2. お前の前でこうなるのは絶対俺だけだ



 次の日。動画サイトの生放送でファンの阿鼻叫喚が響く様子を俺はじっと見ていた。

 『桃園アイラ』というこてこてのアイドルのような芸名で通っている彼女は、仕事も少ないし出している歌は少ないものの、月に一度だけ小さなライブハウスでソロライブを行っている。

 今でこそ仕事は少ないがテレビに出ている彼女は有名人。そんな彼女のライブ満席ではないもののそれなりの客が来ているし、ありがたいことに動画サイトで生放送もするようになったので俺は閲覧するためのチケット代を払って生放送を見ている。


 実は俺も彼女が売れるようになってから地味に高いチケット代を払ってライブに一度だけ行ったことがある。

 だが元々アイドルオタクじゃない俺は他の観客と同じように盛り上がる気にもなれず、壁に寄りかかってみていたのだが、まるで「俺はコイツのことよく知ってますから」というような彼氏面を下げていることに気付いてからは行くのをやめた。度胸がなくて悪かったな。


「私、痩せる。痩せて生まれ変わりたいんだ」


 痩せると宣言した彼女に対して、マイナーだった頃から追いかけているであろうファンからの歓声や悲鳴が聞こえる。悲鳴は一体どう思ってそう上げたのか不明だが、きっとグループ時代から見ている古参だろう。

 なんやかんや彼女には定着したファンがいた。体型が好みというのもあるのだろうが、地下アイドルを追いかけるオタクは大体彼女たちを支えている、自分達が彼女たちを育てているという優越感や達成感。どこか垢抜けない彼女たちを応援したいという庇護欲が込みあがるらしい。


 バラエティー番組が放送された次の日で好きな人がいるという告白にそこそこショックを受けたファンがいたらしく、開始早々から阿鼻叫喚だった。しかもその最初の歌が恋の歌だったので尚更酷かった。

 とはいえ嘆いていたのは本当にごくごく一部の数人だけなのだが。


「だからこれを機にアイドルやめることにしました」

『はぁー!?』


 さすがの俺もスマホの画面を前にぽかんと口を開いた。

 えっ?マジで?それ俺も知らない。まって。情報が完結しなさ過ぎて俺も他の古参達と同じ態度を取りかねないんだけど。

 だがファンとしてはにわかでも、幼い頃から彼女を見てきた俺には分かる。これはガチだ。コイツは本気で『アイドルの桃園アイラ』を捨てる気だ。


 話題作りのための工作であったとしても、ずっとやってきたアイドル活動をやめてまで彼女は自分を変えようとしているのか。


「でも電撃引退はねえだろ……」


 地味にショックだわ。



―――



「で、なんか言われたか」

「いいや?なんで恭輔が気にすんの」

「いや、だってアンチとか」

「気にすんな。これは私が可愛いから嫉妬してるんだよ」

「そーかい」


 この前コンプレックス抱いてるって言ったろうに。

 あの収録を期に彼女はダイエットを開始して、着々と自分磨きを始めているらしい。ここ2週間で10キロ痩せたらしく、若干横が小さくなったような気がする。


「そんなお前に仕事は来たのかい」

「いーや?アイドル活動を引退するって言ったことに対してちょっと騒動になった程度かな。自分で言うのもアレだけど大きなライブ企画できるほどじゃなかったし。元々事務所とはアイドル辞めるのは話してたからマスコミの対応は任せてた」


 そういう話はちゃんとしているのか。そりゃあそうか。会社の管理職も社員と同じことをするし。コイツは社員じゃないけど。


「芸能人みたいだな」

「芸能人だよ。一番よく知ってんのアンタだろ」


 舐めんななんて言った彼女はコントローラーを持ってテレビ画面に集中している。

 イメチェンを始めてから一週間。冷やかしも兼ねて休日に彼女の家に来れば、いつも通りのアイツがいた。

 ジャージに眼鏡。前髪はピンで留めて額は丸出し。肌こそそれなりに手入れしているようだがゲームに没頭しているオタクそのものだ。

 そんな『桃園アイラ』の真の姿を知っている俺が片想いの相手役だなんて誰が想像できるだろう。

 そしてそんな相手役のことを本人は露程想っても居なくて、逆に相手役の方が彼女のことが好きで、クッソ長い片想いを続けているなんてこと知っているのはきっとこの世界で俺だけだろう。


「じゃ、着替えるから出て行って」

「まだ2週しかしてねーじゃん」

「これから走るんだよ」

「……そ」


 元々アイドルだからレッスンは続けていたが体型を絞るなんてことはしなかった。そういう彼女の変化を見るたびに少しだけ寂しいと思うのはなぜか。

 だけど彼女のそういうところ好きになっただよなあ。


 だがぶっちゃけ彼女の見た目は正直言ってタイプじゃない。

 強がりではなく本気だ。なんなら彼女のラッキースケベに出くわしても無言で扉を閉めるか、腹の肉を鷲掴みにするなり「燻製前の高級ハムか」なんてブラック企業の管理職もびっくりなセクハラを言える自信がある。

 流石に常識人なのでそんなことしないけど。自分の命が危ないわ。


 だが正直俺もアイツへの恋を自覚した時、俺はアイツから催眠術でもかけられているのだろうかと疑い距離を置いたが、様子がおかしい俺を不審に思ったアイツは俺に体当たりをかまして俺に怪我させた所で、俺のアイツへの疑いは晴れた。

 ちなみにその時俺の肋骨が犠牲になった。


 だから今度は逆に己の正気を疑いアイツと同じ感じのぽっちゃり系女優のえっちな動画を見るという愚行に走った。もちろんそういう気分にならなかったし、むしろ俺の精神が穢されてしばらくトラウマになった。

 やっぱり胸はあってもお腹はある程度スリムな女の子がいい。だからといってガリガリもだめだ。触れたら吸い付くような感じのほどよい肉付きがいい。そんな柔肌触った事ねえよ。童貞舐めんな。


 だがそれでも気持ちの変化が変わることなんて無い。

 俺は本当にコイツに対する好きが恋愛感情であると信じられなくて、今度は事故を装って彼女を押し倒してみた。

 既に地下アイドルでそこそこの人気があった彼女に対して、多分俺の中で彼女のことを、デブとか振る舞いに女らしさがない下賤な奴だとか、見下している節があったんだと思う。

 我ながらひどく最低な野郎である。


 だがそんな彼女は、貧弱な俺でもあっさりと押し倒せてしまった。


 体型がころんとしているからとか、ちょうどその時アイツは余所見をしていたからとか、不意を突いた偶然だったんだと思う。

 目を見開いている彼女と目が合った数秒間、俺はアイツに対して抱いている感情を嫌でも否定できなかった。理解せざるをえなかった。

 彼女の見た目を抜きにして、こんなもやしである俺でもやろうと思えばすぐに傷付けることができる女の子であるということ、俺は彼女に対してそういうことができるということが何より怖くなった。

 アイツに対してしれっとセクハラ出来るなんて嘘。俺はあれでアイツに対して勃起しそうになった。

 だから俺は怖くなって、アイツに襲い掛かろうとしていた罪悪感が追ってやってきて、だから俺はひたすらアイツに謝った。あの時のアイツはかなり困惑していた。


 だから俺はその気持ちをさらしちゃいけない気がしたから、俺はひたすらこの感情を悟られないように接してきた。


「まあ頑張れば。オーエンはしてる」

「言われなくとも!」


 だがその彼女の笑顔はちょっとだけ胸にきた。


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