第6話 孤独なるもの、フードゥーディ(前編)
実際、どこまで正義感だったのか、それともアンナに下心があったのか、単に調子に乗っていたのか、アドレナリンのせいか、自分でもやはりわからないんだが。捨て鉢というか、どうせ異世界来たんだからモンスター退治の一つぐらいやっとこうぜみたいな、軽い気持ちもあったことは否めない。
だが、家に入ってすぐ、俺は自分の浅慮を深く後悔した。
「……わーお」
アンナが外人みたいな声を出して(実際見た目は外人だが)、家の中を見回した。
カンテラの明かりに照らされた狭い室内は、見事に食い尽くされていた。家具も、壁も、柱も、扉も、食器も、全てに無数の噛み跡と穴が空いている。そして、45度傾いた床の端には、ぽっかりと穴が空いていた。
「あたしの読み通り、地下室に向かって沈み込んでるな。降りるよ」
木の床……というより、もはや滑り台のようになった木の板を、転ばないように慎重に降りていく。明りを持ってる関係上、俺が先を行かざるを得ないのは計算外だった。くそっ。
「うわっ……と!」
穴に近づくと、傾斜がもう足では立っていられない角度になっていて、俺はもう踏ん張りも効かず、不可抗力的に穴の中に飛び込んでしまった。まあ、コケてもどうせ痛くないしな。
「あいっててて……」
いや、痛くないんだが、つい声に出てしまった。明らかに全身打ち身だらけになりそうな衝撃があったのに、皮膚の感覚はふわっとしてて気味が悪い。
遅れて、アンナがスルリと下に降りてきた。体は大きいのに、身のこなしも軽い。さすが、プロって感じだな。
地面に落としたカンテラを俺が拾い上げると、アンナがひゅうっと口笛を吹いた。
「地下室……だけかと思ってたけど。こりゃ、そういうレベルじゃなさそうね」
見回した先に広がっていたのは……カンテラの火に照らし出された、いくつもの横穴だった。穴の中の穴。つまり――地下道だ。壁らしいものが残ってるのを見るに、もともと地下室があったのは確からしいが、そこをさらに「魔獣」とやらが食い破って、トンネルを作ってしまった感じか。
ごくり、と息を飲む俺。家の地下室で、ゴブリンかなんかの定番雑魚キャラを倒しておしまいかと思っていたが、そう簡単な話じゃなさそうだ。
「話し声がするな。聞こえる?」
アンナが、ホラー映画みたいなことを言う。まだ地面に尻餅をついたままだった俺は、土を払って立ち上がりつつ、文句を垂れる。
「やめろよ、そういうの。脅かすなよ……」
と言いつつ、俺にも何か妙な音が聞こえた。地下の空間にこだまして、どこかから、響いてくる、かすかな声。かすかだが――大勢の。
アンナはフーッと深い息を吸い、それから同じ深さの息を吐いた。彼女は、笑っていた。
「……燃えてくるじゃない」
その目の光は、老夫婦への親切心とか、正義感とか、そういうまともな方向のものではなかった。最初に会った時、サヴラダルナの頭を踏み砕いた瞬間に俺を見下ろしたのと同じ目――戦闘狂の目だ。
アンナは大鎚ビリーをくるるっと扇風機のように振り回し(その風圧だけで俺は一瞬よろめいた)、水平にぴしっと止めると、いつでも振り下ろせるように振りかぶった構えを維持したまま、穴の奥へ歩き出した。
「どこに向かってるか、わかってるのか? ……アリの巣みたいに入り組んでるぞ」
怯える俺の声。自分でも、震えてるのがわかる。アリの巣みたいと言ったものの、本当のところ、暗すぎてどれぐらいの通路が広がってるかはわからない。アンナが慎重になることを期待して、適当に話を盛った。
「声のする方に行けば、間違いないだろ。ちゃんと、隣についてきな。足下を見たい」
言われるまま、カンテラを下に向ける。掘られた土の上には、無数の足跡が付いていた。思わず、背筋に寒気が走った。その横で、アンナは冷静に足で土を蹴る。
「地盤は硬い。人力で掘れる穴じゃないな。かなりの力で掘り進んだらしい。どんな化け物なんだ、一体?」
その答えは――すぐにわかった。アンナが土を眺める横で、俺は穴の奥で動く影を見ていた。すでに、そこにいる。
「アンナ。前を見ろ」
俺は自分が剣を持ってることなんか完全に忘れて、身を守ろうとか構えようなんて発想もなく、ただ「武力」担当に声をかけてその横に隠れた。トコトコ歩いてきた小さな影を見て、アンナは失笑した。
「なんだよ。群れからはぐれたのかい、おちびちゃん?」
それは……なんとも言い難いモノだった。小人、ではある。前情報通り、腰の高さぐらいの、子供みたいな、人型の生き物だ。だが、明らかに人ではない。
手足と胴はブリキの人形みたいにカクカクしていて、ついでに大きさのバランスが狂っている。右手は長く、左手は短く、足もちぐはぐに曲がってる。そして、頭は……ぬるりとした……なんとも名状しがたい、目のない魚の頭のようなものが、首の上に乗っかっている。
「オチび……チャン」
大きな顎――というか、頭そのものが、でっかいトラバサミみたいにぱくりと開いて、その奥から声が響いてきた。口には、舌も、唇もない。がらんどうの穴に、ノコギリみたいにギザギザの歯が生えている。
「キミ、タチ……フードゥーディの……トモダチ?」
シュールな見た目のわりに、意外とフレンドリーな声だった。甲高いが、子供向けアニメのマスコットキャラみたいに、愛嬌のある喋りだ。カタコトなのも、個人的には好感度が高い。
「違うね」
あっさりと、アンナ。まあ実際、フードゥーディが誰かも知らんしな。でも、ここは一時的に友達のふりをするとか、善意の嘘をついてもよかったと小市民である俺は思う。
「ボク、タチ……フードゥーディの……トモダチ!」
こっちは友達じゃないと言ってるのに、なぜか嬉しそうな「トモダチ」は、ハイテンションにまくしたてる。
「フードゥーディ、ひとり。フードゥーディ、さみしい。フードゥーディ、はらぺこ」
よっぽどしょぼくれた奴らしい。アンナは優しい笑顔を浮かべて、小さな魔獣に話しかけた。
「なあ、おチビちゃん。いくら腹ペコでも、人間の家を食うのはやめろってそいつに伝えてくれる?」
意味がわかってるのかわかってないのか、魔獣は不気味な首をぐらりとかしげた。
「にンゲん、フードゥーディ、いじめる。キミたチ、フードゥーディ、いじめる?」
首を横に振る俺の後ろで、アンナはにこやかに言った。
「ああ。こっぴどく、いじめるよ!」
小さな「トモダチ」は口を大きく開いて、おぞましい叫び声をあげた。俺は思わず耳をふさぎ、地面に伏せる。黒板を引っかいた時の例の音を、アンプに繋いでディストーションをかけたような音だ。つまり、拷問だ。
だが、長くは続かなかった。アンナは大鎚の先端の大きい部分(名前は知らん、叩くとこ)で的確に小さいやつの脳天を吹き飛ばし、一瞬で黙らせた。土の上に転がった頭の残骸は、中身のない、ひしゃげた金属のかけらだった。
「まず、一つ」
アンナのつぶやきと――静寂。そして、遠くから、少しずつ、喧騒が広がる。叫び声。無数の、狂気のコーラス。その全てを正面から受け止めて、アンナは舌なめずりをした。
それから、しばらくアンナ無双が続いた。
もう少し詳しく描写したいが、暗いし速いしうるさいしで、すぐそばにいる俺にも何が起きているかさっぱりわからない。ただ、鳴り止まない無数の叫び声、駆け寄ってくる無数の足音、それをなぎ倒すアンナの笑い声、大鎚ビリーと魔獣の頭がぶつかる金属音、などなどが絶えず聞こえてきたのは確かだ。
「灯りを掲げてろ、トーゴ!」
言われた通りにカンテラを持ち上げる腕も、そろそろ疲れてきた。まあ、とりあえず役割があるだけマシか……と、思ってしまうぐらいに出番がない。とはいえ、俺に飛びかかってこられても反応できないと思うが。
魔獣たちはデカい顎でアンナに噛み付こうとしているようだが、今のところかすり傷一つつけられていない。
「……まだ、続きそうか?」
暇つぶしに膝を曲げたり伸ばしたりしながら、聞いてみる俺。
「何が!」
言いながら、アンナは大鎚を頭上の土天井にかすめながら力強く振り下ろし、数匹の魔獣を衝撃で吹き飛ばした。かと思えば、次の瞬間にはクソ重そうな大鎚をまるで棒術みたいに軽々しくぐるんと振り上げて、柄で足元の一匹を貫き潰す。
「戦闘がだよ!」
俺が大声をあげると、アンナは一瞬動きを止めて、肩をすくめた。と、今度は、背後から走ってきたもう一匹を蹴り飛ばし、土壁に叩きつけた。
「……ふーっ。どうやらこれで、いったん打ち止めみたいよ」
アンナの言葉通り、蹴られて胴体が破裂した今の一匹を最後に、次の魔獣は来なくなった。だが、まだ遠くの叫び声は続いている。
「やっぱり、このまま進む気か?」
歯切れのいい答えが返ってくるかと思ったが、意外にアンナは迷っていた。
「さて……どうするかな。あたしとしては、家を食ってる魔獣さえ始末できればよかったんだけど。どうやらまだまだ大量にいるみたいだし……この『フードゥーディ』って奴がいる限り、魔獣がいなくなることはなさそうだ」
「それじゃ、その魔術師も……やるのか?」
俺が恐る恐る口にすると、アンナはふっと吹き出した。
「んなわけないだろ。いくらあたしが向こう見ずだからって、魔術師は殺せないよ……『はぐれ』じゃない限りはね」
そう聞いて、ホッとする俺。本気で「いじめる」気かと思っていた。アンナは少し黙り込んで、穴の奥に耳をすませた。
「まだ、増援はしばらく来なそうだな……んじゃ、せっかくだから、あたしの故郷の怖ーい話でもしてやろうか」
「……敵の真っ只中でか」
「ヒヤヒヤして面白いだろ?」
そう言うなり、アンナは土の上に座り込んだ。俺もつられて、カンテラを地面に置いてしゃがみこむ。カンテラの揺れる灯りと、遠くのおぞましい叫び声のおかげで、確かに怪談でも始まりそうな雰囲気だ。
「あたしが住んでた北の大領地は、
……変な爺さんだ。ファンタジー世界とはいえ、さすがに千年単位でそんな暇なことしてる奴はフィクションでもあまり読んだことがない。
「……アンナは、そいつに会ったことあるのか?」
少し好奇心をそそられた俺が尋ねると、アンナはどちらとも言えない顔で首を揺らした。
「本人に会ったことはないけど、その焚き火の煙は見たことあるよ。かなり遠くからでも見えるからね……この世に戦乱の狼煙を永遠に消さないことが、ウーバリーの生きがいなんだとさ」
気が長いだけじゃなく、趣味の悪い爺さんだ。まあ、アンナが生まれ育った場所と考えると、それぐらい頭のネジが吹っ飛んだ支配者がいても不思議じゃないか。
「今から話すのは、そのウーバリーにちなんだ……怖い話ってより、ちょっとした教訓話かな。昔々、ウーバリーの領内にとある街があった。名前はもう残ってないけど、そこそこ大きい街だったらしい。ある日その街で、一人の魔術師が、罪人として処刑された」
「魔術師が、人間の手でか?」
「ああ。魔術師とはいえ、大勢で囲まれりゃ、よっぽど強い力がない限り抵抗は難しい。最初から、戦闘向きじゃない魔術師もいるしね。……処刑の理由は、誰も知らない。わかってるのは、そいつが『はぐれ』じゃなかったってことだけ」
「……ずいぶん、曖昧な話だな」
「そこが問題なんだよ。実際にその街で何が起きたか、語る人間がいないんだ……次の日には、街の住人は一人残らず消えちまったからね」
アンナはそこで言葉を切って、ため息をついた。
「夜のうちに炎が上がって……大人も子供も、家も外壁も、街そのものが、ただの灰になった。土は熱せられて固まり、その街があった土地には、今でも草一本生えない。人間は消え、街の名前も忘れられ、ただ、そこで魔術師が殺されたって話だけが、恐怖とともに語られるのみ」
「それを……ウーバリーって奴がやったのか?」
「そう言われてる。でも、実際誰がやったかは問題じゃない。要するに、魔術師を一人殺すってことは、それだけ大きいものに喧嘩をふっかけるってことなんだよ」
なんだか、俺にはいまいち現実感がないが――この世界にずっと住んでる連中からすれば、それは俺が感じてるよりずっと、実感のある恐怖なんだろう。現実世界で言えば、一夜にして空爆で村が消えた、みたいな話か。
俺は、さっきキスティニーのお遊びで世界の反対側(?)まで飛ばされたことを思い出していた。サヴラダルナも、「見る」だけで人を殺せた。本当の「魔法使い」と同じ世界に住んでるってのは、それほど危ういものなのだ。
「その教訓はよくわかったけど……で、これからどうするんだ? 魔術師とかち合わないように、退いた方がいいんじゃないか。とりあえず魔獣の数はだいぶ減らしたわけだし……」
アンナは立ち上がって、自分の大鎚をじっと見た。まるで、そいつに意見を聞いてるみたいに。そして、ひょいと担ぎ直して、まっすぐに穴の奥を見た。
「うん。このまま突っ込む」
「……さっきの教訓はどこ行ったんだよ」
俺もだんだん心の中だけじゃなく、面と向かってツッコミ入れられるようになってきた。そうしないとこの女、どんどん暴走していきそうだ。今になって、ヴィバリーの気持ちがよく分かる。
「さっきの話の教訓は、要するに殺さなきゃいいってことさ。直接ブン殴りさえしなきゃ、
……気を晴らしたいのは自分じゃないのか? そもそも、あの老夫婦だって俺たちにはっきり何か頼んだわけじゃない。全部、アンナの勝手なおせっかいなのだ。(無理についてきた俺も十分おせっかいではあるが)
いや――アンナの場合、ただのおせっかいではないのか。
「アンナってさ……魔獣になんか恨みでもあるのか?」
俺は思い切って聞いてみた。デリケートな話題なのはわかってるが、地底探検にまで付き合ったんだから、俺もそろそろ聞く権利はあるだろう。
アンナは舌打ちして、苦い顔をした。
「なんだよ。あたし、そんな必死に見える?」
怒ったというよりは困ったような顔で、アンナが言う。
「いや、それもあるけど……さっき、ヴィバリーがチラッと言ってただろ。家族が……って。それで、ちょっと気になって……」
「……そういや、そうだったな。あの、お喋り女め……まあ、そんな隠すような話でもないか。よくある話だし」
そう言って、アンナは照れ臭そうに笑った。とても笑い事でないような話をしながら。
「あたし、家族を魔獣に食われたんだよ、昔。家族四人でメシ食ってたら、デカい犬が襲ってきてさ。あとできっちり頭かち割ってやったけど、その前に両親と弟がそいつのメシになっちまった」
「弟……いたのか」
意識せず、口からそんなつぶやきが漏れていた。
「ああ。姉のあたしが言うのもなんだけど、可愛い子だったよ。でも、最後に覚えてる顔は、泣き顔だったな」
「…………」
俺は何も言えなかった。アンナは、彼女の性格から考えるに、弟を守ろうとしたに違いない。俺は……自分の妹を守ろうとはしなかった。あいつが苦しんでるのはわかってたのに、守るどころか……俺が最後に覚えてる冬子の姿は、血の滲んだ毛布の塊だった。
「そんな顔しないでよ。昔の話だよ。子供の頃のこと。でもまあ、確かに、魔獣相手だとちょっと周りが見えなくなるとこはあるかもね……」
アンナは俺の反応を同情か何かと勘違いしているらしく、今までの暴走を少し反省して、ため息をついた。まあ、アンナの過去に同情してるのも嘘じゃない。子供の頃に、魔獣の頭をかち割ったのはすさまじいと思うが……。
気を取り直した俺は、カンテラを持ち上げて、穴の反対側を剣の先で指した。
「……そこまで自覚してるなら、もう、意地張らなくてもいいんじゃないか。早く、地上に……」
戻ろうぜ、と言おうとした瞬間。地面が小刻みに揺れた。もりもりと、地中を何かが動く音。上から土がパラパラ落ちてきて、頭にかかる。
「なんだ、これ……?」
「! 避けろ、トーゴ!」
そう言いながら、アンナは突然俺の腕をつかむと、ぐいっと引っ張った。次の瞬間――轟音を立てて頭上の土が崩れた。土煙が巻き起こる中、アンナに放り投げられた俺は、土壁に背中からぶつかった。痛みはないものの、息が苦しい。さらに、巻き上がった土が口に入ってきてジャリジャリする。
「げほっ……うぐぇ……アンナ、大丈夫か?」
衝撃でカンテラを落とした上に、土煙で何も見えない。だが、アンナの返事はすぐ返ってきた。
「こっちは大丈夫。でも……どうやらもう、戻るのは無理みたいよ」
ひゅひゅっとアンナが大鎚を振る音がして、土煙が風で少し薄れる。うっすらと見えてきたカンテラの灯りを、慌てて拾い上げると――アンナの言う通り、俺たちが通ってきた穴が、すっかり崩れて埋まっていた。
愕然とする俺に向かって、アンナは笑った。
「逃げ道をふさぐってことは、向こうもやる気らしい……こうなりゃ、腹くくるしかないな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます