第51話


 向坂は酒を一口飲み、硬い表情へと変わる。


「俺にとっては復讐が全てだった。妹を殺した奴や、山岸。俺にとっての仇敵を社会的に抹殺すること、それだけを考えて生きてきた。妹が死んだ後に来た養子の子も、華耶ちゃんも、蓮穂ちゃんも、それ以外にもいたが……俺にとっては復讐を遂げるための贄でしかなかった。証拠映像として残すため、実際に食われる様を黙って見過ごすわけだし、罪悪感がないと言ったら嘘になるが、俺にとっては優先すべき感情ではなかった」

 向坂はそこまで言うと、またコップに口をつけた。


「去年の十月に嬢ちゃん達が警察へ駆け込んだ時、結果的には山岸が揉み消して終わったわけだが、馴染みの警官にこの話をリークしてもらっていた。この時から俺は山岸を獲物と捉え、抹殺することだけを考えて計画していた。そして、その馴染みの警官から機密も守るし便利な男だ、と俺を売り込んでもらった。さすがの山岸も、短期間で警察関係者に何度もコネを使う、揉み消すことは厳しいと思ったのだろう。嬢ちゃん達が家出した際、狙い通り山岸から連絡をもらえた。これで獲物の動向と性格も理解することもできた」


「初めから山岸だけを標的にしていたんですか? 園長先生からの依頼は嘘ですか?」


「嘘じゃない。香苗先生からも依頼はされていた。が、その前から計画していたってことだよ」

 そう答えた向坂の冷たい表情に、雅彦は戦慄した。


「その後、嬢ちゃん達を発見した時も接触しなかったし、お前から引き離して保護もしなかった。二人は使える贄だからだ。それに三葉の後輩とはいえ、幼女をおっさんが匿うわけだから、警察沙汰になった時のリスクが大きすぎるからな」


「俺が出てきて助かったわけですか?」


「その通り。警察沙汰になったとしても、捕まるのはお前だ。それに、二人に手を出す外道であれば、仇敵として俺の獲物が増えるだけだからな」

 向坂の説明で、雅彦はようやく腑に落ちた。


 ファミレスで話した際には、今更二人を保護しようとしても信じてもらえないから、と言っていた。しかし、雅彦は向坂と最初に三葉児童園へ行った時、違和感を感じていた。


 向坂は三葉の先輩で、藤堂からも依頼を受けている。詳しく説明すれば蓮穂だって信じたはずだ、と。しかし、そうはしない。元々助けるつもりはなかったわけだ。



 ……贄だから。



「お前には嘘をついていたが、ぶっちゃけるつもりで来たから最後まで言う。この家に嬢ちゃん達がいると、山岸へリークしたのは俺だ」

 向坂は真顔で放ち、雅彦は言葉を失っていた。


「ある程度準備も終わった。とはいえ証拠がないと先には進まない……」

 とそこまで向坂が言ったところで、雅彦が向坂の顔を殴った。座っていた向坂が、その反動で後ろの壁に当たり、ドンッという音が鳴った。


 雅彦は息を切らしながら向坂を睨み付ける。


「一発でいいのか?」

 向坂は手で口を拭うと、無表情のまま言った。


「あんたは……」

 雅彦は声を震わせていた。


「ウチの店にバイトへ来たのは全くの予想外だったが、それも好都合だった。嬢ちゃん達がいなくなった後、お前がどう動くかもシミュレーションしていた。静観するのか、警察へ行くのか、とかな。まさか俺に相談に来るとは思わなかったが、凄く助かったよ」

 向坂は喋り終えた後に、薄く笑った。


「軽蔑したろ?」

 と言う向坂に、雅彦は怒りと悲しみが入りまじった表情を向ける。そんな雅彦に対し、向坂は自虐的な笑みを浮かべていた。


「俺はこういう人間だ。俺は……こうなってしまった」

 向坂は独り言のように言った。


「……なぜ……今この話を?」


「今、話さなきゃならんからだ」

 向坂の回答に、雅彦は不快感を示す。しかし、向坂は極めて真剣な顔つきだった。


「俺は俺の復讐のため、悪を殺すために悪となった。それに後悔はない。だが、お前と会い、お前や嬢ちゃん達と触れ合っていくうちに、失っていた感情に気付いた。それから、妹が死んでから止まっていた俺の時間が動き出した。恥ずかしい話だが、この歳になってようやく妹の死と向き合うことができたんだよ。俺は、お前と嬢ちゃん達によって、人間としての感情を少しずつ取り戻すことができた。手前勝手な言い分だがな」

 向坂は微笑を浮かべてから、座った状態で頭を垂れた。


「ありがとう」

 その声と姿は、真摯なものであった。雅彦は口を半開きにしたまま、目を見張る。向坂は頭を戻すと、少し照れくさそうにしていたが、直ぐに顔を引き締めた。


「お前は、俺になるのか?」

 突き刺すような言葉だった。


「それとも、死ぬつもりだからもういいのか?」

 更に突き刺した刃を抉りつける。逃がさないという向坂の瞳。雅彦はその目に対し、逃げるように唾を飲み込んでいた。


「ファミレスで山岸や嬢ちゃん達の話をしたこと、憶えてるよな?」


「はい」


「お前は、自分はどうなっても構わないって言ったよな? 確かにあれは嘘じゃねぇと思ったよ。だけど、本当は自分のためだろ? もうこれ以上、自分と関わった人間が不幸に遭うのは見たくない。助けることが最優先、養父である山岸の力もわからない状況で、警察へ頼むことは難しいと判断した。だから、俺のところへ来た。仮に、山岸が警察で対応できる範疇と判断していたら、自分が逮捕されるとしても喜んで警察へ身を捧げただろう。俺が頼りにならないと判断していたら、山岸と刺し違えても嬢ちゃん達を助けただろう。だが、それは自己犠牲じゃない。お前が、望んで死に場所を求めていただけだ」

 語る向坂に対し、雅彦はずっと顔を伏せていた。


「わかるよ。過去で時間が止まっていた同士だからな」

 向坂はそう言うと、酒をグイっと喉へと流し込んだ。


「だが、お前は俺を殴った。……なぜだ?」

 向坂の質問に、またしても雅彦は黙っていた。


「わかっているだろう? 嬢ちゃん達を食い物とした俺に怒りを感じたからだ。自分の大切な物が汚されたからだ。もう家族だと思って……」


「喋るなぁ!」

 雅彦の強烈な怒号が、向坂の言葉を遮った。


「……何が言いたいんですか?」

 雅彦は息を切らしながら、向坂を睨んだ。


「お前は変わった。そして。これからも変わっていけると信じている。それに、蓮穂ちゃんも、華耶ちゃんも変わっていった。三人で暮らすことが相乗効果を生むように、笑って、怒って、それが当たり前のようになっていった」

 向坂が言いたいこと、何を伝えたいのか。雅彦にはわかっていた。唇を噛んで、拳を強く握り締めていた。


「……それでも」

 雅彦が呟く。


「それでも?」

 雅彦と同じ言葉で、向坂は聞き返してきた。


「向坂さんはわかっているでしょう?」

 雅彦は訴え掛けた。


「何が?」

 そう、また向坂から問われる。雅彦は黙ってコップに残っていた日本酒を一気に飲んだ。

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