第49話


 嫌な雰囲気と静寂の中、

「なんか……やだな」

 華耶が声を漏らす。


「何で? お小遣いだってもらえるぞ。お前、スイートウィッチとかいう魔法少女の玩具欲しがってたろ? きっと買ってもらえるぞ」


「べつに、いらない」

 雅彦を冷めた言葉で跳ね返す華耶。そして、また訪れる音がない部屋。


 気まずい空気が部屋に充満して、雅彦に精神的な息苦しさを感じさせた。


 だからといって、ここでこの話は嘘ですと楽になることはできない。進むしかないのだ、と雅彦は自分に言い聞かせる。


「正直に言わせてもらうけどな、俺と暮らしていてもいいことはない。金もギリギリ、欲しい物も買えない。学費だって、これからの分を払えるかわからない。どうなるかわからないんだ。お前らはまだ幼く、未来もある。年相応でやること、やりたいことがあるだろう。我慢したらダメだ。自分が幸せになれることを一番に考えろ」

 雅彦は言った。言った直後に、あることが脳裏をよぎった。


『あなたはまだ若い。これからやりたいこと、やれることが出てくる。二人の父親代わりとなって犠牲になることはないわ』

 藤堂が雅彦に言った言葉だ。その後、雅彦は反発した。しかし今、同じことを雅彦は二人に対して言っている。


 大人は勝手だ。


 雅彦は自分に毒づき心底嫌気も差した。


 けれども、これが現実で。これで最後だから。そうやって無理やり自分を納得させて、雅彦は進もうとしていた。


「かやはいっしょがいい」

 華耶が言う。


「かやと、おねえちゃんと、まさひこがいい」

 駄々をこねる様ではなく、意思をはっきり持った言葉だった。


「ダメだ」

 しかし、雅彦が上から蓋をする。


「華耶、蓮穂。ここはあくまで避難所のような場所だ。行き場を失くしたお前達が、一時羽を休めるための場所。だから、ずっといるべき場所じゃない」

 二人を交互に見て、雅彦はそう続けた。


 言った雅彦自身、切ない感情に押し潰されそうになっている。だが、辛いのは自分じゃない。傷付き、ここを拠り所にしてくれた、そんな二人が辛いのだ。


 雅彦は沈んだ表情の二人を見てそう思い、必死に堪えた。


 そして覚悟を決め、終わりを告げる。



「俺達は、本当の家族じゃない」



 言うべき台詞で、言いたくなかった台詞だった。


 雅彦は口を震わせ、思いっきり歯を食いしばっていた。


「本当の家族になれる場所へ行くんだ」

 夢から醒めろ。と、自分にも言い聞かせるように雅彦は言った。


 また、部屋が静寂に包まれる。蓮穂も華耶も悲しそうな顔ではあったが、話し始めの不満を滲ませる表情ではなかった。


 気まずさや息苦しさではなく、諦観に満ちていた。


「いつから、ですか?」

 下を向いたまま、蓮穂が言った。


「明後日だ」

 雅彦がそう答えると、蓮穂は顔を上げて愕然としている様子。泣いてはいなかったが、目が赤くなっていた。


「……わかりました」

 蓮穂は力なく返事をした。


 蓮穂の返事で、この話は終わりとなった。


 その後、急な話だから荷造りが終わらなくても後で持っていくと言って、雅彦は部屋を離れた。


 二人の顔を見ることができず、そのまま風呂場に行ってシャワーを浴びる。その最中、華耶のすすり泣きが聞こえた。


 雅彦はシャワーの水量を強くして音をかき消す。泣いているのは華耶で、泣きたいと思ってくれたのは華耶と蓮穂で、俺じゃないんだ。そう、強く思って堪える。


 雅彦の意地だった。


 身体を伝い流れ落ちるシャワーの水滴。


 何とか、水滴以外のものは落とさずに済んだ。


 それから、ほとんど会話がないまま、その日は終わった。



 別れの前日。


 雅彦は二人の朝食を作った後、朝からアルバイトへ行った。


 最後だから一緒にいたい気持ちもあったが、楽しく会話ができる状態ではなかったので、針のむしろになりかねない。この日が出勤する日でありがたい、と雅彦は思った。


 アルバイトを終え帰宅し、荷造りがほぼ終わっていることを確認して、実感。


 また、蓮穂が気を利かせてくれたのだろう、雅彦の好きなチキン南蛮と筑前煮が用意されているということで、また実感。


 特にチキン南蛮は、雅彦の好物だから蓮穂が作ってみたい、と言ったものであった。油物は一人じゃ危ないからと、雅彦と蓮穂との共同作業から生まれたメニューだ。


 悲しく沈んでいた蓮穂からの、粋な計らいである。


 これで終わるのだと、実感という針が何本も雅彦を刺した。


 口数は少なかったが、夕食は昨日よりは有意義だった。


 明日の話題は避けて、ご飯美味しいね、とか、テレビを見て笑って、とか。特別感もなく、他愛もないけど、全員仏頂面の無口で終わるより遥かにマシだと。雅彦は思った。


 夕食を終え、片付け、風呂、諸々こなし、午後十一時を過ぎると蓮穂と華耶は布団へ入って寝た。雅彦は台所と部屋の境である襖を閉め、台所でボーッとしていた。


 疲れてはいるが、全く眠くはならない。そんな時だった。


 6月24日(日) 0時2分 今から家に行っていい?


 向坂からメールがきた。


 こんな時間に何言ってんだこの人?

 と雅彦は思い、無理だと返信する。


 6月24日(日) 0時3分 そっか、すまん。


 わかってくれたか。と雅彦はホッとしたが、

 6月24日(日) 0時3分 だけど、もう着くんだわ。

「はぁ?」

 雅彦は思わず声を出してしまった。


 雅彦が動揺している間に、玄関からはコンコンとドアをノックする音が鳴る。半信半疑で雅彦がドアを開けると、向坂が悪びれる様子もない笑顔で立っていた。


 その姿に雅彦は呆れ、半目で睨み付けた。

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