まだダメです
「律さんのクラスでやっているところ、二次関数を教えたら関数って何? って言ったのは誰でしたか? その後、一次方程式はわかっているってドヤ顔で言っていたのは誰です? 全く、その学力でよくウチに入れましたね」
菜緒は脱力した感じで喋り、律を意味ありげに見た。
「言っておくが、AO入試で入学してズルはしていないぞ」
「AO入試枠? あー、槙島先生ですか。あの人の考えそうなことですね。律さんも利用されているわけだ」
律の答えに対し、菜緒は鼻を鳴らして言った。
この時、律は少し驚いた。
律が顧問に選び、菜緒以外の三人は槙島教諭に一任している。槙島教諭と律には繋がりがあると推察するのは容易いが、AO入試枠を使い律を入学させ、利用していると判断できたことは尋常ではない。当たり前だが、菜緒は律のように本音を読めない。
したがって、菜緒は自分の中で導き出した根拠があるわけだ。
『槙島か……最悪』
律がイジメの一部始終を槙島教諭に報告すると言った時、菜緒が思ったことである。
菜緒は槙島教諭が曲者であると既に認識していた。
地頭が良いのもそうだが、人間観察力も並外れている。でなければ、菜緒は初等部や中等部で生徒会長になっていない。
自分よりもよっぽど化け物だ。と、菜緒の能力の高さに律は感服した。
「茜先生とはギブアンドテイクだよ。しかし、菜緒は察しがいいし頭が切れるな」
「皮肉ですか? 頭が切れていたら律さんの罠にハマってませんよ」
律は素直に褒めたつもりだったが、菜緒は睨み返してきた。
「ハメてない。お前の性格がクソだから、勝手にハマっただけだろ」
「ハイハイ。ソウデスネ」
律の言葉に対し、菜緒は嫌味ったらしく言った。
珍しく褒めてやったのにこれである。仕方がない奴だなと溜め息を吐いた瞬間、律は花音が深々とお辞儀していた姿を思い出した。
「そういえば、遅くなった原因だがな。斉藤に会ってた」
「そうですか……花音はどうでしたか?」
菜緒は真顔になり、律から目を逸らした。
「お前を解放してくれと言ってきたよ」
律が言った。菜緒は一度律と目を合わせたが、また逸らして小さく息を吐いた。
「依存関係を続けたことが二人の関係を歪にしている。斉藤自身の意識を変えないと、菜緒も変わらないと説得した。最終的には本人も納得して終わったよ」
律が事の経緯を説明すると、菜緒はしばらく俯いていたが顔を上げた。
「私も花音と離れて気付きましたが、私に妄信的な花音は傍から見ると異常だったのかもしれません。そして、それを利用していた私も同様です。花音は幼馴染で、私にとってかけがえのない大切な親友です。その有難みを再認識していますよ」
菜緒は寂しげな表情で言った。
「効果があったようで何より」
「そうですね。効果もありましたし、私はもう更生しましたよ」
菜緒はフッと笑って律に言い返してきた。
確かに菜緒は良くなっているが、根本的な問題をまだ処理できていないので、
「ダメだな。情緒は若干安定してきたが、問題を解決していない」
と、律は言い切った。
「問題を解決って何をですか?」
「菜緒がストレスが溜めてイジメをした原因の解決だ。……親だろ?」
律が聞き返すと、菜緒の目線は自然と下がっていった。それだけで、読むまでもなく正解だと律は理解できた。
「そういや、お前の両親の顔を見たことがなかったな。写真とかあるか?」
律の言葉に、菜緒が動揺の表情を見せた。
——写真からでも読めるの?
「写真からは読めない。ただ確認したいだけだから安心しろ」
動画なら可能だけどな。と律は内心補足した。
菜緒は納得がいかなそうな顔をしながらも、携帯電話を操作し律へと渡した。律は菜緒の携帯電話を受け取ると、液晶画面に映っている写真を確認する。
「中等部卒業式の時に撮った写真です。左が父で、右が母です」
菜緒の説明通り、菜緒を真ん中にして、右側には細身で背が高く綺麗な顔をした女性、左側は背が低く地味な顔をした男性が律の目に映った。
「父ちゃんは素朴そうな人だな。で、母ちゃんは……めっちゃ美人だな。てか、外人?」
菜緒の母親は、顔の造形が日本人とは異なるように思えたので律は確認した。
「母はロシア人と日本人のハーフです」
「じゃあ、お前はあれか。何だっけ……」
「クウォーターです」
「あー、それそれ。だからお前は瞳の色が緑で、容姿も際立ってんだな」
律はそう言いながら携帯電話を菜緒に返した。
「……どうも」
携帯電話をしまった菜緒は全く嬉しそうにしていなかったが、頬がピクピクと動いていた。
「聞かないんですか? 私の親のこと」
菜緒はしっかりと律を見て言った。その所作から、律は菜緒が怯えているのだとわかった。
写真では読めないと言ったが、律は対人感応能力のエキスパートである。写真では三人共微笑んでいたが、ぎこちなさを感じた。それに、若く綺麗でスタイルも良い母親に比べ、父親は一回り以上も違う年齢に見えた。
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