俺がやるしかない


「先程依頼人の方々と決めたと言っていましたが、菜緒の両親と会って話す日時は?」

 苦悶の表情を浮かべつつ、律が静寂を破った。


「明後日の夜だ。弁護士と有馬夫妻を連れて、来栖夫妻に会いにいく」

 向坂の回答を聞いて、律は更に顔を渋くした。


 ……早すぎる。


 菜緒は、日曜日にようやく母親からの脱却スイッチが押されたばかりだ。三日程度じゃほとんど効果はない。どうしよう……と律が頭を抱えていると、遠山が喋り始める。


美乃梨みのりさんは離婚をしますよね? 私的には一番の被害者は美乃梨さんのお子さんですよ。全部親の勝手な都合で……まだ四歳なのにかわいそうです」


「あの確固たる態度から察するに修復は無理だろ。残念だが、子供は親を選べんからな」

 向坂は哀愁を滲ませながら言った。


 ……子供は親を選べない。


「それなら、菜緒もです。あいつだって、望んで亜里沙の娘になったわけじゃない」

 律がそう言うと、向坂と遠山は律の方に顔を向けた。


「恐らく、菜緒はさっきの音声を聞いたり、真実を聞かされたりしても、亜里沙があなたのためなのよ。と言えば信じるでしょう。あいつにとって亜里沙……母親の言うことは絶対です」


「だが、事実なんだから仕方のないことだ。どう受け止めるかは本人が決めるしかない」

 律の主張に、向坂は無念さを滲ませながらも言い切った。


 向坂の意見は至極当然だ。しかし、それでは菜緒は変われない。母の呪縛に憑りつかれたまま、同じ過ちを繰り返してしまう。菜緒を変えるには亜里沙を真っ向から否定し、納得させることができる人じゃないと無理だ。しかし、そんな人間がいるはずなど……。


 そう思っていた時に律はハッとした。


 ……俺か?


 菜緒は自分が本音を読めることを知っており、実際に読まれた体験もしている。亜里沙が無実を主張しても、自分が看破すれば菜緒が信じる可能性は高い。と律は思ったのである。


『人を助けたり、悪事を暴いたり、良いことに使おう』

 波多野の言葉が律の脳裏をよぎった。


 律は大きく深呼吸をし、真面目な表情となり向坂を見据えた。


「向坂さん。明後日の夜ですが、先に菜緒の両親と話す時間をくれませんか?」

 律の言葉を受けた向坂は、眉間に少し力を入れた。


「そんなのダメだよ! 浮気のことも話すんでしょう? 逆上する可能性だってあるし、りっちゃんが危険すぎる」

 捲し立てる遠山だったが、向坂が手で制すと言葉の雨が止んだ。


「お前なら亜里沙の本音を見抜けるし、娘もそれを信じると思った?」


「はい。菜緒は俺が本音を読めるのを知っています。母親と対抗できるのは俺だけです。菜緒は、今変わろうとしているんです。……救いたいんですよ」

 向坂の言葉に律は頷き、思いの丈を込めた。


「俺と遠山君が同席するのはまずいのか? ……まずいよな。ただでさえ、母親に洗脳状態の思春期だ。知らない大人が二人もいれば、尚更に感情は出しづらくなるもんな」

 向坂は一度律に聞いてきたが、自己完結した。


「所長、やらせるつもりですか? 私は反対です!」


「律が身を挺してやると言っているんだ。わかるだろ? 俺らじゃ娘は救えん」


「……でも」

 向坂の解釈に言い返しはしなかったが、遠山は納得はしていないようだった。


 向坂は立ち上がって自分のデスクへ向かい何か取り出すと、それを持ってきて座り直した。


「何があるかわからん、護身用だ、使い方は前に教えたよな? あと、浮気に関しては事細かにお前が説明しなくていい。後から俺達が弁護士や有馬夫妻を交えてやるからな」

 律の前に黒色のスタンガンと四本の結束バンドを置き、向坂はそう言った。


「約束は午後七時の予定だったが、午後六時に変更する。六時に行け、一時間お前にやる」


「ありがとうございます」

 律はスタンガンと結束バンドを鞄にしまいながら、向坂に頭を下げた。


「ただ、条件がある。俺と遠山君は来栖家の前で車をとめ、車内で待機をする。玄関の鍵は必ず開けておき、大事になったら直ぐに電話しろ」

 向坂は真剣な面持ちで言った。


「わかりました」

 向坂の意、危険性を改めて認識し、律は大きく頷いた。


「……心配だなぁ。りっちゃんが後でその子に説明すればいいだけじゃない?」


「菜緒は母親に洗脳されているんです。後から違いますよって言っても、最初に入った情報を上書きするのは難しいと思います。その場で否定をしないと効果はありません」

 遠山が心配してくれるのは嬉しいが、それでは菜緒は救えないと律は首を振った。


「律。言ってることは正しいし、お前にしかできないだろう。だが、気持ち的には俺も遠山君と同じだ。自分の身を一番に考えることと、さっき言った条件を絶対に守れよ」

 向坂からの激励がまじった念押しに、

「はい!」

 と、律は心を引き締め直した。


 今まで、イジメを暴いたり、向坂の手伝いをしたり、間接的に力を役立てたことはあった。しかし、今回は自らが決めて全てを行い、問題を収束させる必要があるのだ。


 波多野が役に立つと言ってくれたこの力を、菜緒を救うために使ってみせる。


 律は己へと言い聞かせ、完全に決意をした。

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