人間は追いつめられると何をするかわからない
「言葉が続かないようなので、質問するね。身代わりなのであれば、何で菜緒の下着を有馬が盗んでいることを咎めなかったんだ?」
律がそう聞くと、菜緒が顔を上げて律に目を合わせた。菜緒は既に涙を浮かべていたが、呼吸が乱れ始め泣き崩れていきそうだった。
残酷ではあるが、事実である。
律が小さく頷くと、菜緒はまた両手で顔を覆って嗚咽した。
——なんでって……好きだからに決まってるでしょ!
黙っている亜里沙から真意が読め、律は嘆息する。
「好きだからに決まってるでしょ、か。やっぱりそうじゃん。菜緒から下着がなくなっていると相談を受けた時、あんたは有馬が盗んでいるとは気付いていなかった。けれど、菜緒に好意を抱いているから、もしかしたらと思って確認したら有馬が動揺した。その時、あんたは有馬が盗んでいるとわかったはずだ。だが、あんたは有馬が好きだから責めはせず、自分を見ろと懇願していた、しかも、被害者の菜緒には気のせいだと言って強引に終わらせた。あんたが大事なのは娘の菜緒じゃなくて、浮気相手の有馬なんだよ」
——全部当たってる……こいつはどこで情報を得たの?
「全部当たりね。どこが菜緒のためだよ。どうせ習い事をやめさせたのも、菜緒が目立って有馬に関心を持たれるのが嫌だったからだろ? 本当に勝手な奴だな」
律は吐き捨てるように言った。
「……何を……」
ようやく言葉を発した亜里沙であったが、
——何でわかるのよ! どうやったら逃げられる?
自分の保身しか頭になかった。
「また正解。しかもこの期に及んで、自分が逃げることしか考えていないんだな。菜緒は、あんたを良くできた母親だと思わせるためだけの、本当にただの装飾品だったんだな。あんたが大事なのは有馬……いや、違うな。元々、自分のことだけしか考えていないクズだ。親になる資格なんてない。毒親にもすらなれない、ただの毒だよ」
律はそう断言した。菜緒は泣き声を上げ、大きく肩を震わせる。
「……違う……違う……違うわよ! 私は何も悪くない! 菜緒、何で泣いているの!」
亜里沙は立ち上がって身振り手振りで訴えるが、動揺の色は隠せなかった。
「律さんは……本音がわかるの……思っていることを読めるの……そういう人なの!」
菜緒は涙を流しながら言い、亜里沙へ厳しい視線を向けた。
「……は? え? 本音を? 思っていることを……読める?」
亜里沙が酷く狼狽している中、
「君、超能力者か?」
と、宗司が律へ聞いてきた。
「いえ、違います。生まれつき感受性が強すぎて、対人に関してのみ感覚が鋭いんです。その代わり頭は悪いし、注意散漫で他のことはあまりできませんけどね。もし信じられないようであれば、当てますので何でもいいので想像してください」
律はそう言って、どうぞと手を差し出した。
宗司は一瞬固まっていたが、気を取り戻すと表情を険しくさせた。
—―助教授は、私の仕事をしっかり引き継いでいるかな。
「助教授が、仕事の引き継ぎをやれているか心配なんですね」
「……当たっている」
宗司は律の回答に戦慄していた。宗司の所作に、亜里沙は更に動揺した。
「ママの言葉は全部嘘! 律さんの言ったことがママの本音なんだよ!」
菜緒は涙を散らし、大声で叫んだ。
亜里沙は首を振りながら後ずさりし、そのままリビングからいなくなった。足音も遠くなっていくので、逃げるんだなと律は思った。
逃げられたら困るので、向坂に連絡するかと律が携帯電話を手に取った。
正にその時だった。
ドタドタと走ってくるような足音が聞こえ、
「亜里沙!」
という宗司の声に律は顔を上げたが、驚きのあまり携帯電話を落としてしまった。
なぜなら、亜里沙が般若のような顔で両手に包丁を持っていたからである。
……マジで?
恐怖で律の額に汗が滲んだ。
「こいつは……私達家族を惑わす悪魔よ! 今直ぐ殺す!」
マジだった。亜里沙は完全に気が狂っており、心の中も怒気と殺意しかなかった。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ねよぉおおおおああああ」
亜里沙は金切り声を上げながら、律に向かって包丁を振りかざし突いてきた。律は咄嗟に立ち上がって避けつつ、亜里沙の両手を掴んだ。そして、菜緒も加勢し亜里沙の手を掴んで止めてくれた。
「菜緒、何でこいつを庇うの!」
「ママが間違ってるからだよ!」
怒鳴る亜里沙に、菜緒は真っ向から言い返した。
「そうか……お前は悪魔に洗脳されたんだな……一緒に殺してあげるわ!」
亜里沙は言い聞かせるように呟いた後、声を張り上げ菜緒にも殺意を向けた。
「律君! 菜緒! 逃げなさい!」
宗司が亜里沙を羽交い絞めにし、そう言った。
逃げても、今度は宗司に矛先が向かい殺される。携帯電話で向坂に連絡しようにも、今にも宗司の腕から亜里沙が力づくで出ようとしているところだ。
……時間がない!
律は自分で処理するしかないと意を決し、鞄の中からスタンガンを取り出した。
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