第一部 第一章
律と茜の実験
二階にある四畳間の部屋。
内装は濃い緑色で統一されており、茶皮製の二人掛け用ソファが二つ、木製のローテーブルを挟んで配置している。昔は資料室だったらしいが、槙島教諭がカウンセリング用として使うため、防音対策も施し大幅に改装したらしい。端的に言うと、ここは槙島教諭専用のカウンセリング部屋である。
律はその部屋のソファに背を預け、いちごミルク味のペッキーを食べつつ、テーブルに置かれたノートパソコンの画面を見ていた。
内容は槙島教諭が用意したものであり、女生徒が悩みを話している動画だった。女生徒は卒業生で、槙島教諭が当人から許可は取っているらしいが、プライバシーの観点からではなく意図的に音声をカットしており、顔の表情や動作のみのシュールな映像であった。
律が聖穏学園に入学してから一週間以上経ったが、ほぼ毎日放課後に槙島教諭から呼び出され、同じことをさせられていた。恐らく、自分の能力を試したいんだろう。と律は思い、三本目のペッキーを口へと運び、槙島教諭に顔を向けた。
「あの、槙島先生」
「茜」
律が呼びかけると、槙島教諭は即座に訂正してきた。
槙島茜。二十七歳。
栗色でショートボブカットの髪型に、目鼻立ちがくっきりした顔で、常に白衣を身に纏っている凛々しい美女。特進課である一年一組の
担任をしており、律が所属している一年四組の担任である矢島教諭とは仲が良いらしい。
担当教科は現国だが、臨床心理士の資格もあり、スクールカウンセラーも兼ねているとのこと。質実剛健であるが、最初からなぜかフラ
ンクに接してきており、親しい人に似ているような既視感も相まって律はいつも戸惑いを感じていた。
「まき……茜先生。もう言っていいですか?」
律は言い直した後、確認した。槙島教諭は律の対面に座っており、読んでいた書類を横のソファに置いた。
「見始めてから五分も経ってないのに、相変わらず早いねぇ」
槙島教諭は律が食べているペッキーを一本取り、ニヤッと笑った。
「この方は、勉強についていくのがしんどくなっているのが半分、残りの半分はまき……茜先生目当てですね?」
律は姿勢を正して言った。
「正解。告白された時は困ったわ」
槙島教諭は半笑いで答え、口にくわえたペッキーを手で折り音が鳴った。
「茜先生は綺麗ですし、スタイルもいいですからね。モテるのは当然ですよ」
「あら、嬉しい。男からはあんまりモテないんだけどね。美穂ちゃんを見習おうかな」
律の評論に対し、槙島教諭は微笑んだが目を逸らした。
律はその様をしっかり読み取る。
——ぶっちゃけ、今は男と遊んでいる暇も興味もない。
と、槙島教諭の顔が言っていた。
「今はお付き合いする気がないみたいですけど?」
律がそう聞くと、
「バレたか……さすがは人間ポリグラフ」
槙島教諭は口角を上げた。
「誰から聞いたんですか? あー、彩夏さん伝いか。その呼ばれ方、機械みたいであんまり好きじゃないんですけど」
「実際に機械みたいだもんね」
「……言いますね」
あっさりと述べる槙島教諭に、律は顔をしかめた。
「君に嘘を言っても意味ないでしょ」
二本目のペッキーを食べながら、槙島教諭は鼻で笑った。
「じゃあ、そろそろ本題に入ってくれませんか? それとも、まだ必要ですか?」
槙島教諭の態度に嘆息し、律が言い返した。
「そうね、律君の力を試すのはもういいか。でも、意外だわ。素直に毎回対応してくれるし、率先して願いを聞いてくれるとは思わなかった」
「だってこの学校に入れたのは、まき……茜先生のお陰ですからね」
律がそう答えると、槙島教諭は驚いていた。
——いつからわかっていたんだろう?
「初めてこの部屋に来た時です」
槙島教諭の意を汲んで律は答えた。
「律君とは会話をする必要がないね。私は黙っていようかな」
そう言った後、槙島教諭は乾いた笑いをした。
「いや、できれば喋ってください。深読みを続けると疲れるんです」
「無意識にできるわけじゃないんだ?」
「当たり前じゃないですか。僕のことを何だと思っていたんですか?」
「どう思っていたと思う?」
槙島教諭が楽しそうに聞き返してきた。
どうせまた機械とでも言いたいんだろう。と思いながら律は槙島教諭の表情を読む。
——彼女はいるのかな? キスはしたことあるのかな? 年上は嫌いかな?
「うっざ……」
律は舌打ちをしてから、ペッキーを乱暴にひとかじりした。
「可愛いとこあるじゃん」
にんまりとする槙島教諭の姿に、律は目を逸らし鼻息で返した。
真面目に話す気が失せたので、律は姿勢を崩しソファに寄りかかる。丁度そのタイミングで、律は槙島教諭に確認すべきことを思い出した。
「あの、前から聞きたかったんですけど、僕は不正に入学をしたわけじゃないですよね?」
「何でそう思ったの?」
槙島教諭は表情を戻し聞き返してきたが、
「いや、聞く必要はないか。律君の偏差値は三十以下、AO入試枠で入学、副理事長の孫である私が君を必要としている。状況証拠だけでも怪しいもんね」
と、自己完結した。
「それだけじゃありません。担任の矢島先生からは占い師だと思われていて、毎日運勢を聞かれていますし、男性と会う日は服装まで相談してくるし、昨日なんかは自宅の内装を紙に書いてきて、この配置でいいか? って聞いてきたんですよ」
「何それ、ウケるんだけど」
律の追加情報に、槙島教諭はケラケラと笑いソファを叩いた。
「ウケるじゃありませんよ。僕のことを占い師だと矢島先生に言ったのは、茜先生でしょう。僕は占い師でもなければ、風水師でもないんですよ」
律は真剣な顔で訴えた。すると、槙島教諭は小さく溜め息を吐いた。
「しょうがないでしょう。感受性が強すぎるあまり、表情や仕草で真意が読み取れる人間だって、本当のことを言って信じると思う?」
「茜先生は信じているじゃないですか?」
「私は彩夏から聞いて、君を予め知っていたからよ」
槙島教諭は首を振った。
「だったら、矢島先生には嘘を言って、不正で入ったことになりますよね?」
律はムスッとして再確認するが、
「律君って結構潔癖なんだね?」
と、槙島教諭はせせら笑っていた。
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