第4話 傾いた家
酒の席ということで、俺は根暗なりに、酔っ払いたちのどんちゃん騒ぎとか、アンナが脱ぐとか、そういうことを期待したりもしたんだが、実際には、酒場なんてものは意外に静かなものだった。
というか、アンナは本当にひたすら酒そのものが好きらしく、料理と酒を飲み込むばかりで、話もろくにしない。声を出すといえば、たまに「くぅーっ」とか「これだよなあ」とか酒のうまさを一人で楽しむばかり。酔えば酔うほど静かになっていった。
俺もまあ自分で話題をふるコミュ力もないので、仕方なく味のしない料理をつついたり、ユージーンと目を合わせたり逸らせたりして遊んだり(?)、不毛な時間を過ごしていた。さっさと宿に向かいたい。
――そんな時だった。近くの席から、不吉な話が聞こえてきたのは。
「……ああ、それじゃ……終わりだな……」
隣の席に座ったのは、陰気な老夫婦だった。他の席の客も大して陽気ではなかったが、その席はさらに陰鬱な空気を漂わせていた。陰気、というだけじゃなく……なんと言ったらいいか。そう、葬式の香り――
「仕方ない。別の家を探そう。もう、できることは何もない……」
「どうやって? もう、一銭もないのよ。この食事で、もう最後……」
「……私が、働くよ」
「その歳で、誰が雇ってくれるの?」
「そうやって、粗探しばかりしてどうなる?」
「……ごめんなさい。もう、疲れたわ……いっそ……」
「それも……仕方ないか……」
深いため息。もう、勘弁してくれ。聞いてるだけで死にたくなる。
何があったか知らないが、どこの世界でも底辺の人間は、同じようなことで苦しむものだ。衣食住とか、老老介護とか、もうそんな陰気臭い話を俺に聞かせるぐらいなら、いっそどっかでさっさと死んでくれないものか。
死んで――
(兄貴)
ふっと、昔の記憶が浮かんだ。
死体じゃなかったころの冬子。俺の妹だった頃の冬子。俺が殺した少女。
何でもない朝。中学に入る前の休みだったか。兄貴、と呼ばれて振り向いたら、冬子が制服を着て立っていた。俺はなんだかホッとしたのを覚えてる。冬子が生まれてすぐに父親がいなくなったから、少し、父親がわりみたいな気分だったんだ。冬子が成長して、大人っぽくなって、自分の面倒見られるようになって、ようやく、俺は自分自身のことができると思った。これからは自分のことだけでいい、と――
俺は顔をしかめて、ため息をついた。
バカは死んでも治らないというが、俺も結局、異世界に来て、一回死んだらしい後でも、向こうにいた頃と性格のクソさは何も変わってないらしい。自分の面倒も見られない弱い人間を見ると、消えて欲しくなる。俺自身も、弱っちいくせに。いや、自分が弱いからなのか――
爺さん婆さんに引きずられて、すっかり暗い気分になった俺は、そろそろ出ようとアンナに提案するつもりで、顔を上げた。
すると、アンナが――まるで当然のことのように、老夫婦に金貨を一枚放り投げ、彼らのすぐ隣にどかっと座っていた。
「ねえ、あんたら、死ぬんじゃないよ」
なんとなく、少し、気が楽になった。向こうで、俺が冬子を刺す前に、アンナみたいな奴がいたら……何か、変わってたんだろうか。
「何があったか知らないけどさ……とりあえずこの金貨を受け取って、宿でもとってさ。腕力で片付くことなら、この冬寂騎士団、青の騎士アンナが片付けてやるよ。あたし、お年寄りが泣いてるとこ、見てらんないんだよね……田舎のじーちゃんばーちゃん思い出して……どっちも死んじゃったけどさ……ばーちゃんのクッキーが絶品で……じーちゃんの息が臭くて……そう、つまり……なんだっけ?」
……酔っ払って絡んでるだけかもしれない。
老夫婦はぬぼっとした目でアンナを見上げて、それから、また顔を伏せた。
「魔術師が……」
爺さんがそう口にした途端、じっと壁を見つめていたユージーンが、ぴくり、と動いた。
「魔術師が、うちの家の近くで何か悪さをしてて……でも、姿を見せないし、私たちにゃ何も言えないもんで、そのままにしていたんだが……そのうち、家の周りを、変な生き物が走り回るようになって」
変な生き物、という言葉で、今度はアンナが、ぴくりと反応した。
「……魔獣か」
要するに、モンスター的なやつだろうか。急に酔いが醒めたように顔がシャキッとしたアンナは、テーブルに肘をつき、聞く体勢を整えた。
老夫婦の話は、要約するとこんな内容だった。
夫婦の家は昔から、家鳴りがひどかった。だが徐々にその家鳴りは大きく、はっきりした物音に代わり、やがてはドタンバタンと何かが走り回るような音に変わった。ポルターガイストみたいな状態だ。
その時点で、魔術師の仕業だと感じた夫婦は、市長に訴え出た。だが、対策はとられなかった。つまり、犯人と思しき魔術師は見つからず、「はぐれ」認定もされなかったというわけだ。何より、サヴラダルナみたいに疫病をばらまいたりゾンビの山を築いたりするような連中と比べれば、騒音なんて無害に等しいということだ。
引越しを考えたが、夫婦はその家に愛着があった。死んだ息子の思い出がなんとか、と言っていた。それでずるずる先延ばしにしているうちに……騒音の主が、ちらちらと姿を見せ始めた。それは魔術師ではなく、二本足で走り回る、子供ぐらいの背丈の、小さな「何か」だったという。
「……魔獣ってのは、要するに魔術で生み出された化け物の総称だから……実際はいくつかの分類がある。もともといる動物を、クソ魔術師がいじって化け物に変えたやつ。あるいは、何もないとこからアホ魔術師が生み出した、人工生命ってやつ。話を聞く限りじゃ、後者かな……」
すっかり冷静になったアンナが、鋭い目つきで語る。
「二本足で歩く動物って言ったら猿か人間だけど、オーランドの近くに猿はいない。人間の子供を使ったなら、さすがに『はぐれ』認定されてるだろうし」
「……詳しいんだな、アンナ」
正直、ヴィバリーの方が知性派で、アンナは腕力担当で、ステータスで言えば知力は低いのかと思っていた。もっとダイレクトに言うと、脳筋だと思っていた。
「あー……まあね。ヴィバリーと会う前は、魔獣狩り中心にやってたから。で、その小さい魔獣の群れが、何をしたの?」
アンナが話を促すと、老人はぽつりと、無気力な声で言った。
「家を……食っちまったんだ」
俺たちはアンナに引き連れられて、老夫婦の家に向かった。大まかな場所だけ聞いて、詳しい住所は「行けばわかる」とのことだった。もう夜中だし、正直そろそろ宿に行きたかったが、話の流れ上ここでそれを言い出すのは気が引けた。……それに、どうせ戦いになっても、戦うのは俺以外の二人だしな。
「なるほど、こりゃ確かに、行けばわかるわね」
背の高いアンナが、最初にその家に気づいた。それから、やや遅れて俺も。
オーランドの街は、入ってすぐはわりと小綺麗な街並みだったが、酒場の近くに行くとやや汚く、さらに奥まったこのあたりでは貧民窟に近いような、埃っぽい寂れた風景だった。どこの家も、立て付けの悪そうな感じ。カラスの声が、陰気さに拍車をかける。
その中でも、老夫婦の家が特殊だったのは――はっきりと斜めに傾いていたことだ。
「……ななめ」
ユージーンがぼそっと言って、自分の頭を斜め45度に傾けた。家の角度に視線を合わせているらしい。
「地盤沈下、とかか?」
思わず口から出た俺のつぶやきに、アンナはちっちと指を振った。
「だから、魔獣のせいって話でしょ。シロアリみたいなやつが柱から土台まで食っちまったんじゃない?」
シロアリは二足歩行しないと思うが。いや、この世界のはするのかもしれないが……
「入ってみるか? 扉、開いてるけど……っていうか、ひしゃげて外れてるけど」
これじゃ、確かに暮らすのは無理だろうな。
「今夜はとりあえず外から様子見て帰るよ。夜は魔術が強まる。魔獣も同じだ。わざわざ不利な時間に相手しなくてもいいさ。まだ、ちょっと酒残ってるし……」
アンナは大鎚を地面にぐりぐり押し付けながら、家の姿を眺め回した。俺もつられて、めちゃくちゃになった家の様子に目を向ける。
「……壁は、穴だらけ。歯型がある……人の仕業じゃないのは確定。……見た目ボロボロだけど、ウワモノはただ傾いてるだけだね。西側の柱が、二本とも沈み込んでるのか……」
ぶつぶつ言いながら、アンナは一歩家に近づくと、玄関先の石段に向かって大鎚を振り下ろした。ゴンッと鈍い音がしたが、手加減したのか石は割れなかった。
「この音、空洞があるな。地下室か、それとも噂の魔獣たちが穴掘ったのか……その空洞に向かって、地上の土台が崩れ落ちた感じだろうな」
「へー……」
感心してぽかんとする俺を見て、アンナは照れ臭そうに頭をかいた。
「実家が大工だったもんでね。今日は、アンナちゃんのイケてるところを色々発見する日だねえ」
実家が大工なのは、イケてるポイントなのかどうかよくわからないが。
「地下に潜るなら、カンテラかなんか持ってこなきゃダメか。しかし、魔獣を始末しても、この有様だと、家を立て直すのはちょいと無理だろうな……」
残念そうなアンナに、俺はかける言葉を探した。正直、老夫婦のことは大して気の毒にも思わないんだが……(魔獣なんか放っといて、金のあるうちにさっさと引っ越せばよかったのに)アンナの無邪気な親切心が叶わなかったのは、やや気の毒な感じがしたのだ。
「……まあ、倒してやれば、爺さんたちも気分的にはスッキリするんじゃないか? 大事な家のカタキなんだし」
アンナは、大鎚ビリーをヒュルルっと素早く回転させて肩に担ぐと、小さく笑った。
「そうだね。まっ、とにかく宿に行こう。ヴィバリーにも話通しとかないと」
歩き出すアンナに従って、俺も歩き出す。やっとこさ、寝床にたどり着ける。しかし、昨日の宿では怪我人扱いでずっと寝ていたから考えなかったが、今日はどういう部屋割りになるのか……女性陣と相部屋か? ユージーンはいつもどうしてるんだ? ――などと考えていると、頭上からストンとユージーンが飛び降りてきた。
「……お前、今、どこから降りてきた?」
「屋根」
まあ、他に登るとこもないだろうけど……
「屋根で、何してたんだ」
歩きながら尋ねると、ユージーンは難しい顔で後ろを振り返った。
「声……聞こえたから。フードゥーディ……ともだち……って」
「フー……?」
いよいよわけのわからないことを言い出した。幻聴でも聞いたのか。それとも、この世界の連中には意味の通じる言葉なんだろうか。
「アンナ……こいつの言ってること、おまえには分かるか?」
「さあね。でも、ユージーンは耳がいいから。遠くの子どもの声でも聞いたんじゃない」
肩をすくめるアンナに、ユージーンは不満げにむうーっと唸り声をあげた。
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