第68話


 そりゃいきなり言われても、わからんよな。と賢吾はフッと笑ったが、直ぐに表情を戻す。


「俺はコウのために生きている。コウが亡くなってから、俺は自分の幸せを全く考えなくなった。彼女作ったり結婚したり、とかな。けれど、コウの形見である君が現れた。君は俺にとって、コウのために生きる同士であり、生きるための糧なんだよ。だから、君に許可をもらわないと幸せにはなれない。俺もそういう宿命なんだ」

 賢吾の顔と言葉は真剣そのものだった。


「私なんかでいいんですか?」

 楓はまた泣きそうになっていた。


「なんか……じゃない」

 賢吾はにっこりとしながら首を振り、

「君じゃないと……守屋楓じゃないとダメなんだ」

 楓と目を合わせてしっかりと口にした。


 楓は片手で両目を拭いつつも、ほんのり笑顔を浮かべ、そっと頷いた。


 許可をもらえ安堵した賢吾は、ふと、真利亜がよくやっていた仕草を思い出した。


 ……やるか。と思い、賢吾は一度大きく咳払いをした。


「それでは、コウのために生きる二人の幸せを願ってー。えい、えい、おー!」

 賢吾は大声と共に右手を上げ下げした。しかし、楓は何事かと硬直している。


「えい、えい、おー! ほら、やって!」

 賢吾は構わず楓に強制させた。


「えい……えい……お……」

 楓は林檎のように顔を真っ赤にしながら、小刻みに右手を動かした。その姿に、賢吾は満足そうに何度も頷いた。


「守屋さん。申し訳ないんだが、そろそろ海から離れてもらってもいいかな?」


「あ、はい。そうですよね、すみません。携帯電話が落ちたらまずいですもんね」


「いや違う、携帯が理由じゃない。俺、泳げないんだよね。正直、この位置にいるのが怖いんだよ」

 賢吾はカナヅチだった。


 賢吾の返答に楓は一瞬固まっていたが、少しずつ口角を上げた。意外な一面に失笑。そんな顔を見せてくれたと、賢吾は嬉しく思った。


「初めて見たよ、君のそういう顔。もっと教えて欲しいし、もっと知りたい」


「……恥ずかしいです」

 楓は頬を染め俯いた。


「それに、俺のことも知ってくれ」

 そう言う賢吾に、楓は顔を上げた。


「慰労会で作ってくれた料理は、コウに習った物だろう?」


「はい、そうです」

 と答えた楓は、驚きを隠せない表情であった。


「あのハンバーグ、コウの好物で真利亜がよく作っていたんだよ。また食べたいな。作ってくれないか?」

 賢吾の願いに、楓は一度大きく目を開いたが、

「喜んで」

 そう、微笑んだ。


 賢吾は首をぐるりと回し軽く息を吐く、それから楓と視線を交え、

「帰りましょう」

 と、笑みを浮かべた。


 楓は賢吾の言葉を受け、一度空を見上げ大きく深呼吸をしていた。その後楓は顔を正面に戻すと頷き、飛びっきりの笑顔を賢吾に見せた。つられて賢吾も破顔し、二人は歩き始める。


「……あ。ハンバーグで思い出した。すこやかに行かないと」


「え?」

 振り返った賢吾の目には、靴を持ちながら動きを止めている楓の姿が映った。


「橘さんに美味いから食ってこいって言われていてね。守屋さんは食べたことある?」


「はい、祖母とあります。美味しいですよ」


「じゃあ、付き合ってくれ。あ……そうだ。今回は奢らせてもらえるのかな?」

 賢吾は眉をピクッと動かし、楓に聞いた。


「……では……ごちそうになります」

 楓は目を斜め上に向け少し間を置いた後、ニッと笑いそう言った。


 賢吾も軽く笑ったが、ここで異変に気付く。近付いてきた楓の顔をよく見ると、もう既に目が真っ赤であった。


「泣きまくったから、明日にはもっと目が腫れてるかもよ。明日も休みにしとこうか?」

 片倉や竜次に文句を言われそうだからな。と賢吾は危惧をした。だが、賢吾の気遣いに楓は顔を振り、


「いえ、行きます。目は社長のせいって言います」

 含み笑いをしながら言った。


「おいおいおい」

 言うようになったなと賢吾は返し、はにかむ楓であった。


「食事の後、波多野さんのお墓に行ってもいいですか?」


「ああ、いいよ。一緒に行こう。今日はコウの命日だし、守屋さんが来てくれたら喜ぶよ」

 賢吾はそう返して薄く笑ったが、楓が切なそうな顔に変わる。


「ようやく……約束が果たせる……会いに行けます」

 そっと、楓が言った。そこには、喜びだけじゃなく悲しみも見える。賢吾は複雑な心境を感じ、視線が交わった楓に対してただ小さく頷いた。


「先に、会いに来てもらっちゃいましたけどね」

 楓は作り笑いをしてそう言い、賢吾が手に持っている猫の面を指さした。


「だけど……もう……直接お会いすることはできないんですよね……」

 下唇を噛み、楓は顔を歪ませた。


「俺も会えない。悲しいよな」

 賢吾は深刻な表情で言った。楓が目を向けてきたので、賢吾はまた頷いた。


「さっきも言ったが、俺にとってコウは全てなんだ。亡くなってから四年間、幸せを感じたことは一度もなかった。けど、ようやくその悲しみに共感してもらえる同士が現れてくれた」

 そう言って賢吾が微笑むと、

「私も……波多野さんが全てでしたからね」

 楓の表情が若干和らいだ。


「まぁ、コウの代わりが俺になったのは申し訳ないけどね」


「そんなことないですよ」


「いやいや、俺なんかコウの百分の一くらいだろ?」


「いえ……一万分の一くらいじゃないですか?」


「おい」

 咄嗟に賢吾がツッコミを入れると、楓はクスッと笑った。


「ですが、波多野さんの一万分の一がいてくれることが、今の私にとって何よりも嬉しいことなんです」

 今度は無理に作ったものではなく、楓は自然と笑顔になっているようであった。


「それなら、いいんですけどね」

 賢吾が若干拗ねた表情で言うと、楓は口角を上げた。


 賢吾は、前へと向き直ってから空を見上げた。


 静岡県浜松市でも今日は雲一つない快晴だ。


 十月五日。


 輝成が亡くなってから、毎年、毎年、同じように雲一つない快晴だった。傷口に塩を塗り込まれるようで、賢吾は心底嫌だった。


 だけど、ようやくこの天気が好きになれそうだ。


 賢吾は振り返り、笑みをこぼす楓を目視する。


 その存在、生き甲斐をしっかりと受け入れたのであった。

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