹き出した。

「ぷっ……あはははは! パパだって……パパ……」

 ヴィバリーは心底嫌そうに顔を歪めて、拳を震わせていた。これほど冷静さを失ったヴィバリーを見るのは初めてだ。市長はそんな彼女の様子には気づかず、にこやかな笑顔で俺たちに挨拶した。

「やあやあ、君たち。私はオーランド市長、ガーナヴィだ。噂は聞いているよ。いつも、娘と仲良くしてくれてありがとう。危険な仕事だから、いつも心配しているんだよ。娘が元気でいられるのは、君たち有能な仲間がいるおかげだ」

 手を差し出して、俺たち一人一人に握手を迫る市長。この人懐っこさ、気配り能力……ヴィバリーとは正反対だ。

「いえいえ、こちらこそお世話になっております、パパさん。今後ともご贔屓に!」

 ニヤニヤしながらヴィバリーをチラ見して、アンナが言う。ヴィバリーは舌打ちして、アンナを睨み返した。

「くそったれ……だから、会わせたくなかったのよ」

 立ち居振る舞いから育ちがよさそうなのはうすうす感じていたが、市長の娘だったとは。たまに言葉遣いが荒れるのは、礼儀正しい親への反発だったりするのかもしれない。

「新人のトーゴ君だね。有望な若者と聞いているよ。頑張ってくれ給え」

 がっしりした指で俺の手を握る市長。有望と言われてもまるで実感がないので、とりあえず黙って愛想笑いするしかなかった。

 続いて、市長が床の上で縮こまったユージーンに手を差し出す。

「事情は聞いているよ、ユージーン君。いや……ちゃん、かな。どちらで呼べばいい?」

「…………」

 意味ありげな問いかけに、ユージーンは黙って首を横に振り、静かに一歩、後ろに下がった。市長はため息をつき、ばつが悪そうに苦笑いした。

「はは……嫌われてしまったらしい。気分を害したなら謝るよ、ユージーン」

 横で聞いていた俺は、今の言葉の意味を考える。前から性別不詳だと思っていたが、この世界の連中にとっても、こいつの性別は謎なのか。あとで一度、アンナにでも聞いてみるか。

 ――などと考えていると。

「全員、挨拶は済んだね。では、本題に入ろう」

 聞き覚えのある声――市長の背後に、いつの間にか二人の魔術師が立っていた。イクシビエドと、キスティニー。今さら、突然のワープぐらいで驚きはしないが。キスティニーがそこにいたのは、やや意外だった。

「シシ、シュー……お久しぶりですこと、皆々様。あれ、昨日会ったばっかだっけ?」

 例によってトンチンカンなことを喋っているキスティニーを無視して、イクシビエドは一方的に用件を告げた。

「オーランド市長、ならびに冬寂騎士団の諸君。君たちに依頼したいのは、ここよりさらに西方、かつて幻影城主ウィッチ・オブ・ミラージュアウラが住まっていた土地に出現した、一人の魔術師の調査だ」

 イクシビエドの説明は単刀直入、裏通りで会った時のような謎めいた言葉もなく、淡々としたものだった。

「……出現した?」

「……調査?」

 ヴィバリーとアンナが、別の言葉に反応して眉をひそめる。

「ヴィバリー、その通りだ。彼女はそこに歩いてきたわけでもなければ、魔術によって転移してきたのでもない。ある瞬間から、ただ、そこにいたのだ。それを『出現』と表現させてもらった。そしてアナリーズ、その通りだ。これははぐれ魔術師の討伐依頼ではなく、調査の依頼だ。だが、場合によっては討伐してもらう可能性もある。まずは、目標地点に向かって欲しい。それと、君の独り言はいつも楽しませてもらっているよ。気分を害してすまないが、『盗み聞き』をやめることはできないんだ」

 二人の疑問に、イクシビエドは息継ぎひとつせずにつらつらと答えていった(アナリーズってのはアンナの本名だろう)。ついでにアンナのくだらない独り言への答えも付け加えて。

「私の弟子であるキスティニーを護衛に付けるが、故あって彼女の空間魔術は役立たない。長旅になるだろう。市長には彼らに物資と馬車を提供し、あらゆる手段で彼らを支援してもらいたい」

 それから、イクシビエドはふいっと首を傾けて、斜めになった顔のまま、目だけでまっすぐ俺を見た。虚ろで、それでいて何か得体の知れないものに満ち満ちている。無数の意味。無数の言葉が。

 俺はまだ、イクシビエドが口から垂れ流した大量の情報を消化しきれず、口をポカンと開けていたのだが……その目を見た途端に、何か、恐ろしいものを垣間見たような気がして、体がすくんだ。たった今、こいつが口にした言葉の中に、何か――俺の知りたくないことが含まれていると。頭より先に体が気づいたのだ。

「トウゴくん、君がこれから問うであろう質問にも、前もって答えておく。その通りだ。この魔術師というのは、君がこの世界に現れたのと、まったく同じ瞬間に現れた。その意味は、私の知り得ることではない」

 淡々と続けるイクシビエド。俺はひどく喉が渇いている気がした。

「……だが、君には心当たりがある。そうだね? 心臓の音が、揺れているよ」

 まさか。いや、やっぱり――でも、まさか。

 想像はしていた。考えないようにしていた。生きていたのか。それとも、生き返ったのか。どうして――どうする? 何も、わからない。額から、汗が滲み出す。

「トーゴ? ……どうした?」

 アンナの声に、俺は黙って首を横に振った。

「トウゴくん。具合が悪いようだね。君はパニックに陥りつつある。数秒後には気を失うだろう。だがその前に、もし知っているならば、彼女の名前を聞かせてもらえるかね?」

 イクシビエドの言う通り、俺は膝から下の感覚を失っていた。カーペットの上に倒れこみながら、俺は絞り出すようにその名を口にした。

「……冬子」

 薄れる意識の中で、イクシビエドがにっこり笑う顔が見えた。

「ありがとう。一つ、知識欲が満たされたよ」

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