第55話

 フーッと息を吐き、雅彦は覚悟を決める。


「自分は、崩壊した家族から逃げたかったんです。目を背けてしまいました」

 過去の過ちを口にし、雅彦は拳を握り締めた。


「そして、横浜を離れて約半年後、両親は二人揃って自殺しました」

 雅彦は、静かに告げた。


「頭がおかしくなりそうになって、暴れ狂って。正気に戻ったら、激しい後悔の念に苛まれました。自分が逃げなかったら、目を背けず側にいたら、もっと両親と話し合っていれば、こんなことにはならなかったのではないか? そう何度も思って、悔やんでも両親は戻ってこないのに。自分を責めて、現実に悲しみ疲れて、次第に生きる気力がなくなっていきました」

 上がっていた声のトーンが、徐々に下がっていく。


「直ぐに死のうと思いました。でも、家族から逃げて、また逃げて死ぬ。さすがに、あの世で会う両親と弟にあわせる顔がなくて、だったら……と。両親は自分のために大学費用を残してくれていたので、そのお金の分だけでも生きてから死のうと。そう思って、怠惰で無意味に、ただ存在していただけでした」

 そう言い終えた声は、囁くようなものだった。雅彦は俯いて何秒か黙った後、面を上げ軽く笑みを浮かべる。


「そんな時、蓮穂と華耶、二人と出会いました」

 どこか、懐かしむような言い方。


「関わるつもりは毛頭なかったです。そもそも、また失う悲しみに打ちひしがれるのは嫌でしたから、誰とも関わるつもりはありませんでした。だけど、華耶が目の前で倒れて、なし崩し的に家へ入れて、蓮穂の様子から事情があるように思えて、放っておけなかった。追い出したけど、やっぱり気になって、一緒に暮らすことにしました。事情が解決すれば追い出そう、情が移らないように無関心を装って冷たく接しようって、自分を納得させて。でも……ダメだった!」

 感情を吐き出す雅彦は、自嘲的な笑みを浮かべていた。


「素直に言います。自分は、二人と一緒に暮らしていることが、純粋に嬉しかったんです。大好きだった家族がなくなってしまった、その渇き切った心が少しずつ、少しずつ、潤っていく。活力が満たされていくようでした。だからこうして自分は、前を向いて生きることができるようになりました。二人を救ったわけじゃない、救われたのは自分なんです」

 穏やかな顔で言い終えたが、雅彦は再び表情を引き締める。


「野村さんから養子の話をいただき、正直良かったと思ったのも事実です。自分としても、大切な人を失う怖さがなくなる。それに、二人の将来を考えたら、自分のところにいることは大きなマイナスです。だから納得しようと、そう言い聞かせていました。けれども、無理でした。蓮穂が泣いた際の際でようやく気付き、認めました」

 認めて言い切るには、難しすぎた決断だった。と雅彦は感慨にひたる。


「蓮穂と華耶は……もう……自分の大切な家族なんです」

 雅彦が辿り着いた、嘘偽りのない言葉。


「野村さん、園長先生」

 そう言った雅彦は、野村夫妻と藤堂の顔を交互に見た。


「お話した通り、自分はいわくつきです。それに、二人を養うための権利もないですし、金銭的にも余裕はありません。繰り返しますが、冷静に考えて、自分のところに二人がいることは間違っていると思います。倫理的にも当たり前の話です。どっちが二人のためになるのか、そんなことはわかっています。……それでもっ! 無理を承知でお願いします!」

 最後に語気を強めた雅彦は、深々と頭を下げる。


 そして、目を閉じて言った。



「どうかもう一度、僕に家族をください」



 心の底から出した。

 生を諦めていた男、小田切雅彦。

 本当の想いを出し尽くした。


 言い終えた後、場が一層張り詰めたように雅彦は感じた。


 頭を下げたまま言葉を待っているが、誰からも言葉がこない。一度顔を上げようかと雅彦は迷っていたが、嗚咽が聞こえた。


「……お……だぎり……さん」

 声の主は水野だった。


「小田切さん、顔を上げてください」

 藤堂からの言葉だった。雅彦は顔を上げて、一同の顔を見渡した。


 水野は泣き顔で片手にハンカチ、野村夫妻は真剣な面持ち、向坂は優しげな笑み、そして藤堂は硬い表情。三者三様であった。


「大変よ。いえ、大変なんてものじゃない。これから、中学、高校。それに大学へもいくことになれば、自分の人生全てを犠牲にしなければならない」

 藤堂が厳しい表情のまま言った。


「わかっています。ですが前にも言いましたが、犠牲になっているつもりはありません。自分は望んでやって……」


「望んでやっていたとしても。まだ若いあなたが、幼い子を二人も育てる。気が変わってやっぱりやめた、なんて許されないわよ。蓮穂と華耶は愛玩動物じゃない」

 雅彦の返答が終わる前に、藤堂が食い気味に返してきた。


「当たり前です」


「本当に、二人を幸せにできると思っているの?」

 即答する雅彦に対し、藤堂は眉をひそめた。


「幸せかどうかを決めるのは蓮穂と華耶です。自分は命を賭して最善を尽くすだけです。その覚悟はあるつもりです」

 再び雅彦が淀みない返事。


「まぁ、そりゃそうだわな」

 含み笑いをしながら向坂が言った。藤堂は向坂を一瞥し、

「言葉を借りるけど。私にとっても、それでも……よ」

 大きな溜め息を吐いてから雅彦に言った。


「同情はするけど、私は反対です。二人はあなたを癒すための道具じゃないわ。それにあくまで小田切さんの家に二人を住まわせたのは、限定的な処置なはず。法的に守られないイレギュラーケースで育てることは間違っているし、二人が可哀想でしょう」

 藤堂はそう言い切った。即答を繰り返していた雅彦も、ぐうの音も出ず口を結んだ。

「法的に守られていても、身体と心は守れませんでしたけどね」

 と、割って入る向坂。


 場が一瞬にして凍り付いた。

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