俺がやるしかない
「先程依頼人の方々と決めたと言っていましたが、菜緒の両親と会って話す日時は?」
苦悶の表情を浮かべつつ、律が静寂を破った。
「明後日の夜だ。弁護士と有馬夫妻を連れて、来栖夫妻に会いにいく」
向坂の回答を聞いて、律は更に顔を渋くした。
……早すぎる。
菜緒は、日曜日にようやく母親からの脱却スイッチが押されたばかりだ。三日程度じゃほとんど効果はない。どうしよう……と律が頭を抱えていると、遠山が喋り始める。
「
「あの確固たる態度から察するに修復は無理だろ。残念だが、子供は親を選べんからな」
向坂は哀愁を滲ませながら言った。
……子供は親を選べない。
「それなら、菜緒もです。あいつだって、望んで亜里沙の娘になったわけじゃない」
律がそう言うと、向坂と遠山は律の方に顔を向けた。
「恐らく、菜緒はさっきの音声を聞いたり、真実を聞かされたりしても、亜里沙があなたのためなのよ。と言えば信じるでしょう。あいつにとって亜里沙……母親の言うことは絶対です」
「だが、事実なんだから仕方のないことだ。どう受け止めるかは本人が決めるしかない」
律の主張に、向坂は無念さを滲ませながらも言い切った。
向坂の意見は至極当然だ。しかし、それでは菜緒は変われない。母の呪縛に憑りつかれたまま、同じ過ちを繰り返してしまう。菜緒を変えるには亜里沙を真っ向から否定し、納得させることができる人じゃないと無理だ。しかし、そんな人間がいるはずなど……。
そう思っていた時に律はハッとした。
……俺か?
菜緒は自分が本音を読めることを知っており、実際に読まれた体験もしている。亜里沙が無実を主張しても、自分が看破すれば菜緒が信じる可能性は高い。と律は思ったのである。
『人を助けたり、悪事を暴いたり、良いことに使おう』
波多野の言葉が律の脳裏をよぎった。
律は大きく深呼吸をし、真面目な表情となり向坂を見据えた。
「向坂さん。明後日の夜ですが、先に菜緒の両親と話す時間をくれませんか?」
律の言葉を受けた向坂は、眉間に少し力を入れた。
「そんなのダメだよ! 浮気のことも話すんでしょう? 逆上する可能性だってあるし、りっちゃんが危険すぎる」
捲し立てる遠山だったが、向坂が手で制すと言葉の雨が止んだ。
「お前なら亜里沙の本音を見抜けるし、娘もそれを信じると思った?」
「はい。菜緒は俺が本音を読めるのを知っています。母親と対抗できるのは俺だけです。菜緒は、今変わろうとしているんです。……救いたいんですよ」
向坂の言葉に律は頷き、思いの丈を込めた。
「俺と遠山君が同席するのはまずいのか? ……まずいよな。ただでさえ、母親に洗脳状態の思春期だ。知らない大人が二人もいれば、尚更に感情は出しづらくなるもんな」
向坂は一度律に聞いてきたが、自己完結した。
「所長、やらせるつもりですか? 私は反対です!」
「律が身を挺してやると言っているんだ。わかるだろ? 俺らじゃ娘は救えん」
「……でも」
向坂の解釈に言い返しはしなかったが、遠山は納得はしていないようだった。
向坂は立ち上がって自分のデスクへ向かい何か取り出すと、それを持ってきて座り直した。
「何があるかわからん、護身用だ、使い方は前に教えたよな? あと、浮気に関しては事細かにお前が説明しなくていい。後から俺達が弁護士や有馬夫妻を交えてやるからな」
律の前に黒色のスタンガンと四本の結束バンドを置き、向坂はそう言った。
「約束は午後七時の予定だったが、午後六時に変更する。六時に行け、一時間お前にやる」
「ありがとうございます」
律はスタンガンと結束バンドを鞄にしまいながら、向坂に頭を下げた。
「ただ、条件がある。俺と遠山君は来栖家の前で車をとめ、車内で待機をする。玄関の鍵は必ず開けておき、大事になったら直ぐに電話しろ」
向坂は真剣な面持ちで言った。
「わかりました」
向坂の意、危険性を改めて認識し、律は大きく頷いた。
「……心配だなぁ。りっちゃんが後でその子に説明すればいいだけじゃない?」
「菜緒は母親に洗脳されているんです。後から違いますよって言っても、最初に入った情報を上書きするのは難しいと思います。その場で否定をしないと効果はありません」
遠山が心配してくれるのは嬉しいが、それでは菜緒は救えないと律は首を振った。
「律。言ってることは正しいし、お前にしかできないだろう。だが、気持ち的には俺も遠山君と同じだ。自分の身を一番に考えることと、さっき言った条件を絶対に守れよ」
向坂からの激励がまじった念押しに、
「はい!」
と、律は心を引き締め直した。
今まで、イジメを暴いたり、向坂の手伝いをしたり、間接的に力を役立てたことはあった。しかし、今回は自らが決めて全てを行い、問題を収束させる必要があるのだ。
波多野が役に立つと言ってくれたこの力を、菜緒を救うために使ってみせる。
律は己へと言い聞かせ、完全に決意をした。
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