第5話 暗闇へ

「ダメよ、アンナ」

 開口一番、ヴィバリーはこちらを見もせずに言った。魔獣退治に行こうとか、爺さん婆さんを助けようとか、そんな話を一切する前にだ。

 すでに一人で部屋を取っていた彼女は、自分の荷物を整理しようとしているのか、あちこちに物品を散らばしていた。片付けは苦手らしい。

「……まだ何も言ってないよな?」

 俺が当然の疑問を口にすると、ヴィバリーはちらりと俺を見て、いきなり長い棒のようなものを投げつけてきた。

「私は耳が早いの。トーゴ、あなたはとりあえず、これを持っておいて。銀貨1枚の安物だけど、安物の中ではマシなのを選んでおいたから、適当に振ってもすぐには折れないわ」

 その棒はよく見ると、鞘に入った剣だった。内心、テンションの上がる俺。どうのつるぎ的なやつだが、ついに武器をゲットだ。だが、その横でアンナは、静かに怒っていた。

「……騎士団として動けないなら、あたし一人で行くよ」

「意思決定は私の仕事。従って。市長から、ちょっとした噂を聞いたの。大きい仕事につながるかもしれない。また護法騎士団に先を越される前に、動かないと」

 ヴィバリーはきっぱりとした口調で言った。だが、アンナも譲らない。

「なんでもお見通しなら、あたしに退く気がないのもわかってんでしょ?」

 喧嘩腰のアンナに、ヴィバリーも珍しく感情的な言葉で言い返した。

「なんでもお見通しではないけど、あなたが情に流される理由はわかるわ。家族のことでしょう? でも、今のあなたは騎士なのよ。青い兜をかぶった瞬間から、あなたは役目を負っている。自覚を持ちなさい」

 ヴィバリーの言葉の半分ぐらいは、俺にはよく意味がわからなかったが――家族の話が、アンナにとってはかなりデリケートな話題らしいということは、アンナの反応でわかった。

「……家族の話を出すってことは。命かける覚悟をして言ってんだよね」

「私は騎士として、常に命をかける覚悟をしてるわ。だから自分の命を、街で見かけたかわいそうな人たち一人一人を救うなんて、非合理的なことのためには使わないのよ」

 俺は――正直、ヴィバリーの考えに賛成だった。というか、その合理的かつストレートな物言いは、俺が普段からこうありたいと思ってる理想の姿に近かった。でも――だからこそ、人から見るとこんなに嫌な奴に見えるんだなってことも、痛々しいほど感じてしまったのだった。

「おい、ヴィバリー。お前さあ……」

 ここは俺が間に入って仲直りさせてやるしかないか、と使命感に駆られた俺が割って入ろうとすると、沈黙したアンナが静かに自分の荷物を足で開けた。そして――

「わかった」

 一番上に入れていた、青い兜――というにはやや薄手の、顔と頭を覆うマスクみたいな感じなのだが――を取り出して、床に置いた。

「それじゃ、ここまでだ」

 次の瞬間、パキン、と小さな音を立てて、兜は二つに割れていた。人間の頭とどっちが固いかはよくわからないが、かなりの力で踏み抜いたのは疑いようがない。それから、アンナは壁に立てかけていた大鎚ビリーを取り上げると、真っ直ぐに部屋から出ていった。


「あーあ……高かったのに」

 ヴィバリーが最初に口にした言葉には、正直俺でもイラっとした。

「お前、さすがにもうちょっとなんか、言い方っていうか……二人の話、俺にはよくわかんなかったけど。横で聞いてる感じ、明らかにお前が悪かったと思うぞ」

 俺の指摘に対しても、ヴィバリーは特に動じなかった。

「アンナが聞き分けないのも、騎士団を辞めたがるのも、別に初めてじゃないもの。他の騎士団なら、兜を割るなんて、その時点で首を撥ねられてもおかしくないけど……私は寛大だから」

 さらっと恐ろしいことを言う。顔には出さないが、どうやらヴィバリーの方も内心キレているらしい。

「……兜って、そんなに貴重品なのか?」

「価値の問題ではないのよ。騎士としての、象徴というか……誓いの証ね。その色とともに、己が騎士団のために身を捧げるという決意の形なの」

「『色』って……そういや、赤とか白とかよく言ってたっけか……」

「アンナから説明されなかった? 昔からの習わしというか、最適化された騎士団の運用法みたいなものよ」

 前々から、ちょいちょい「青の騎士」とか名乗ってるんで気になってはいたが、ただのカッコつけかと思っていた。ちゃんと意味があったのか。

 ヴィバリーは自分の白い兜を取り上げて、それを見つめながら説明を続けた。

「白はリーダー。騎士団の意思決定と、采配を担う。アンナの青は武力。盾となり剣となり、突破口を開く。ユージーンの赤は、諜報と撹乱……前の戦いで見た通りよ。最後が黒……うちにはいないけど、全体のサポート役とか、色々ね」

 黒騎士っていうと中二病っぽいイメージだが、この世界だとわりに地味な役らしい。

「……それぞれが課せられた役を果たすことで、騎士団は一つのシステムとして機能する。人を超えたものに食らいつくには、こちらも人を超えなければならない。個人としての心と魂を捨て、騎士団という一つの獣の血肉になるのよ……」

 なんだか、血なまぐさいたとえだ。やっぱり、ちょっとサイコパスっぽいとこあるよな。まあ、アンナもユージーンも、騎士って連中はみんな全然血とかには動じないみたいだが……

「そのためには、誰一人として役割を放棄してはならない……はずなんだけど。うちは機能不全なところが多いわね。一人足りないし……」

 確かに、ユージーンに諜報活動ができるようにも見えないしな。

「だったら、せめて今いるメンバー同士では仲良くしたらどうだ。この世界のこと、まだよくわかんないけど……アンナみたいな奴、そこら中にいるわけじゃないんだろ」

 少なくとも俺がこの街で見た限り、あんなでっかい大鎚を抱えて歩いてる戦士は、男にも女にもいなかった。

「……まあね……」

 ため息をつきつつも、ヴィバリーは結局アンナを追いかけようとはしなかった。


 気づけば俺は、お節介とは知りつつも、街に出てアンナを探していた。自分でも何をやってんだろうと思うが……まあ打算的な意味でも、こいつらには仲良くしててもらわないと、俺の居場所が危うくなるってこともある。

 本当は、耳がいいらしいユージーンが手伝ってくれるのを期待したんだが。あいつは、アンナたちが喧嘩を始める前から、何か考え込んだようにじっと外を見ていて、反応がなかった。それで仕方なく俺が、腰につける方法もわからない剣一本抱えて、見知らぬ世界の見知らぬ街を走り回ってるわけだ。

「おーい、アンナー!」

 月の高さを見るに、たぶん、今はもう真夜中近く。人通りも少なくなっている。明かりは、家々の窓から漏れる光と、かろうじて火がついている何本かの街灯だけ。

 正直めちゃくちゃ怖い。世界観的に、幽霊もお化けもたぶん本物がいるだろう。

「くそっ……酒場かあの家だと思うんだが……」

 独り言を言いつつ、周りを見回す。暗くて、方向どころか道があるかないかさえわからない。田舎の夜道は暗いと聞いたことはあるが、最近じゃ田舎もここまで暗くはあるまい。

「アンナー……」

 呼ぶ声もつい、小声になる。耳をすませど、自分の足音しか聞こえない。よくもまあ、こんな道を歩けるもんだ、この世界の連中は。アンナたちみたいに、あれだけ強けりゃ怖いものもないのかもしれないが……

 ふと、道の先を見ると、暗がりにガラの悪そうな男たちがたむろしていた。日本のガラの悪い連中でも十分近づきたくなかったが、こっちの世界でこういう連中に絡まれたらどうなるかは、想像に難くない。目を合わせる前に、離れなければ……と思ったら。

「あらあら、迷子かしら~?」

 突然、声をかけられて、俺は飛び上がった。転びそうになりながらも振り返ると、そこには昼間、馬車の上で会った例の魔術師……なんとかかんとかキスティニーが……空中に、逆さに立っていた。

「シュ、シュ……まあまあ、こんなに明るいのに、迷うなんて不思議。わたし、不思議なことって大好きよ。あなたも、この街も、う~ん、この世界は、不思議でいっぱいね……」

 そんな不思議な格好で言われても困るが。

「……な、なんか用……ッスか」

 思わず敬語で尋ねる俺。キスティニーは逆さまのまま、シシシと笑う。不思議なことに、逆さまなのにスカートはまったくめくれて上がってはいない。こんな人間離れした連中にも、羞恥心はあるのか。

「用? 用はないんだけど。用はないのかしら? あっても不思議じゃないけれど。不思議なのはいいわよね。不思議な用があると、もっといいわ!」

 ――こいつ、自分でも絶対何言ってるかわかってないだろ。とにかく、今はそれどころじゃないのだ。

「あー……申し訳ないんですけど、人探しの途中なので……」

 俺はそう言って暗に追い払おうとしたが、かえって逆効果だった。

「そうよね、人探しなのよね……この流言師ワンダリング・ワーズキスティニー、あなたの言葉を聞いてたわ。わたし、いつでも、どこでも、なんでも聞いてるの。アンナって子を探してるのよね? うふふ、手伝ってあげる!」

「いや、ちょ……」

 ……っと待ってくれ。と言おうとした瞬間。


 視界がぱっと変わっていた。俺は夜の街中にはいなかった。

 俺はどこかの部屋の中にいた。薄明かりの中で、ベッドがあって、もぞもぞと、毛布が動いて――

「ちょ、ちょっと、誰よあんたたち!?」

 ぎょっとした声。そこには裸の、見知らぬ女性がいた。あと男もいた。何をしていたかは、まあ……想像にお任せする。

「どうどう? この子がお探しのアンナちゃん?」

 キスティニーは慌てふためく男女を完全に無視して、うきうきした声で言った。暗くてよく見えないが、声からして絶対違う。……違うよな? 違うはずだ。動揺するな。よく見ろ、髪の色が違う。

 頭を横に振ると、キスティニーはうーんと首を傾げて、次の瞬間、また風景が変わっていた。


 今度は、青い空が見えた。足元がゆらゆら揺れて――

「う……うわっ!?」

 倒れそうになって、慌てて手近な木の柵みたいなものにつかまる。すると、今度は頭上だけじゃなく足下にも、揺らめく青いものが見えた。海だ。ここは、船の上なのだ。夜から昼に変わるとは、一体、どれだけ遠くに来たのか。

 落ち着いて周りを見回すと、ぽかんとした顔の船員たちが、怪訝な顔で俺と、宙に浮かぶ魔術師を見ていた。だが、さっきの二人に比べると動揺は少ないようだ。海の男だけあって、異常事態には慣れているのか。

「それじゃー、この子がお探しのアンナちゃんかな?」

 俺の頭上に浮かんだキスティニーが、床を指差して言った。

「どういう意味だよ!?」

 事態が飲み込めない俺に、隣に歩いてきた船員が、助け舟を出してくれた。船乗りだけに。

「あのー……確かに、この船はセントアンナ号ですけど」

「……そういうことかよ」

 ようやく魔術師センスのくだらない洒落を理解した俺に向かって、キスティニーはけらけらと笑った。

「お前……わざとやってるんだな?」

 タメ口になった俺を見て、キスティニーは舌なめずりをした。

「そうかな? どうかな? うーん、わたしにもわかんない!」

「いいから、とにかく、街に帰してくれ!」

 波が船に当たって、足元がぐらりと揺らいだ。そもそも、船とか酔う乗り物は苦手なんだ。すでに酔ってるのか、水平線がやたらと丸く見える気がした。

「あはは! りょーかい!」


 そして、俺は再びオーランドの街に立っていた。ほんの数十秒の間に起きためちゃくちゃな体験に、今になって心臓がばくばく言い始めていた。よく考えれば、こいつは俺をどこにでも移動させられるわけで――つまり、こいつの気が向いた瞬間、俺は海の底なり宇宙空間なりに放り出される可能性があるってことだ。

「……じゃあね、トーゴくん。次は、あっちの子を見にいこっと……」

 そんなことを言ったかと思うと、キスティニーは昼間と同様脈絡なく姿を消した。

「おいっ、結局アンナは……」

「……トーゴ?」

 アンナは、俺の真後ろに立っていた。……どうやら、キスティニーは一応、ちゃんと人探しの手伝いを果たしてくれたらしい。

「あんた、いつのまに……まあ、いいや。ヴィバリーに言っといてくれる? あたし、今夜中に済ませてくるからって」

「済ませてくる、ってお前……」

 アンナの背後には、例の傾いた家があった。やはり、ここに来ていたのか。

「騎士団の仕事に支障は出さない。他の団員にも迷惑はかけない。割った兜はまあ、後で直すとして……とりあえず、それであの子も文句ないでしょ」

 大喧嘩したわりに、本気で騎士団を抜ける気じゃなかったらしいのは、ヴィバリーの読み通りだったのか。いや、今はそれどころじゃない。

「今から、一人でこの家に入る気なのか? 魔獣がいるんだろ。しかも、夜は強くなるとかって……」

「昼間よりゃ面倒だけど、まー、そんなに心配いらんよ。あたし、結構強いし」

 アンナは落ち着いた顔をして、静かに笑った。酔っぱらった時の感じを見るかぎり、こいつの場合、平気な顔してる時の方がおそらく危険だ。目も、よく見ると完全に据わってるし……。

「でも……」

「素人さんに、あれこれ言われるの好きじゃないんだ。黙って行きな。ユージーン! あんたも、帰っていいよ」

 そう言って、アンナは屋根の上をちらりと見た。俺もつられて見上げると、たしかにそこにはいつの間にかユージーンが寂しそうに座っていた。

「一緒に来なくていいからね。あんたには自分の目的があるんだし。あたしの意地なんかに付き合う必要ないよ」

 ……意地張ってる自覚はあるらしい。ユージーンは少し迷っている風だったが、そのうち、するりと下に降りてきて、アンナの前に立ちふさがった。

「……アンナ。この魔術師、敵じゃないよ」

 ユージーンにしては、かなり長いセリフだ。敵じゃない……つまり、「はぐれ」じゃないってことか。実際、家一軒潰しただけで、人を殺したわけでもない。過剰反応っちゃ過剰反応だ。いや、損害賠償ぐらいはしてほしいが。

「魔術師が敵じゃなくても、そいつが生んだ魔獣は敵だろ? 始末したって文句なんか言われやしない。くそっ……あたしが、一番許せないのはそれなんだよ。後のことなんか顧みずに、傍迷惑なゴミを放ったらかしやがってさ。それで、こっちがどうなろうと知ったこっちゃない。悪意もなく、何の感情もなく……あたしたちの生活を、踏みにじって、それに気づきもしないんだ」

 アンナは憎々しげにそう言って、唇を噛んだ。察しの悪い俺も、だんだん……アンナが、何かこの「魔獣を狩る」ということについて、個人的な感情があるらしいことに、気がつき始めていた。たぶん、さっきヴィバリーも言ってた家族の話なんだろう。

 ユージーンを押しのけて歩き出そうとしたアンナは、ふと立ち止まってこちらを振り返った。

「悪い。トーゴ、そこに置いといたカンテラ取ってくれる? 灯りが要るんだ」

 俺はため息をつきつつ、カンテラを拾い上げ、アンナのところに歩いていった。カンテラにはすでに火が入っていて、ちろちろと燃えて、俺の手とアンナの顔をオレンジ色に照らし出した。

「……おい。何してる?」

 と、アンナ。俺はどう答えたものか思案しつつ、地面に転がったひしゃげた扉の残骸を足でどけた。

「正直、自分でもわかんねえけど……まあ、灯りを持つ係がいた方がいいだろ」

 アンナの前を歩きながら、俺は右手で剣を抜いた。戦う気はないが、一応、格好つけておこうと思って。

「カンテラ渡して、さっさと帰れ。死にたくなきゃ……」

「もう死んでんだから、心配いらないよ……多分」

 アンナはため息をついて、それきりもう止めなかった。俺は深呼吸しつつ、家の中に一歩、踏み出した。

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