第五章

花音の嘆願


 菜緒の更生役を始めてから四日が経過した。


 初日と二日目は反抗的な態度で口数も少なかったが、以降は諦めたのか普通に従うようになり、更に文句も言うようになってきた。


 誤魔化しても、律には必ずバレる。菜緒もそれを実感したのであろう。


 律としては二度手間を防ぐために決めた約束事だったが、律には隠せないので不満や文句を素直に言う。それが、図らずも菜緒の警戒心を解いていった。


 ただ、そのことに律自身は気付いていなかった。


 律は授業が終わり放課後になった途端、購買部へ向かって恒例のイチゴオレを買った。


 本日は金曜日で律のクラスは本来なら六時限目で終わりだが、この日は特別授業があり七時限目までだった。体力と精神を消耗しているところに、甘いイチゴオレが律を癒す。


 やっぱりこれだな。と思いながら部室へ向かおうとしたが、律は足を止めた。


「興城さん」

 その理由は、渡り廊下で花音が待っていたからである。


「何?」


「お話があります。お時間よろしいでしょうか?」

 そう言った花音は深々とお辞儀をした。


 話の見当はつくが無下にはできないと思い、律は花音を連れて中庭のベンチに座った。


「菜緒のことか?」

 座った直後に律が聞いた。


「……はい。もう菜緒ちゃんを解放してくれませんか?」


「まだ一週間も経っていないぞ? 俺の時には我慢しろと言っておきながら、菜緒は解放しろだと? よく言えるな?」

 律が言葉を冷たく放つと、花音は悲壮感を漂わせた。


「ではせめて、菜緒ちゃんと話せる許可をください」

 花音は俯いて拳をギュッと握った。


「ダメだ」

 律はきっぱりと言った。その後、一拍置き話し始める。


「小林や工藤に比べて、お前は菜緒がやっていることを全て受け入れ、善悪問わずそれを良しとしている。依存しすぎていて正常に見れていない。今俺に嘆願していることが、それを証明しているだろ? 斉藤、お前自覚がないのか?」

 律が目を向けると、花音は何も答えずに再び下を向いた。花音の仕草に、律は大きな溜め息を吐いた。


「悪いことを悪いと言えない。それが二人にとって、菜緒にとっていいことなのか? 本当に大切な友人なら、悪いことをしたら咎めるだろう? 友人の小林や工藤はした。菜緒と斉藤は初等部からの幼馴染だったな。で、お前は一回でも菜緒を咎めたことがあったのか?」


「……ありません」

 花音は俯いたまま、小さな声で答えた。


「お前は菜緒からイジメられている時、全くと言っていいほどダメージを受けていなかった。というより、自分がターゲットになることで、今まで見過ごしてきた罪悪感から解放されていくような、そんな感覚だったんじゃないのか?」

 依存していたとわかれば、本音が読める律にとって花音の真意を当てるのは造作もない。


「そう……だったのかもしれません」

 そして、やはり正解だった。


「それが親友の、菜緒のためになるのか? 菜緒は正義の権化じゃない、人間なんだよ。いい加減、お前も目を覚まさないと! 菜緒と友達を続けたいんだろう?」

 律が抑揚をつけて諭すと、

「そうですね……そうなんですよね。紀子ちゃんや梨沙ちゃんからも同じことを言われてわかっていたはずなのに、菜緒ちゃんといたいからって……でもそれって結局私のただのわがままなんですよね。私のためにも、菜緒ちゃんのためにもならないことです……わかりました」

 少し間を置いてから花音は噛み締めるように言葉を紡いだ。


「ですが……あの、惨い仕打ちをされた興城さんにこんなこと言える立場ではありませんが、菜緒ちゃんにあまり酷いことはしないであげてください」

 花音は申し訳なさそうな表情で言った。


「安心しろ。犬食いさせて、軽くセクハラして、勉強を教えてもらっているだけだ」


「あ……はぁ」

 と、花音は若干眉をひそめた。

 ——セクハラ?


「まぁ、情緒が不安定な原因を知りたいので、菜緒とは距離を詰めている段階だ」

 花音に変な誤解をされては困るので、律は現状を述べた。


 すると、訝しんでいた花音の表情は和らぎ、前を向いて喋り始めた。


「最近菜緒ちゃんと離れて少し考えるようになったんですが、原因は菜緒ちゃんのお母さんにあるのかなって」


「母親か……何でそう思った?」

 律が聞き返すと、花音は律へ顔を向け真剣な面持ちになった。


「私が知り合った頃から、菜緒ちゃんはお母さんのために頑張るっていう一途な子でした。菜緒ちゃんのお母さんは菜緒ちゃんを可愛がってもいましたが、一方で凄く厳しくて悪く言うと苛烈な一面もありました。なので、菜緒ちゃんは次第にストレスを感じていたかもしれません」


「……毒親って奴か」

 花音の説明を聞いた律が不意に言葉を漏らすと、花音は律の目を見て大きく頷いた。


 槙島教諭の狙いは菜緒の親。菜緒の母親が毒親っていうのも、あながち間違いではないのかもしれない。


 だが、律は腑に落ちなかった。


「でも、中等部までは菜緒は我慢できていた。溜まっていたストレスを爆発させたというのであれば、もっと大事になるはずなんだよなぁ。そこが引っ掛かる」

 唸ってからそう言い、律はイチゴオレを一口飲んだ。

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