第57話

 雅彦と向坂は取り出した荷物を抱え、車の前にいる野村夫妻まで歩み寄った。


 雅彦は荷物を取り終えたことを伝え深々と一礼すると、横にいた藤堂も続いた。


「色々と、本当に申し訳ございませんでした」

 頭を下げたまま藤堂が言った。


「いいえ、そんな何度も。気にしないでください」

 佳代は朗らかな様子で言った。


「小田切さん」

 陣八に呼ばれ、雅彦は顔上げる。陣八は雅彦をジッと見つめていた。


「私達夫婦にも娘がいましたが、三年前に事故で亡くなりました。君とは比べるものではないですが、大切な人を失った感情というものはわかるつもりです」

 そう言うと、寂しげな表情を見せて間を置いた。


「人は独りでは生きられない」

 陣八がポツリと言う。その後、再び笑顔に戻った。


「君の話に心打たれました」

 陣八の爽やかな笑顔に、雅彦は目を見張った。


「父の受け売りの言葉なのですが、『人生には回り道も寄り道もない、必ず意味がある』という、好きだった言葉です。ですが娘が亡くなって、正直この言葉を憎むようになっていました。娘が死んだ意味に何があるのか……とね」

 陣八は苦笑する。


「しかし、君に会えた。良いものを見せてもらった。少しだけ、父の言葉に納得できた気がします」

 言い終えた陣八は、晴れやかな表情だった。その後一礼し、運転席へ入っていった。


 助手席へ向かっていた佳代は、雅彦の前で止まる。雅彦がお辞儀をすると、にこやかな顔を見せた。


「ご両親が残したお金は、あなたへの希望だったんだと思う。あなたの性格なら、義理立てで生きるだろう、それまでに何か生きる希望を見つけて欲しいって。そんな風に私は思った。だから、先立ったご両親を許してあげて、あなたも自分を許してあげてね」

 佳代はそう言ってから助手席に入り、窓を開けると再び雅彦を見て言葉を続ける。


「私も、あなたに会えて良かった」

 と。


 野村夫妻は、颯爽と去っていった。


 正に、立つ鳥跡を濁さず。


 雅彦や藤堂を責めることもできたし、正論を述べて蓮穂と華耶を迎えることもできたはずだ。


 しかし、野村夫妻はそうしなかった。蓮穂と華耶を思って手を引き、雅彦を認めて励まし、希望を持たせてくれた。


 良い人達だった。


 雅彦は心の底からそう思った。


 仮に、山岸の前に彼らが二人を引き取っていれば、二人は毒牙にはかからなかったであろう。しかしそうなれば、自分は二人と出会わずに死を選択していた。


 雅彦は野村夫妻が去っていった方角を眺めた後、頭を少し下げ感謝の意を示した。


「さて、俺もそろそろ帰るかな」

 荷物を肩で持ち直し、向坂が言った。


「一緒に帰らないんですか?」


「今日、お前ら家族の邪魔をするほど、空気が読めない男じゃないよ」

 雅彦に対し向坂は自嘲的に言う。しかしその後、何かに気付いたような表情をした。


「……あ。でも荷物はどうしようか? 鍵を貸してくれたら、家に入れておくけど?」

 向坂は自身が持っている荷物と、雅彦が持っている荷物に指をさして言った。


「やってもらっていいんですか?」


「ああ。じゃあ、このまま車に入れちゃおう。手伝ってくれ」

 向坂は二つ返事で引き受けてくれた。


 早速二人は、向坂の車へ荷物を全て入れる。終わると、雅彦は蓮穂から受け取っていた合鍵をポケットから出し、向坂へ渡した。


「これでよし、と。今度家に行った時に鍵は返すから」

 トランクを閉めてから向坂が言った。


「向坂さん。お願いがあります」


「ん?」

 向坂は何気ない仕草で返事をしたが、真剣な顔つきの雅彦を見ると身構えた。


「蓮穂と華耶を、横浜かその近郊の施設に移せませんか?」


「え?」


「……お前」

 雅彦の言葉に藤堂は目を大きく開き、向坂は眉をひそめた。


 雅彦は向坂が難色を示すことはわかっていたが、

「横浜に戻ろうかと思います」

 と言い切った。


「ウチは一軒家の持ち家で、ローンは終わっています。これから二人の学費や生活費を考えると、住む分のお金が不要となる実家が望ましい。蓮穂は来年中学生ですし、今の時期に転校する方がいいかなと。……それに」

 そう言った後、雅彦は目に力を込める。


「もう逃げるのは終わりです。新しい家族と、家族を護るために俺は生きたい」

 瞳を逸らさずに本心を述べたが、対する向坂は険しい表情のままであった。


「お前、横浜の実家で暮らすことがどういうことになるか、わかって言っているのか?」


「言いたいことはわかっています。弟の事件後、腫れ物を扱うような近隣からの視線と対応。両親が死んだ後、俺は死神のような目で見られ、ウチは呪われていると囃し立てられました」


「そんな劣悪な環境とわかっていながら、二人を連れて行くのか?」


「お金には代えられません」


「山岸から取った分があると言ったはずだ。大学までなら余裕だろ?」


「そのお金は二人が何かしたい時、絶対に必要な時に残しておくべきです。家族なのだから、二人の学費と生活費は俺が出します」

 雅彦の返事に、向坂は不満気な表情をし、大きな溜め息であった。


「エゴだな」

 向坂がそう吐き捨てた。だが、

「エゴですよ」

 雅彦は不敵な笑みを浮かべた。


「俺は、蓮穂と華耶と本当の家族になる、二人の全てを背負うつもりです。二人に何かあったら、俺は死ぬ気で護るし、何より二人のことを最優先にします。だから、二人にも俺の全てを受け入れてもらいます。辛いことも多くなると思いますが、それも含めて本当の家族だと思いますからね。俺も、蓮穂も、華耶も、凄惨な過去は変えられない。だけど、俺達は一緒に生きる。本当の家族になって、一緒に背負って生きるんです」

 これは、単なる決意ではない。金剛不壊なのだと、雅彦は言葉を強く込めて言い放った。


 そして、気を張っていた雅彦が少し息を吐こうとした時、向坂は肩を震わせた。


「……こうなると思った」

 笑いを堪えながら向坂が呟く。突然の変化に、雅彦のみならず藤堂もポカンとしていた。


「実は、横浜にいる知り合いが施設をやっていて、話は通しているんだ」

 向坂は当然かの如く述べた。


「ええっ!」

 思わず叫ぶ雅彦。その姿に、向坂は再び笑っていた。


「相変わらず、底意地悪いですね」

 雅彦が呆れた表情を見せると、

「大切なことだ。本気がどうか確かめなくちゃなぁ」

 向坂はにやけ顔で返してきた。


「慎司君、本当なの?」


「はい。勝手に進めていてすみません」

 藤堂の言葉に向坂は頷いた。

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