プロローグ 律と茜②


 少年は、ボサボサの黒髪、奥二重の目、鼻も口も際立ってはいない。不細工というわけではないが、平凡な顔立ちだった。体躯は中肉中背で、これまた平凡。身長百六十二センチの茜よりは少し高いので、大体百六十五センチくらいだろうと茜は推測した。


東蒔田中学校ひがしまいたちゅうがっこう興城律こうじろりつです。よろしくお願いします」

 少年改め、興城律はお辞儀をした。


 態度は悪くないのだが、顔が引き締まっておらず、まるで寝起きのようだと茜は思った。


 それに……。


「興城君、受験番号は?」

 美穂が鋭い目つきを律へと向けていた。


 そう、本来なら一番最初に言うべき、受験番号を律は言っていなかった。この時点で大チョンボである。


「あ……えっと……何番だっけな? 百三十五……六?」

 しかし、律は動揺する素振りもなく、思案顔で呟いていた。


 律の所作に美穂は唖然としていたが、茜は知っているので問題なかった。


「百三十三だよ」

 茜は笑いをかみ殺しつつ言った。


「あー、そうでした。百三十三番です。ありがとうございます」

 律はまた深く頭を下げたが、覇気がない無表情のままだった。


 ここで、無作法だった律に面を食らっていた美穂が正気に戻ったようで、表情が険しくなっていった。


「座ってください」

 美穂の合図で律が座る。膝の上に両手、背筋も真っ直ぐで姿勢はいいのだが、律の目は上下左右に動いており落ち着きが全くなかった。


「あまり集中していませんね? 朝ご飯を食べてきていないんですか?」

 美穂は律の態度に冷笑していた。


「いや、僕は食べてきましたよ。あれ? でも、何を食べたかは忘れました」

 律は呆気らかんとして答えた後、一瞬考える仕草をしたが、最後は半笑いであった。


 茜は笑いを堪えていたが、美穂は怒りの形相に変わっていった。


「あの、バカにはしていません。自分は元々興味のないことは直ぐに忘れたり、覚えようとしても集中力が続かなかったりするんです。不

快にさせてしまい申し訳ないです」

 律は美穂へそう言い、ペコリと頭を下げた。


 美穂の表情が怒りから戸惑いに変化した。と茜が思っていると、

「そう思ってもらって構いません。でも、自分は気にしていないので平気ですよ」

 律が平坦な口調で言い、美穂は目を見開いていた。


 二人のやり取りに茜が口元を緩めている中、美穂は表情を戻してから咳払いをし、

「それでは面接を始めます」

 と面接を再開した。


「本校を希望した理由を聞かせてください」


「知り合いに勧められたからです」

 律が即座に答えると、美穂は眉をピクッと動かし、


「興城君の意思じゃないんですか?」

 改めて聞き返していた。


「はい、そうなりますね」

 と、淡白に言った律に美穂は眉をひそめ、また険悪な雰囲気になった。面白いからもうちょっと見ていたかったが、これ以上続けると破綻してしまうと茜は判断した。


「他の高校でも良かったわけだ?」

 茜が律へ話を振った。


 律は美穂から茜へと顔の向きを変え、小さく頷く。


「ですが、ご存知の通り自分は学業が苦手です。高校を選べる立場ではありません。AO入試で入学できる可能性があるならば、そうする

までです。それに、ここなら母も安心するかなと思っています」

 律の言葉は丁寧で内容も問題はない。ただ、残念なことに全くと言っていいほど熱意が感じられず、茜には何も伝わってはこなかった。


「女子がいっぱいだから……とか邪な考えじゃありませんよね?」

 だから美穂に嫌味を言われてしまうのだが、

「冗談はやめてくださいよ。女子は笑いながら嘘をつく子が多いので、昔から苦手です」

 律は空気を読まずに平然と答えた。


 美穂は律を睨んだままで、状況が更に悪化してしまった。


 美穂と絡ませるとダメだ。面接じゃなくて口論になってしまい、美穂に悪印象を残すだけなので、茜は早々に終わらせることにした。


「小論文にも書かれていたけど、君は心理を読むことが得意らしいね?」


「それしか取り得がありません」

 茜が聞くと、律は大きく首を縦に振った。


「さっき、朝ごはんを『僕は食べてきました』と答えたね? この『僕は』とはどういう意味なのかな?」

 茜は真剣な顔で質問を続けた。


「聞いてきたそちらの方……」

 律は茜から目線を外し、手と顔を美穂へ向けた。美穂は驚いたのか、口を閉じ固まった。


「矢島先生」

 茜が名前を教えると、

「矢島先生が朝ごはんを食べていないからです」

 律はきっぱりと述べた。


「朝ごはんを食べていないのか? と聞いてきた矢島先生が朝ごはんを食べていない。だから、僕は食べたと答えたんだね?」


「はい」


「何でわかったの?」

「自分にはそう読めた、としか言えません。説明できなくてすみません」

 律は抽象的な言い方をしたが、その瞳からは自信がうかがえた。


 一方で、美穂は閉じていた口が少しずつ開いていたが、思考が止まっているように見受けられた。美穂の様子を後目に含み笑いをし、茜は律を見据える。


「じゃ、質問を変えるね。矢島先生が朝ごはんを食べなかった理由はわかる?」


「失礼な話になると思うし、外れていたら恐縮なので控えたいんですが」

 面接開始から初めて律が躊躇った。

 

 だが、やはり目は茜から逸らさない。言いたくはないが、わかっているのだと茜は確信した。


「私が許可する」


「先輩?」

 美穂が驚きの声を上げた。面接中なのに槙島先生呼びではない。やはり思考が止まっていたか、と茜は薄く笑った。

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