舐めすぎたツケ
「そのままの意味です。僕がこうなる前は斉藤さんがターゲットだったので」
律の答えに、菜緒の笑みは徐々に崩れていった。
——そうか。こいつとは中庭で会った……見ていたのか。
「私が花音をイジメていた? 人聞きの悪いこと言わないでよ」
「確かに斉藤さんも受け入れていたので、イジメとは言えないかもしれません」
律が言い返すと、菜緒は口をつぐんだ。
——こいつ何なんだ? 花音から何か聞いたのか?
学年トップの成績を維持していただけあって、さすがに頭の回転が早い。その通りだ、と律は心の中で頷いていた。
「まぁ、新入生代表の挨拶ができなかったことがイジメの発端とか。実にくだらないなぁ、とは思いましたけどね」
——なぜわかった?
「あっ……当たりましたか」
目を見開く菜緒に、律は感情を込めずに呟いた。
「奴隷……私を舐めてるわね?」
「滅相もないです」
怒りから口を震わせている菜緒に対し、律は大袈裟に首を振った。
「嘘つけ! あんたはいつもわざと物を間違えるし! 言われた通りに掃除もやらない! 私のことを舐めてるんでしょ!」
菜緒は立ち上がって激昂した。
舐めてはいないが、確かにミスは自分の責任だと思い律は軽く頭を下げる。
「すみません。ですが、元々物覚えが悪いと言っているはずです。わざと物を間違えてはいませんし、掃除も憶えている時はやっています。でも、斉藤さんの方が掃除が上手いので、僕はやらない方がいいのかなと最近は思っているんですが、どうでしょう?」
「……はぁ? どうでしょう? じゃないわよ! 私はあんたにやれって言ってんの! 花音じゃない! それに物覚えが悪いだけじゃなくて、何をされても仏頂面! 覇気のない目で見てきてバカにしてんだろ! 気持ち悪いんだよ!」
続いて酷い言われようである。だが、とりあえずこれも謝っておくかと、律はまたペコリと頭を下げた。
「そうですね。できる限り自分で頑張ります。あと、顔は元々こういう顔なので……」
「ふざけないで!」
律の言葉を遮り、菜緒は怒鳴った。
「奴隷、この土下座している写真を皆に見せましょうか?」
菜緒は携帯電話を律に向け、律が土下座している写真を見せてきた。
「僕は別に構いませんよ。それに、昨今その手の写真をバラまいた場合、損をするのはそちらですよ。来栖さんが悦に浸りたいから撮ったんだと思いましたが、アドバンテージになると思っていたんですか?」
律はあっさりとした態度で言い返した。
菜緒は携帯電話を床に落とし、律を凝視する。読むまでもなく怒気で充満していた。
菜緒は律を思いっきり蹴った後、自分の鞄をまさぐった。そして、タバコの箱とライターを取り出す。
「菜緒、ちょっと何してんの!」
紀子が声を荒げるが、
「パパの書斎からパクッてきた」
と言って菜緒は知らんぷりであった。
「吸っちゃダメだよ!」
タバコに火をつけようとする菜緒を、梨沙は必死に止めていた。
しかし、梨沙の力というより、恐らく菜緒はタバコを吸ったことがないのだろう。タバコに直接ライターの火を近付けるが、当然タバコに火はつかなかった。
「吸いながらじゃないと火はつきませんよ」
なので、律が教えてあげた。
菜緒は訝しげに律を見てきたが、タバコを口にくわえライターの火を近付ける。
「ゴホッゴホッ! 何これまっず!」
タバコに火はついたが、菜緒は盛大にむせていた。
こいつ、何がしたいんだ?
律が眉間にしわを寄せていると、
「教えてくれてありがとう」
むせていた菜緒は律に顔を向けにっこりと笑った。
——バカな奴。今からこれを押し付けてやる!
……マジ?
と、顔が引きつる律。菜緒は律を足蹴にした後、横たわった律のシャツをめくり腹部にタバコを押し付けた。
「ぐぅぁああああ!」
あまりの熱さと痛さから、律は呻き声を出した。
「ようやく、あんたの苦しむ顔が見れたわ」
——ざまあみろ! 散々コケにしやがって、いい気味だわ。
菜緒は苦しんでいる律に強烈な平手打ちをした。
「ううっ」
痛みから意図せず律の声が漏れた。
「ハハッ……ハハッ……アハハハハ!」
馬乗りになっていた菜緒は、満足そうに高笑いをした。
「私に逆らったら、またやるから」
菜緒は立ち上がり、律の胸を踏みつけた。
一切逆らってないのに惨い仕打ちである。激痛で憔悴しつつも、律は菜緒の姿を目で追う。
「ちょっと……やりすぎだよ」
梨沙は心配そうに言っていたが、菜緒は梨沙を一瞥しただけで帰り支度を始めた。
「気分が悪いから今日はもう帰る」
帰る準備が整い、菜緒は不機嫌そうに言った。
「菜緒、待って!」
紀子が菜緒の腕をつかむが、
「ついてこないで!」
菜緒は紀子の手を振り払って強引に出ていった。
暴君が去り、部室は何とも言えない静寂に包まれた。
「あんた、大丈夫?」
梨沙はタバコの残骸や灰を片しつつ、律に聞いてきた。
「……大丈夫に見えます?」
律が真顔で聞き返した。
すると、
「購買で氷か冷やせる物を買ってくるわ」
紀子が足早に部室を出た。
「何で毎回菜緒を挑発するかなぁ?」
ゴミをまとめ終えた梨沙は、律を見て嘆息した。
「していませんよ」
「いやいや、わざと物を間違えるし、掃除もやらないし、そうは思えないけど?」
「覚えが悪いのは生まれつきです。それから、間違ったことを言ってはいないつもりです」
「覚えが悪いにもほどがあるでしょ。それと、正論かもしれないけど空気を読みなよ」
梨沙は引き続き呆れている様子であった。
律は起き上がり、腹部を確認する。タバコを押し付けられたところは、筒状で赤く腫れあがり火傷になっていた。
菜緒がここまでやるとは……完全に甘く見ていた。
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