第7話 孤独なるもの、フードゥーディ(後編)
「剣の柄はもうちょい上を握って。刀身のどこを相手に当てるのかを意識して、弾かれないように力を入れるといい。こいつらは硬いから、切ることは考えないで、棒でぶっ叩くと思いな」
早足で歩きながら、アンナはド素人の俺に簡単なアドバイスをくれた。本格的な戦闘になったら、守ってやれないだろうから、とのこと。二言三言の助言で、運動音痴の俺が魔獣を倒せるとも思えないが……とりあえず死にたくはないので、話は聞いておく。
「一番大事なのは、パニックにならないことだ。冷静に、やるべきことをやれ」
俺たちは、穴の奥へ、さらに下へ、と向かっていた。戻る道を塞がれた以上、先に進むしかない。途中で別の分かれ道から上に戻れないかと思ったが、すでに塞がれたのか、一向に分かれ道に出くわさない。そういえば、さっきから断続的に地震が続いている。
「誘い込まれてるな。フードゥーディって野郎、引きこもりのくせに好戦的じゃないか」
引きこもり、という単語に一瞬ビクッとする俺には気づかず、アンナはさらに足を早めて奥に向かう。いい加減、俺も切り替えなきゃいけない。過去のことは、過去のことだ。いつまでも、引きずるわけにはいかない。
この世界には、冬子は、いないんだし……この世界では、俺は……人殺しじゃない。今度は、真っ当に生きられるかもしれない。世のため人のためとは言わなくても。
「声の響きが強くなってる。大きな空間がある。剣を構えろ、トーゴ!」
そう言って、走り出すアンナ。俺も後に続く。
やがて、風が吹いてきた。地の底で風なんて、と不思議に思いつつ駆け抜けると、視界がぱっと明るくなった。
そこにはアンナの言った通り、開けた空間が広がっていた。そして――頭上には、高い、細い穴。明るいと思ったら、そこから月の青白い光が落ちてきていたのだ。幻想的にも思える風景の中、アンナは空間の中心に歩み出て、奥の暗がりにうごめく大きな影に呼びかけた。
「ようやく、張りのある相手とやれそうだな。ちっちゃくてかわいい連中を張り倒すの、結構罪悪感あったんだよね」
隣で見てる限り、罪悪感なんて微塵も感じなかったが。その声に応えて、大きな影が口を開く。
「ふ、フードゥーディ……ずっとここにいる、だけ。どうして、フードゥーディ、そっとしてくれない……フードゥーディ、言い付け、守ってる……」
小さいやつより、喋りが流暢だ。いじけたようなそいつの言葉に、アンナはイラついたようだった。
「さっきから被害者ぶりやがって、何なんだよ? 家をぶっ壊しといて、そっとしとけも何もねえだろ。そっとして欲しいのはあたしたち人間の方だよ!」
アンナは大鎚を振りかぶり、真正面からそいつに振り下ろす。だが――その大きな「トモダチ」は、するりと横にうねってその一撃をかわした。俺にとって、アンナの攻撃が外れるのを見るのはこれが初めてだった。見た目は命中率低そうなのに。
アンナ自身にとっても、意外だったに違いない。素早く後ろに飛びのいて、深く呼吸しながらじりじりと間合いを取る。
「ともだち……フー……フードゥーディ……守る……」
不吉な声とともに、そいつは暗がりからのそりと身を起こした。――デカい。俺より一回り大きいアンナより、さらに一回り大きい。そして何より、形が今までのとは違う。大きな頭に、前傾姿勢の長い体、大きな後ろ足に、うねる尻尾。これは人形じゃなく、「竜」だ。
「……竜狩りは二度目だな」
つぶやくアンナ。一匹倒したことあるのか……。
月の光が入ってくるおかげでカンテラを掲げる必要がなくなった俺は、慌てて壁際に退いた。と、すぐそばでカタカタと音を立てる小型の「トモダチ」が視界に入る。……幸い、こっちに襲ってくる気配はない。もしかすると、一度でも攻撃を仕掛けたアンナ以外は、敵だと見なされてないのかもしれない。
「おらぁぁぁぁーっ!!」
雄叫びを合図に、闘技場のような空間でアンナと鉄くず竜の戦いが始まった。
素早く飛びかかる竜の顎をかわし、アンナはすかさず横っ面を大鎚でぶっ叩く。アンナの怪力で、竜は思いっきりのけぞるが……倒れない。すぐに体勢を立て直して、再び顎を開いてアンナの頭に噛み付こうとする。
「くっそ……吹っ飛ばしてやるっ」
アンナは素早く屈みこんで竜の顎をくぐり、重心である胴体めがけて、再び大振りに槌を叩き込んだ。重そうな竜の巨体が、一瞬、宙に浮き上がる。だが――竜はすぐに空中で体をよじり、衝撃をそらして再び着地した。
「まだ足りないかよ……」
アンナがつぶやく。俺は、初めてアンナが余裕をなくしつつあるのに気づいた。一進一退で、どちらかといえばアンナの優勢が続いているが……それでも。一つ間違えば、アンナが死ぬ可能性がある状況だってことだ。
さっきから戦う姿を見てきて、今さらという気もするが……何となく、どんな死闘でも彼女は死なないような気がしていた。自分に痛みがないせいで、麻痺していたのかもしれない。
だが、これはゲームではない。この世界は、現実と同じ。人は、傷つけば死ぬ。
「せいっ!」
アンナは大鎚で足元を払って、竜を転ばせた。だが、転がる一瞬に竜の尻尾が彼女の頭を叩き、のけぞらせていた。やはり小さい奴らとは、段違いに強い。それとも、小さい奴らはもともと戦闘用じゃないのかもしれない。今も、観客みたいに周りでぎゃあぎゃあ叫んでるだけだ。
「あたしに一発入れやがったな? うっふふ……」
――アンナの額から、血が出ていた。アンナ自身は、むしろ面白がっているようだったが。俺は正直、焦っていた。というか、ビビっていた。アンナが死ねば、次に死ぬのは俺だ。いや、攻撃さえしなきゃ俺は無事に出れるのか?
一瞬、迷った。このまま、アンナを置いて逃げるかどうか。それから、自己嫌悪。逃げたくない。アンナにも、死んでほしくない。ついさっき、真っ当に生きたいなんて願ったばかりで、またクズみたいなことを考えるとこだった。腹をくくるしかない。
でも、俺に何ができる? ……問題は、そこだ。魔獣を倒すのは無理だ。当たり前だが。竜を少しでもひるませる……のも無理だろう。石でもぶつけて、注意を引くぐらいなら? 注意を引いた後、一瞬で全身食い尽くされるのがオチだ。どうする……?
「こっ……この野郎!!」
アンナの憎々しげな叫びで、俺は我に返った。アンナを見ると、大鎚のビリーの先端が、竜の顎に食われるような形で挟み込まれていた。
「あたしのビリーを放しやがれ! ちくしょう!」
アンナは竜の体ごと大鎚を振り回し、地面に何度も叩きつける。だが、なかなか離れない。アンナは、自分が攻撃されてる時よりも怒っているようだ。一体、あのでっかいハンマーは彼女にとってなんなんだ。
大鎚を間に挟んで、綱引きみたいな状態でお互い引っ張り合うアンナと竜。その姿を見ていた俺は、今いる空間のさらに奥、暗がりの向こうに穴が続いているのを見つけた。その向こうには、おそらく――魔術師フードゥーディがいる。
「……アンナ! しばらくそいつを引きつけててくれ!」
「はぁっ!?」
俺の呼びかけに、アンナは困惑したようだった。俺も、自分で言いながら困惑しているが。とにかく、何かの役に立ちたかった。アンナを死なせないために。俺にも、何かマシなことができると思いたいから。……人を殺す以外のことが。
俺が駆け出すと、アンナは舌打ちしつつも、竜を俺から遠ざけようと大鎚を竜ごと反対側にブン投げた。壁に叩きつけられ、ようやく大鎚を口から離した竜は、まだ動けるようだったが、金属と廃材の体はところどころひしゃげていた。
「何する気か知らんが、余計なことはしなくていい! あたしだけで潰せる!」
そう叫ぶアンナの声。振り返ると、彼女の周りで小さな「トモダチ」たちがわらわらと動き始めていた。彼らは竜の体にまとわりついて――その体と同化して、ひしゃげた竜の体を補強し始めた。状況は、好転してはいない。
俺は奥の穴に向かって進みながら、アンナに向かって一言叫んだ。
「俺が、魔術師を止めてみる!」
トモダチどもの動きと、それにユージーンの「敵じゃない」って言葉を思い出すに、このフードゥーディって奴はきっと話が通じる相手だ。家のことなんかもう、どうでもいい。とにかく、アンナとの戦いをやめさせられれば。
「馬鹿ッ……拾った命、ドブに捨てる気かよ……!」
アンナの苦々しい言葉を背中で聞きながら、俺は暗闇に向かって走った。
その穴は、思ったより深くはなかった。カンテラの明かりを頼りにまっすぐ進むと、間もなく一つの扉に行き当たった。木の扉だ。土の壁に、どうやってくっついてるのかはよくわからない。そのへんも魔術なのかもしれない。
扉の周りには、誰も、何もいなかった。広間でアンナと戦ってる連中が、トモダチの全てだったのか。俺たちはもう、ほぼダンジョン攻略直前まで来てたわけだ。
「もしもし?」
とりあえず、扉をノックする。返事の代わりに、がさがさと物音がした。中に、確かに誰かがいる。
「……フードゥーディ、だよな? 入っていいか?」
焦りを隠して、話しかける。怯えたような、うめき声。
「うー……だ、だめだ。フー、ふ、フードゥーディは……誰とも、あ……会わない」
強いどもりの入った喋り方。でも、会話はできてる。それに、攻撃的でもない。ホッとしつつも、なんとなく……ぞわっとするのは何なのか。
「俺は敵じゃない。俺は……あー、そうだ。お前の、友達だ。友達になりにきた」
適当な嘘を並べ立てる俺。少しの罪悪感。でも、人の命がかかってるんだ。多少のハッタリは使ってやる。
「フードゥーディに、人間のともだちは、いない。今までも、これからも」
今度は、意外にきっぱりとした声だった。ハッタリは通じないか。ダラダラ話してても埒が明かないので、俺は扉の取っ手に手をかけた。鍵はかかってない。そのまま引いてみると、みしみし音を立てながら手前に開いた。
カンテラに照らし出された部屋の中は、殺風景だった。もはや見慣れつつある土の壁と、トモダチ同様に不恰好で歪んだ家具類がちらほら。そこら中に、本が何冊も積まれている。だいたい、予想通りの「魔法使いの部屋」って感じだが――同時に、どこか子供っぽい乱雑さがある気もする。
部屋の主人の姿は、壁際にあった。ぬぼっとした顔の、青白く痩せた小男だった。大きな布にくるまって、じっと壁を見て、俺が入ってくるのに気づいても、一瞬身じろぎしただけで、こちらを見もしなかった。
「お前が……フードゥーディ、なんだよな」
とりあえず、聞いてみる。フードゥーディは壁を見たまま、ためらいがちにうなづいた。
俺は自分で思ったより、冷静にこいつと向き合えていた。なんとなく予想してたことだが……こいつ自身には、おそらく戦う力はないんだ。使い魔というか、召喚獣というか、そんなものを生み出すだけの能力。
いきなり殺されたりはしない。むしろ、体格的には俺の方が有利かもしれない。しかも、俺は剣を持ってる。振ったことはないが、脅しには使えそうだ。
「戦いを止めさせてくれ。俺の友達が、お前のトモダチと喧嘩になってる。このままじゃ、どっちかが死んじまう」
俺の言葉に、フードゥーディは顔をしかめて、ゆらゆらと前後に体を揺すった。
「う……フードゥーディは、喧嘩は、きらい。それは、よ、よくないから。お母さんが怒る……喧嘩は、い、いけない」
「なら、早くやめさせてくれ!」
思わず大声を出すと、フードゥーディはビクッと体を震わせて、体をくるむ布を不安げに抱き寄せた。ビビりながらここまで来たのに、まさか、こっちがビビらせる側になってしまうとは。
「……すまん。大声出すのはやめる。でも、話は聞いてくれ。お前は、外の連中を止める力があるんだよな? だったら、それを使って欲しいんだ……頼む」
俺は声のトーンを落として、ゆっくり、静かに言った。この、気を使う感じ……覚えてる。冬子だ。家にこもってからの、冬子と話すときに似てる。……なんとなく、嫌な気分がした。
「……ともだちが、止まったら……ぼくは……一人になる。一人は……うぅ……つらい」
苦しげに言ってうずくまるフードゥーディ。様子を見ようと覗き込んだ俺は、こいつの足元で起きていることを見てぎょっとした。
土の上に落ちた小さな木くずとワラの切れ端か何かがひっついて、風にまかれたように、ぐずぐず動いていた。そいつらはだんだん、周りのゴミを巻き込んで、はっきりした形を得ようと、大きくなろうとしていた。俺の目の前で、今まさに「魔獣」が生まれつつあるのだ。
とっさに、思わず足で踏みつぶす俺。生まれかけの魔獣はばらばらになって、元のゴミクズに戻った。俺の足音でフードゥーディは一瞬びくりとしたが、何も咎めたりはしなかった。一つ一つのトモダチが、それほど大事というわけでもないらしい。
「おい! これ以上増やすなよ!」
「友達は……お、多い方がいい。お父さんも……言ってた。ぼくは、地下にいなきゃいけないけど……ちゃんとした、男の子には……と、ともだちが……たくさん、いる……」
ダメだ。全然、会話がキャッチボールにならない。
それにしても、魔術師にも父親母親がいるってのは……当たり前のことではあるが、どこか不思議に思える。この世界の「魔術師」は人間と別の種族みたいだから、家族もみんな魔術師なんだろうな。こんな傍迷惑な息子を放ったらかして、どこで何をやってるんだか。
俺は、キレないように深呼吸して、背を向けるフードゥーディに少しずつ近づいた。
「……いいか、フードゥーディ。お前は魔術師で、強いんだろ。だったら、こんな地下にこもってないで外に出てみろよ。そうすれば、魔術師の友達とかできるかもしれないし……とにかく、今は俺の言う通りに……」
俺の押し付けがましい説得は、フードゥーディのきっぱりした言葉で打ち切られた。
「フードゥーディは、家から出ちゃいけない。フードゥーディはここから動かない。ぼ、ぼくは、やっと、戻ってきたんだ。お父さんも、お母さんもいる、ぼくの家に!」
フードゥーディが大声を出した途端に、ぐらりと地面が揺らいだ。悪寒がした。何か、巨大な敵意に囲まれているような。
「……ぼくは、ここにいる……ともだちと、一緒に……ずっと……言い付け通り、あ、あの家の下に。それで……ぼくは、幸せだから」
次の瞬間、俺はカンテラを地面に落としていた。巨大な影が揺らいだ。動き出したのは、他ならぬ部屋そのものだった。土壁が、家具が、本が、全てが一体になって、フードゥーディを守ろうと蠢き始めたのだ。
「う、うわぁぁっ!」
思わず情けない声をあげて、俺は部屋の扉を蹴り開けて飛び出した。幸い、扉はまだ「生きて」はいなかった。だが、周囲の土はなおもがたがた強く震え、俺を飲み込もうと動き始めていた。
震動に転びそうになりながら、俺はアンナのもとへ走った。悔しかった。俺は結局、しくじったのだ。それどころか、事態を悪化させたかもしれない。
広間に戻ると、そこは真っ暗だった。月が傾いて、天井の穴から月光が入らなくなったのだ。だが、すぐ近くで金属音が響き、火花が散っていた。視界を奪われてもなお、アンナはまだ持ちこたえている。
俺は自分が逃げてきた穴ぐらを振り返った。震動は小さくなっていたが、うっすらと巨大なものが蠢く影が見えた。このままだと、フードゥーディの新しいトモダチが広間に出て来て、アンナと俺は竜と挟み撃ちにされちまう。
――もう、終わりだ。なけなしの勇気も無駄に終わって、ついにここで死ぬのかと思った。悔しいとか恐怖より、気が抜けたような感じだった。
地面にへたり込んで、死を受け入れようとした時――背後で、ヒュボッと風を切る音がした。アンナの大鎚かと思ったが、違う。聞き覚えのある……矢の音だ。
振り向いて広間を見ると、光源もない暗闇の中、不思議にぎらつく銀色の光が、地獄に垂れた蜘蛛の糸みたいに天井からまっすぐ伸びていた。ユージーンの銀の糸だ。瞬きする間に、その銀糸は縄跳びみたいにひゅるんと回転し、真下にいたらしいフードゥーディの竜をからめとっていた。
「ユージーン!」
上に向かって、思わず叫ぶ俺。だが返ってきたのは、ユージーンの声ではなかった。
「二人とも、中心から離れて! 私が今から降りる!」
ヴィバリーが、大声でこちらに呼びかけていた。返答する間もなく、頭上からどっと土の山が落ちてきた。天井の一部を崩して、穴を広げたらしい。
「助けに来てくれたのか……!」
糸を伝ってするりと降りてきた彼女の姿を見て、俺はもう泣き出しそうだったが、ヴィバリーの反応は冷たいものだった。
「甘ったれたこと言わないで。私は、仕事をしにきたの。あなたは、自分の判断であの子についていったんでしょう?」
暗くて顔は見えないが、どうやらかなり怒っているらしい。まあ、命が助かったんだから怒られるぐらいは軽いものだ。
「仕事って……そういうことか? あたしが正しかった、とは言わないけど……まあ話はシンプルになったな」
何か納得した風のアンナ。状況が飲み込めない俺に、ヴィバリーは自分の剣を抜きつつ説明する。
「さっきの地震で、地上に被害が出たの。夜中だから規模は不明だけど、負傷者多数。
淡々とした言葉を、俺は頭で理解しつつも、どこか遠くの話のように聞いていた。
「……ってことは、仕事って……あいつを……」
「そう。今から、殺しに行くのよ。手伝う? それとも横で見てる?」
ヴィバリーは挑発するように言ったが、その口元は笑っていなかった。俺は――何も、答えられなかった。
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