こんなところに就職するつもりはない


「律。昨今この業界は薄利で厳しいんだよ。五千円でどうだろう? 助けてくれないか?」

 向坂は深刻な面持ちで言ったが、非常に胡散臭かった。


 読むまでもなく嘘だと律にはわかったし、あのクソまず抹茶と同じ値段かい! 

 とも思いムッとした。


「彩夏さん、確かここって完全成功報酬でしたよね? いくらだったんですか?」

 律はここで何度も仕事を手伝っているのでわかってはいるが、あえて遠山に確認した。


「成功で、八十万円」

 きっぱりと言った遠山は、澄まし顔でケーキを一口食べた。


「遠山君さ、何で言うかなぁ?」

 向坂は遠山に非難の目を向けるが、

「逆に何で言わないのかなぁ? どうせりっちゃんにはバレるのにせこいんですよ!」

 遠山に睨み返されると向坂は顔を背けた。


 そのやり取りを眺め、律は苦笑まじりの溜め息を吐いた。


「しょうがないですね。機器も借りたしやりますよ。それと、お金は要りません」

 律はそう言って口元を緩めた。


「嘘だろ? 守銭奴の律が金を要求しないだと?」


「毎回せこい値切りをしている所長が、それを言いますか?」

 驚愕の表情を浮かべる向坂に、再び遠山はキッと睨みつけていた。


「でも条件があります。菜緒の両親に関する情報をください。勿論外部には一切漏らしません」

 律は向坂にそう要求した。向坂は思案顔になり紅茶に口をつけたが、ティーカップを置くと笑みを浮かべた。


「浮気相手が更生させてる奴の親だもんな。ねじ曲がった要因があるかもしれないと?」

 向坂の返事に、その通りだと律は頷いた。


「いいだろう。だが、依頼者に関する情報は開示せんぞ」


「それで結構です。菜緒の両親のことが少しわかるだけでも助かります」

 向坂の回答に納得し、律は薄く笑った。


 話が一段落ついたので律はケーキを口に入れ、濃厚な生クリームとふんわりとしたスポンジ生地を味合う。至福のひとときであった。


「じゃ、早速律は相手の女、来栖菜緒って子の母親とコンタクトを取って欲しい」

 向坂が仕切り直した。


「最速でも、明後日からですね」


「何で?」

 咀嚼しながら律が返すと、向坂は眉間にしわを寄せて聞き返してきた。


「今日はどこかのホテルに泊まるらしいので……一足遅かったですね」

 律はあっさりと言い、二口目を食べた。


「マジかよぉ! 有馬さんの前に律が来てたら明後日に仕事終わってたじゃん!」

 向坂は悔しそうにバンバンと両膝を叩いてから、ガックリとうなだれた。


「それに菜緒とはコンタクトを取れますが、母親とは直接コンタクトを取れませんよ?」


「じゃあ、その子の家に行って漁ってこい」

 向坂は顔を上げ、ジッと律を見て言った。


「嫌ですよ。そういうことはやらないって言いましたよね」

 律はケーキを食べる手を止め、嘆息した。


「ったく。ウチの所員は頑固な奴しかいねぇなぁ!」

 向坂は不満げな声を上げ、ソファに寄り掛かり顔を上げた。


「一番頑固で癖の強い所長に言われてもねぇ……」


「全くですよ。楽しようとばっかりして、彩夏さんがいなかったらここ潰れてますよ」

 遠山の意見に賛同すると、遠山は嬉しそうに律の頭を撫でた。そして、二対一と分が悪くなったからか、向坂は大袈裟に舌打ちをした。


「じゃあさ、母親がいつ家にいるかは聞けるよな? 母親がいるタイミングでその子に会いに行って、そこで母親を紹介してもらえ。面と向かえばお前なら大体わかるだろ? それと、できればでいいが、母親のスケジュールとかもわかると助かる」

 向坂は姿勢を戻し、別の案を出してきた。


「わかりました。でも菜緒に母親のことを聞く以上、事情を説明する必要があるので浮気しているかもって言いますよ?」

 それならいいかなと律は了承はしたが、嘘はつきたくなかった。


「りっちゃん、それはまずいんじゃない? 思春期で、しかも問題がある子でしょ? 母親が浮気しているなんて知ったら、余計にショックでおかしくなるかもよ」

 遠山は首を振ってから、真面目な表情で言った。


「確かに……そうなることも考えられますね」


「あと、できれば家族には証拠を握るまで黙っていて欲しい。というこちらの思惑もある」

 律が遠山の意見に納得している最中、向坂からも追加で言われた。


 調査段階で菜緒に余計なことを言えば、菜緒が亜里沙に漏らして警戒され、尻尾を掴めなくなる恐れもあるか。と解釈し、

「言うとデメリットしかないですね。じゃ、何とかやってみます」

 律は小さく頷いてそう言った。


「頼むぞ。向坂探偵事務所、次期エース!」

 向坂は満面の笑みで親指を立てた。


「だから、さっきから何で俺が将来ここに入るって決まっているんですか? 向坂さんは面倒事を全部押しつけてきそうだし嫌ですよ」


「私、りっちゃんが探偵業やるならそっちに行きますから」

 律が向坂を睨んで拒否を示すと、遠山も何食わぬ顔で続いた。


「寂しいなぁ! 君達には思いやりというものがないのかね!」

 向坂は二人からの塩対応に嘆いていたが、

「ほっとこ。紅茶のおかわりいる?」

 遠山は無視、

「あ、お願いします」

 そして律も無視をして、遠山と一緒にケーキと紅茶を美味しくいただいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る