第2話 冬寂騎士団

 パチパチと音がした。火の音――暖炉の薪がはぜる音だ。まあ、実物の暖炉なんて見たことないから、ドラマかなんかで聞いただけの音だが。それでも、なんとなく、気分が落ち着く……

「そろそろ、目を覚ましてもらえる?」

 言われるまま、薄眼を開ける。

 二人の女の顔が見えた。白人だ。見覚えはない。昨日も、似たような夢を見た気がするな――そう思った瞬間、俺は思わず跳ね起きていた。

「おっ、元気そうじゃない」

 豪快に笑いながら、金髪の大柄な女が言った。筋肉質な肩を露出した、古めかしい服。いや、目に入るもの全てが、俺には古めかしく見えるんだが。暖炉に、石の壁、壁にかかった布、何もかもが……ゲームの一場面か、ゲームオブなんちゃらの一場面みたいな……

「まだ、判断は早いわ。何しろ……ふぅ、どう伝えたものかしら……」

 もう一人、長い黒髪の細身の女。この声――覚えがある。昨日の夢の、白い騎士……いや、もう否定しようがない。眠って、目が覚めて、まだ同じ夢を見てる。つまり、これは夢じゃないってことだ。

「あー……あの……」

 何から聞いたものか。考えているうちに、向こうから質問が来た。

「先にこちらから、いくつか聞かせて。あなたは、この土地の人?」

 俺は、首を横に振った。

「そうね、顔立ちからして違う。でも、言葉は流暢なのね。記憶は、どれくらい残っている?」

 矢継ぎ早の質問に、俺はどう答えていいかわからなくなった。記憶といえば、自分で覚えていることは全部覚えてるが……俺が覚えてることをいくら話しても、こいつらには伝わらない気がした。

「ちょっと、待ってくれ! ……俺からも聞かせてくれ。ここは、どこだ?」

 二人の女は、顔を見合わせた。そして、やはり白い騎士が答えた。

「ここは、魔導師イクシビエドの大領地内、西方の外れよ。今は、街道の近くで宿をとってる。どこかから連れてこられたの?」

「どこかから、って……」

 確かに、「どこか」には違いない。だが、今聞いた地名のどれも俺の記憶にはない。つまり、ここは、俺の知ってるような場所じゃないってことだ。

 そもそも、魔導師って何なのか……いや、さっき確かにこの目で見た異常な力が現実なら、そんな名前で呼ばれてても納得はいくんだが。

「……わからない。あの……あんたら、日本……いや、地球って言って通じるか?」

 二人は、同時に首をかしげた。やっぱり。想像はついてたが……ここは、俺の世界じゃない。ラノベみたいな話だが、ラノベで起きうることなら現実でも起こりうる……のか? そんなわけないよな……

「チキュウ? それ、なんかいやらしい言葉じゃないだろうね」

 筋肉女の方が、変な勘違いをして眉をひそめた。どう勘違いしたのかは、なんとなくわかるが……

「違う! くそっ、何だこれ……なんで俺が、こんな……」

 そう言った瞬間、ふと心がずきんと痛んだ。これ……もしかして、俺への罰なのか? 俺が、冬子を殺したから? 神様か誰かが、俺を異世界に放り込んで、苦しめようとしてるわけか……?

「あのさあ、なんか悩んでるみたいだけど、それだけじゃないんだよね。ヴィバリー、もったいぶらないではっきり言ってやりなよ。自分の体のことなんだからさ」

 そう言われて、白い騎士の女がはっと顔を上げた。ヴィバリーってのが名前らしい。彼女はさっきから、何やら俺が寝てるベッドの横にかがみこんで何かいじっていた。

「ごめんなさい、ちょっとテストしていたの。やっぱり、思った通りね」

「……何が……?」

 怪訝な顔で尋ねると、ヴィバリーはいつのまにか握っていた小さなナイフを、ベッドの上に置いた。何をしてたか知らないが、先端には、赤く血がついている。……もう、俺もだんだん血を見るのには慣れてきた。

「自分の左手を見てみて」

 言われるまま、ひょいと左手を持ち上げると……そこには、びっしりと縦横にいくつもの切り傷がつけられて、真っ赤に染まっていた。

「なっ……何だ、これ!? 誰が、いつの間に……」

 怯える俺を安心させるように、ヴィバリーはにっこり笑いかけた。

「私が今、話しながらあなたの手をちょっと切ってみたの」

「ちょっと切ってみた、って何だよ!?」

 笑いながらそんな恐ろしいことをさらっと言わないでほしい。一見清楚な顔をしてるが、とんでもないサイコだ。いや、戦いを見た時点でそう感じるべきだったのか……

「……でも、あなたは一切痛みを感じていなかったわね?」

 ヴィバリーの目つきが、ふっと鋭くなった。

「え……?」

 そう言われて、気がついた。切られた時だけじゃない。今も、俺は全く痛みを感じていない。ただ、自分の血だらけの手を見て……「痛そうだ」と思ってるだけだ。触られた感覚はあるのに……

「結論から言うわね。あなたは、一度死んでるの。あの魔術師、サヴラダルナによって蘇生させられた。でも、完全ではなかった。痛覚がない以外の影響はまだはっきりしないけど……他にも色々と不具合はあるでしょうね。まあ、ゾンビみたいにならなかっただけ幸運だと思うけど」

 非現実的な状況に、さらに非現実的な話が加わって、俺はほとんど頭が麻痺していた。驚きというよりは、もう、どうしていいかわからない状態。

「……それじゃ、俺は……これから、どうなるんだ?」

 ヴィバリーは、最初哀れっぽく、それから少し優しく、笑った。

「それは……まずあなたがどうしたいか、じゃない?」



「どうやらマジで何もわかんないらしいから、あたしがちょっとずつ説明してやるよ。あたしも、もとは北のウーバリー領から来た異邦人だからね」

 とりあえず起き上がれるようになった俺は、食事を摂りながら、筋肉女――アンナから色々と説明を聞くことになった。

「まず、あたしたちのことからかな。あたしたちは、一応、流れの騎士団をやってる。護法騎士団とはソリが合わなかったんでね。昨日、あたしたちの前に来た連中を見たでしょ? あんな烏合の衆と、狩りはできないよ……ま、せっかくかち合ったから、囮に使わせてもらったけど」

「……騎士団?」

 そこからか、という風に顔をしかめるアンナ。

「騎士団は、はぐれ魔術師を狩るための集まりだよ。護法騎士団ってのが最大手の組織で、各領地の至るところに分隊がいるんだ。普通は四人単位で隊を組むんだけど、うちは精鋭しかいないんで三人で十分以上にやってる。今のところ、ね」

 ゲームの設定だと思えば、なんとなく理解はできるが……それでも、なかなか用語が多くてわかりにくい。基本用語はありがちでも、意味合いが世界観によって違ったりするのがめんどくさいんだよな。つまり、ここじゃ騎士団ってのがよくある鎧兜の集団ってだけじゃなく、魔術師狩りをやってるってことはわかった。

「で、魔術師ってのは……」

「それ、説明必要なの? マジか……えっと、魔術を使う奴らだよ。魔術ってのは……魔術としか言いようがないじゃん」

 まあ、その通りかもしれない。

「でも、その……魔術師ってのは、大体こう……打たれ弱いし、そんなに強くなさそうだけど……」

 完全にゲーム目線で語る俺に、アンナは首を横に振る。

「あんたの出身地ではどうだか知らないけど。ここでは、魔術師って言ったらまあ、化け物の類と同じだよ。というか、この世界にいる化け物ってのは、元をたどれば魔術師の作ったやつだからね……」

 一瞬、遠い目をして、窓の外を見るアンナ。外には、空が見える。空は、元の世界とあまり変わらない。青くて、白い雲がかかって、木が生えている。見た目通りの中世っぽい世界なら、空気はうまそうだ。食事は正直、まずかった。パンが固すぎるし、全体的に味がない。

「……言われているところによると。この世界の始まりには、八人の魔導師がいた。魔導師ってのは、つまり魔術師の超強いやつさ。彼らがそれぞれ大地を作り、生き物を作り、今の世界ができたんだと……まあ、単なる伝説だけど。でも実際、連中の後継者が今でもこの世界を牛耳ってる」

 世界の始まりからして、全てが魔術師を中心に回ってる世界なのか。

「うーん、神様、とかはいないのか……?」

「カミサマ? さあねえ、聞いたことはないね。それ、なんか強いやつなの?」

 よくあるファンタジーっぽく見えて、微妙に違うところもあるようだ。俺はため息をついて、部屋を見回した。

 ……と、部屋の隅でぼーっと突っ立っている、一人の子供と目があった。長い、ぼさぼさの銀髪の、ぼろっちい服を着た子供……12、3だろうか。少女にも見えるし、少年にも見える。ざっくりした印象は、野生児。

「あ、ユージーン。あんたの命の恩人に挨拶しなよ」

 その名前で、ようやく気付いた。この子こそ、サヴラダルナとの戦いで天井に潜んでいた「射手」なのだ。

 ユージーンは、俺の方へ近づいて来たかと思うと、じっと俺の目を覗き込んだ。遠目には気づかなかったが、近くで見ると、ものすごい美形だ。人間離れしている感じさえするような……

「……汚れてる」

 引き気味の俺に向かって、ユージーンはそう言い放った。どきりとした。俺の内面を言い当てられたような気がした。ここに来て、立て続けに色々あったせいで、忘れかけていたこと……自分が、人殺しだということを。

「こら、ユージーン! ……失礼な子だねえ。しつけが悪かったのかな……」

 そう言いながら、アンナは俺の皿から勝手にパンを一つ取って食べた。……自分も、ずいぶんしつけがなってないようだ。


 そのうち、ヴィバリーが部屋に戻ってきた。彼女は入ってくるなり、ずかずか近づいてきて、俺の左手をぐいっと持ち上げた。

「もう、傷が塞がってるわ。不具合だけじゃなく、恩恵もあったのは僥倖ね。死してなお、ここまで力を残すとは……私たちが手こずるぐらいだし、やはり大物だったのかしら」

 確かに、さっきこの女にずたずたにされた俺の左手は、ものの数時間ですっかり治っていた。サヴラダルナにかけられた術の副作用、ということだろうか。痛みがないせいで、あまり実感がない。

「団長、報酬受け取ってきたか?」

 アンナが尋ねると、ヴィバリーは無言で俺の手をぱっと放して、腰のポーチから皮袋を取り出して、アンナに放り投げた。

「ほいほい。金貨に、宝石ね……苦労の割には物足りないけど、こんなもんか……」

 アンナは袋から報酬を取り出し、丁寧に並べて金勘定を始めた。それらの報酬は、素人の俺の目で見ても確かに高価そうな代物だった。

「……と、まあ、私たちはこんな感じで、はた迷惑なはぐれ魔術師を始末することで、近隣の村とか役場から報酬を得て生活してるわけ」

 俺の方を横目で見ながら、ヴィバリーが言う。

「それじゃ、お前らは、あんな異常な奴らと毎日やりあってるわけか……?」

「毎日ではないわ。今回みたいな大物を片付けた時は、数ヶ月ぶんくらいの資金は手に入るし。『はぐれ』もそうそう大勢いるわけじゃない。魔導師の管理下にある魔術師は、一応……人間には危害を加えないことになっているから」

 ヴィバリーはそっけなく言って、ベッドに腰掛けた。金勘定を終えたアンナが、報酬を大きな箱にしまいこみながら、ため息をつく。

「だからさあ……あんたは、いつも話が遠回しすぎるよ。サクッと言いなよ、サクッと」

「口出ししないで。白は私よ」

 肩をすくめるアンナ。喧嘩というほどでもない言い合い。彼女たちは、見た目から年齢はよくわからないが(そもそもこの世界の人間が俺の世界と同じ年の取り方をするのかも謎だ)、その気安さからすると、付き合いは随分長いようだ。

「さて……アンナに話を聞いて、自分がこれからどうするか、決まったかしら?」

「いや、まだ何も……」

 俺はそう言って、自分の膝を見た。異世界に来るってフィクションはよく読んだが。その場合、たいていの主人公はその世界で戦える力を持ってたり、なんか現代の知識で無双したりするものだった。

 俺には――かろうじて、痛覚がないとか、半分ゾンビみたいな設定(?)はあるみたいだが。筋力は相変わらずもやしっ子だし。知識は、ここじゃ色々法則が違いすぎて何も役立たなそうだし……そもそも役に立ちそうな知識なんか全然覚えてねえ。

 それに、何より俺には……そこまでして、この世界でやりたいこともなかった。元の世界に戻りたい、とも思わない。戻れば、俺は……また、冬子の死体と向き合うことになる。

「…………」

 沈黙する俺に、ヴィバリーはくすっと優しく微笑んだ。今までの短い付き合いの中で、彼女が優しげにする時はあまりいいことは起きない。反射的に、左手をかばう俺。

「トーゴ君、だっけ? 提案があるの。あなたは今、天涯孤独で、記憶もない。財産もないわね?」

 記憶はあるんだが、ないことにしていた方が通りが良さそうなので、うなづいておく。

「なら、ひとまず私たちと一緒に来てみないかしら。ずっと三人でやってきたけど、そろそろ少し人手が欲しいなと思っていたところなの」

 俺に、断る理由はなかった。むしろ、ここで放り出されたら露頭に迷うしかない。だが……少し、引っかかることがあった。

「なんで、わざわざこんな変な素性のやつを拾うんだ?」

 俺の自虐にヴィバリーは、くっと唇を傾けて、皮肉な笑いを浮かべた。あるいは、いつもの優しげな顔より、こちらの顔が彼女の本性なのかもしれない。

「打算ね。まっさらな人間の方が、下手に知恵のついた人間より扱いやすい。あるいはいつか、その体質が役立つことがあるかもしれない。それに……面白い手駒は、なるべく自分で持っておきたい性格なのよ」

 ……嫌な性格だ。

「わかったよ。ついて行かせてくれ」

 少なくとも俺はまだ、死にたくはなかった。死にたくないなら……生きていくしかない。そうなれば、金がいる。仕事がいる。元の世界より、あっさり職にありつけたのは、素直に幸運だと思っておこう。

「ユージーン、あなたもいい?」

 ヴィバリーが尋ねると、ユージーンはこくんとうなづいた。結局、少年なのか少女なのかはよくわからないが、面と向かって汚いとか言われたわりには、嫌われたわけではないらしい。

「それじゃあ、改めて。我ら、冬寂騎士団にようこそ。歓迎するわ」

 初めて聞く、彼女たちの騎士団の名前に、俺は苦笑いした。冬の、静寂……嫌な名前だ。

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