プロローグ 律と茜③
「言っていいんですね?」
律が確認してきたので、茜は頷いた。すると、律は小さく息を吐き美穂へ目を向ける。
「昨晩、彼氏と喧嘩か揉め事があり、モヤモヤしたまま寝たのであまり熟睡できなかった。だからギリギリに起きて時間がなかったこと、起床時に昨晩のモヤモヤが続いていたので食べる気が起きなかったこと、この二つが理由です。付け足すと、そのモヤモヤと空腹を昼食にぶつけようとしている。ラーメンなどのこってりしたものを食べたいと思っています」
律は抑揚をつけずにスラスラと説明した。
律が話し終え、茜は美穂を見た。
美穂は口が半開きで完全に固まっていた。
……やっぱり本物だ!
「わかった、もういいよ。面接は終わり」
茜はニヤリとし、面接を終わらせた。
「あ、はい」
律は気の抜けた声で返事をし、立ち上がるとお辞儀をした。それから律は教室の出入り口で足を止め、
「失礼します」
と言い、またお辞儀をして出ていった。
心理を読むことに全てを割いているが、思っていたよりはマナーもしっかりしているな。と茜が律の評価をしている最中、美穂に目を向けた。
美穂が未だに呆然としているので茜はクスッと笑い、
「美穂ちゃん、彼氏と喧嘩したんだ? あと、お昼は中華の出前でいい?」
律の書類を見ながら聞いた。
「はい……彼氏が女連れでホテル街から出てきたって友達から聞いて……それで昨晩喧嘩になって……起きてもイライラが収まらなくて……朝は食べる気が起きなて……絶対にお昼はラーメンを食べようって……何なら半炒飯も付けようかなって」
美穂の表情は変わらず、口だけが動いていた。
「私、炒飯にするから半分あげるよ」
「……ありがとうございます」
心ここにあらずの美穂に茜は苦笑をしたが、その際にふと思い出した。
「そういえばさ。興城君が『そう思ってもらって構いません』って言ったけど、あの時美穂ちゃんは何て思ってたの?」
「……発達障害なのかなって」
美穂が呟いた。
……当たっている。
しかも、美穂が表情を変えた僅かな間で律は認識していた。凄まじいし、精密すぎる。と、茜の胸が高鳴った。
「……って! 何なんですか! あの子!」
美穂が我に返ったらしく、大声を上げた。
「東蒔田中学校の興城律君だよ。学業はからっきしだが、内申点は高い。彼がいることで不思議と問題が起きない、と担任教師は評しているね」
茜は書類を見つつ淡々と言った。
「そんなことを言ってるんじゃないんです! 全部当たっていたんですよ? 心理を読むのが得意とかいう話じゃないです! 怖い怖い怖い! エスパーですよ!」
美穂が捲し立てる中、
「……エスパーね」
茜は頬杖をつきながら小声で返した。
律の能力は美穂が言った通り、ほとんどエスパーだ。
とはいえ、エスパーなどという妄言は失笑ものであり、正直にそういう能力があると説明したところで、美穂は律に対して恐怖を感じるだけだろう。律に好印象を持ってもらいつつ、美穂を納得させる方法。やはり、事前に決めていた高名な占い師という設定でいこう。と、茜は美穂を見て柔和な笑みを浮かべた。
「あ……わかりました! 先輩が得意なやつですよね? 何とかリーディングを使っていたんですね?」
茜の表情で察したのか、美穂が自信ありげに言った。
「もしかして、コールドリーディングのこと?」
茜が聞き返すと、美穂は大きく頷いた。
「全然違うよ。コールドリーディングは第一に質問をし、相手の反応を観察する必要がある。興城君、美穂ちゃんに何も聞いてないでしょ? ゼロから心理を読んで答えていた」
「じゃあ……やっぱりエスパー?」
茜の言葉に、美穂の顔は完全に引きつっていた。
「美穂ちゃん。今から言うこと、冷静に聞いてね」
そう言った後、茜は神妙な面持ちになる。
「これは内緒にしていたんだけど。興城君の家系は代々占いを生業にしていて、ウチや政財界の大物も御用達にしていたほどの、高名な一族の末裔なのよ」
「……え?」
美穂は驚きと仄かな期待を滲ませる顔をした。しかし、当たり前だが茜の話は嘘である。
「一族の中で能力が秀でた者は、それを伸ばすよう特化されて興城君みたいになる」
嘘である。
「だから、あんなに無気力で無作法、学力が低いんですか?」
「ええ。そうしなければならなかったのよ……一族の宿命ね」
悲しげな表情で茜が言うと、茜に同調するかのように美穂は顔を曇らせた。
重ねるが、全部嘘である。
美穂は茜の荒唐無稽な話をすんなり信じているようであったが、断じて美穂がアホなわけではない。これは茜と美穂が学生時代からの付き合いであり、美穂が茜に凄く懐いていることが大きい。茜以外がこの話をしたら、美穂は恐らく信じなかったであろう。だからこそ、男子の入試面接を取り仕切る茜は、補佐に美穂を指名したのだ。
全ては、興城律を入学させるためである。
「でも、この占いに特化した興城君を、ウチに入れるメリットはあるんですか?」
美穂は律の書類に目を通しつつ、茜に言った。
「彼がいると問題が起きないって、中学の教師も評しているでしょ? 女学園だったところにいきなり男子が入る。不協和音は避けられない。となると、優秀なバランサーが必要になる」
「あの子が優秀なバランサーに……なりますかね?」
美穂は眉間にしわを寄せていた。
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