教師とは思えない対応


「許して欲しい?」

 音の正体、律を踏んでいるのは菜緒だった。


「……はい」

 律がか細い声で言うと、菜緒を踏みつける力を強めた。


「興城君、あんたはこの茶道部に入りなさい」

 菜緒はそう言い、より強気な態度に変わった。


「六人いた部員は、今年全員卒業していなくなった。今月の二十日までに部活動申請書を出さないと、この茶道部は廃部になってしまう。部活動には最低五人と顧問が必要でしょう? 部員は私、紀子、梨沙、花音の四人がいるけど、あと一人と顧問が足りない」


「僕は入部をすれば、許してもらえるんでしょうか?」

 菜緒の説明に、律が聞き返した。


「それは君の行動次第だね。あと、顧問も見つけてきなさい」

 菜緒はそう答えると、グリグリと律を踏みつけてから離れていった。


「わかりました」

 律は顔を上げ、大きく首を縦に振った。


「こいつの鼻、赤くなってんじゃん」

 梨沙が律を指さして笑った。律にはわからなかったが、菜緒に踏みつけられすぎたせいで、律の鼻は少し赤くなっていた。紀子と梨沙の間に戻った菜緒は、律の顔を見ると鼻で笑った。


「土下座」


 菜緒は冷たく言い放ち、律が瞬時に土下座をしたところでカシャカシャッと音が鳴った。


「顔を上げなさい」

 菜緒が言い、律はその通りにした。菜緒は携帯電話の液晶画面を律へ向けており、液晶画面に映っているのは土下座している律の姿だった。


「いい写真が撮れたわ。私に逆らったら許さないからね」

 菜緒はクスッと笑ってから、刺すような視線を向けてきた。


「はい、もちろんです」


「この部屋、埃っぽいから掃除をやって、最後に鍵を返しにいきなさい」

 菜緒はそう言い、ポケットから鍵を取り出して律へ投げた。律は鍵を手にし、何度も頷いた。


「じゃ、帰るかな。花音、鞄」

 律の所作に菜緒は満足げな顔になり、花音に目を向けた。


 隅に座っていた花音は急いで立ち上がり、自分の鞄と菜緒の鞄を持った。その後、花音は菜緒に鞄を渡そうとしたが、

「え? 持ってくれないの?」

 と菜緒に拒絶された。


「あ……そうだね。ごめん、菜緒ちゃん」

 花音は素直に従ったが、菜緒はその姿に舌打ちをした。


 四人は部室を後にし、律一人だけが残った。


 ……妙だな。


 律は正座をやめ、菜緒と花音のやり取りを思い返した。


 菜緒が花音を虐げているのは昨日から見ており、事実である。しかし、花音からは菜緒への嫌悪感が見えなかった。概ねイジメの被害者は、加害者に対し畏怖を感じたり委縮したりと、必ず負のサインが出る。だが、花音からは出ていなかった。


 普通のイジメとは違う、という違和感を律は覚えた。


 まぁ、今の段階であれこれ推理しても仕方がないので、槙島教諭からの依頼を果たすことが先決だと律は切り替えた。


 律は部室を満遍なく携帯電話のカメラ機能で撮影し、終えると槙島教諭にSNSアプリで連絡をした。返事がくるまで、律は携帯電話を弄ってゴロゴロする。連絡してから十分後、槙島教諭からカウンセリング部屋にいると返事がきたので、律は部室を出て施錠し足早に去った。


 ちなみに、菜緒から掃除をしろと命令されていたが、律は完全に忘れていた。


 律は槙島教諭のカウンセリング部屋に入ると、テーブルの上に置いてあるチョコ菓子を食べながら事の顛末を話した。


「というわけで、槙島先生に顧問をやってもらいたいんです」


「だから、茜って呼べ」


 槙島教諭の開口一番はこれだった。名前呼びにこだわるなと律は困惑したが、

「茜先生、お願いします」

 一々反抗すると面倒なので言う通りにした。


「私、文芸部の顧問なんだよね。掛け持ちはなぁ。カウンセリングもあるし」

 律と一緒にチョコ菓子を頬張り、槙島教諭は苦々しい顔をした。


「平気ですよ。あいつらはやる気がないみたいですし、名前だけでもいいんで」


「んー。まぁ、いいか。律君に頼んだの私だしね。でも、面倒なのは嫌よ。それも込みでお願いしているんだからね」

 槙島教諭は了解してくれたが、最後に釘を刺してきた。


「わかってますよ。なるべく負担を掛けないようにします」

 律は薄く笑い頷いた。


「あと、もう一つお願いがあるんですが?」


「何?」


「部室の鍵なんですけど、朝一とか夜とか自由な時間帯に使いたいので、茜先生が持っていてくれませんか?」

 律の言葉に、槙島教諭は食べる手を止めたが、数秒後、

「いや、律君がずっと持っていればいいじゃん」

 と、槙島教諭は呆気らかんとして答えた。


「それはまずくないですか? 学校を閉める時に担当の先生が鍵をチェックするでしょう?」

 律は顔をしかめて反論したが、

「じゃあ、ダミーの鍵を用意するわ。使っている最中は本物とダミーを持って、使い終わったらダミーだけ戻せばいいよ」

 槙島教諭の返答は更に斜め上をいった。


「管理側がダミーを用意とか、清々しいほどセキュリティがザルですね」

 律は力が抜けた。


「律君のことを信用しているからよ」

 槙島教諭は真剣な面持ちで律を見つめた。

 ——それに面倒だし。


「キメ顔をするなら本音を言ってください。読めてますからね」

 信用されていること自体は嬉しかったが、槙島教諭の怠惰な性格も読めているので、律は素直に喜べなかった。


「まぁまぁ、律君が好きないちご味のお菓子もあるから持っていきなよ。よろしくね」

 そして、好物に釣られる自分も大概情けないと思う律であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る