犬、達成感を味わう
「全然問題なし。私が言ったのはイジメの解決だけだから。それに斉藤さんはずっと来栖さんの側にいた。初等部から……ずっとね」
真剣な表情で槙島教諭は言った。
槙島教諭の態度から律は察し、
「最初から来栖が本命で、斉藤も同罪ってわかっていたんですね」
真意を口にした。
律に言われた槙島教諭はひっそりと笑うだけで、答えはしなかった。だが、その態度で読むまでもなく正解だと律にはわかった。
イジメの解決を依頼された際には読めなかったのに、本当にしたたかな人だな。と律は改めて槙島教諭に脱帽した。
槙島教諭がイヤホンをして映像を見始めたので、律は携帯電話で英単語を勉強できるアプリをプレイすることにした。
律の学力は物凄く低いが、自分なりに頑張って毎日勉強はしている。ただ、集中力が続かなく覚えも悪いので、成績にその頑張りが出ることは少なかった。
「あー、これ酷いなぁ。律君、お昼ご飯食べれてないでしょ?」
「犬食いですよね? 始めは半分も食えませんでしたよ。来栖はこぼした物を捨てるし、それも酷くないですか? 俺の弁当なのに」
槙島教諭の心配するような声に、律はアプリをプレイしたまま平然と答える。そして、最後の言葉と同時に英単語のスペルをミスした。
「気にしているのはそこじゃない。顔だよ……か、お! 踏みつけられている頭と顔! そして暴言の嵐!」
槙島教諭はテーブルを軽く叩きながら声を上げた。
「まぁ、そうですね。結構嫌でしたよ」
律は槙島教諭に目を向けそう言ったが,
「でも、今週分は上手く食べているので見てくださいよ。丼物はこぼしにくいんです」
軽く笑ってまたアプリを再開した。
「君……どういうメンタルしてるのよ」
槙島教諭から呆れたような声で言われる律であった。
「買い出し後に毎回めちゃくちゃ蹴られてるけど、これはわざと間違えてるわけ?」
「違いますよ。覚えられないからって言ってるのに、メモらせてくれないんです」
律は不貞腐れた顔で言い、またスペルミスをしたので英単語アプリを終了した。
「律君お金は大丈夫? 巻き上げられている分、私が出そうか?」
口から飴を出し、槙島教諭は真面目な顔つきで言った。
「平気です。買った後の物は全部憶えてメモしているので、来栖からもらいます」
律はいちごミルク味のペッキーの袋を破り、薄く笑った。すると、
「そこはしっかりしてるのね」
と言って飴を口に戻し、槙島教諭も微笑んだ。
「基本的に絶対記憶が働くのは人間相手だけなんですけどね、何ででしょう? 仲が良い探偵が守銭奴だからかな」
律はぺッキーを一口食べ、考える仕草をした。
「彩夏がいるとこの所長だっけ?」
「そうです。茜先生そっくりの曲者ですよ」
クスッという笑い声がまじる槙島教諭に、律は半目で言った。
槙島教諭は律から目を逸らし、
「えー、その人もピュアなのか。会ってみたいわぁ」
わざとらしく遠くを見つめながら言った。
—―絶対に会いたくないし、敵にまわしたくない。彩夏だけでいいや。
「言ってることと、思ってることが……真逆!」
律は呆れ気味に指摘するが、槙島教諭は素知らぬ顔であった。
その後、また槙島教諭が映像に集中しだしたので、律はお菓子を食べながら今度は漢字学習アプリをプレイすることにした。
しばらくの間その状況が続いたが、律がペッキーを一袋食べ終えた時だった。
急に槙島教諭が立ち上がって律へ近寄ると、律の上着とシャツを捲った。
「ちょ、ちょっと! 何ですか!」
びっくりして携帯電話を手放す律、携帯電話はソファに落ちたので大事にはならなかった。
「……ごめん」
神妙な面持ちで槙島教諭が言った。
いきなりどうしたんだと律は思ったが、槙島教諭の視線の先を辿ると答えはわかった。
菜緒に火がついたタバコを押しつけられたところ、火傷の跡だった。
「茜先生のせいじゃないですよ。まさか俺も来栖がここまでやるとは思っていなかったんで、甘く見ていた自分のミスでもあります」
シャツをズボンへしまいながら、律は自嘲的に笑った。
「律君は一つも悪くないでしょ。しかし、これは本当にアウトね」
槙島教諭は大きな息を吐いた後、不快感を示した。
「ついさっき、下半身を丸出しにされましたよ」
律が半笑いで言うと、槙島教諭は唖然とし口から飴が落ちそうになった。
「本当は放課後にバラす予定だったんですが、恥ずかしすぎたので我慢できずに言っちゃったっていうわけです」
律は平坦な口調で経緯を述べた。
「律君、本当にごめんなさい」
槙島教諭は沈痛な顔で頭を下げた。
「大丈夫です、気にしていません」
律が吐息と共に笑みを浮かべると、槙島教諭の表情は少しずつ和らぎ、
「……君は……凄いわね」
と呟いた。
「俺の仕事はもう終わりました。あとは茜先生が好きにしてください」
律は照れくさそうに頭をかいた後、両膝を軽く叩いた。
槙島教諭は正当に評価してくれるし、お菓子もくれるし、簡単なことなら今後も手伝うか。と律は思い、今回やりきった達成感に包まれていた。
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