幼稚な人間
「まるで自分に責任を感じてない。とてもじゃないが、母親とは思えない。あんたは見栄を張ること、自己顕示欲のためにおじさんと結婚をした。それは双方合意の元なので俺が言うことじゃないが、娘にまでやるのは間違っている」
律はそう言って亜里沙へ非難の目を向けた。
「私は菜緒のことを思って、幼い頃から色々習い事もさせていたし、しっかりやったわよ」
「その結果が……これ?」
律が鼻で笑うと、亜里沙は顔を歪ませた。
「だからぁ! 他人を傷つけていいなんて私は教えていない。私のせいじゃない!」
激しく言い返してくる亜里沙。律には、その姿がこの部屋にいる誰よりも幼稚に見えた。
「家事も仕事も碌にせず、放蕩三昧でよく言えるな。けれど、菜緒はあんたに好かれたいと、愚直に良い子を演じ続けてきた。子供が親に好かれたいという気持ちは当然なもので、嫌われたい嫌いたいなんて普通は思わない。だからこそ、あんたの欲望だけの厳しい躾けにも耐えてきた。しかし、あんたが理不尽に豹変したことで菜緒はストレスを抱えきれなくなってしまった」
律は言い終えると再び亜里沙を睨んだ。
——こいつどこまで知ってるの?
余裕を見せていた亜里沙の表情から、初めて緊張が走った。
「どこまで、じゃない。全部知ってる」
律が言い切ると、亜里沙は直ぐに目を逸らした。
「すまんが、理解が追いつかない。どういうことなんだ?」
宗司は額に手を当て、困惑の表情であった。
律は鞄を開け、財布と向坂からもらった三枚の写真を出した。財布はポケットへしまい、2Lサイズの三枚の写真はテーブルの中央に置いた。
「おじさん、今日の話し合いの本題はこれです」
律は写真を指さし、宗司に言った。
写真の内容は、有馬と亜里沙が腕を組みながらホテルへ入っていくところ、ホテルから出てきたところ、この家の玄関前で二人がキスをしているところ、というものであった。
「……これは」
と驚いていた宗司であったが、
——やはりか。
同時に悟っているようであった。
「相手は菜緒さんが初等部高学年時代の担任教師で、有馬昇という男です」
「なぜ……あんたがこれを」
そう聞き返してきた亜里沙の顔色は、真っ赤から徐々に青白くなっていった。
律は財布から名刺を二枚取り出すと、宗司と亜里沙の前に置いた。
「向坂探偵事務所……臨時所員。興城律」
宗司が律の名刺を読み上げた。
律が中学生の頃、向坂の仕事を手伝うにあたって、一応名刺はいるだろうと言われて作ってもらったものだった。
「たまにアルバイトをしています。僕が知り得た理由はそういうわけです。不倫については後ほど弁護士と共に本隊がきます。なので、事細かに説明するつもりはありません。僕が先に話しにきたのは、この浮気が菜緒さんを苦しめていたからです」
律が毅然として言うと、宗司だけでなく亜里沙の表情も強張った。
「亜里沙の浮気と、菜緒に何か関係があるのか?」
宗司から聞かれると、律は一度大きく息を吐き目を閉じた。
そして間を置き、律は目を開けると、
「有馬昇は、菜緒さんが好きなんです」
真実を告げた。
「……え?」
菜緒は驚愕の表情を浮かべ、声を漏らした。
——こいつ。どこで知った? 何でわかった?
亜里沙の表情がそう言い、口は小刻みに震えだしていた。
「やっぱり、当たりだった」
律は菜緒に顔を向け、そう言った。
「律さん……どういうことですか?」
菜緒はあまりの情報量にパンクしたのか、憮然たる面持ちだった。
「俺の言葉を信じろよ」
律が小声で言うと、菜緒は表情そのままにただ頷いた。
律はパソコンで音声ファイルを再生させた。内容は、向坂探偵事務所で律が聞いた、亜里沙と有馬の会話だった。音声ファイルが終わると、菜緒が両手で顔を覆っている姿を後目にノートパソコンを閉じ、律は宗司へと視線を向ける。
「おじさん、こういうわけです。あなたの妻は、娘を道具としか見ていないし、好きな男が娘を好きになったら娘に嫌がらせをする奴です」
律が唖然としている宗司に説明していると、
「どこが! 私は菜緒を守っているのよ!」
横から亜里沙が凄まじい剣幕で入ってきた。
—―何でバレたんだ? いつから盗聴されていた?
「何でバレたんだ? いつから盗聴されていた? 自分のことばっかりだな」
律は亜里沙の本音をそのまま言い、呆れた顔をした。本音を読まれ動揺したのか勢いが止まったが、亜里沙は深呼吸をすると開き直った仕草に変わった。
「確かに私は有馬とそういう関係だったわ。でもそれはね、菜緒を守るためよ。あの男は菜緒をずっと狙っていたから、私が身代わりになっていたのよ」
——こう言えば菜緒は私を信じるし、旦那も騙せる!
「こう言えば菜緒は私を信じるし、旦那も騙せる……ね。はい、次の弁解をどうぞ」
律はまたしても亜里沙の嘘を見破り、爽やかな顔を見せた。
——何で思ってることがバレている?
亜里沙は口を半開きにし、硬直した。
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