第48話


 気軽に話し掛け、いつも通りの会話。


 二人がいる間は考えず、とにかく普通でいることに徹底した。


 だが、夕食の時だった。


「ねぇ、まさひこ」


「ん?」

 華耶に呼ばれ、雅彦が反応した。


「このステッキかって」

 華耶は、テレビで流れているCMを見て言った。


 そのCMはスイートウィッチという魔法少女のアニメで、ステッキを使って皆で魔法少女になろう、というものであった。


 要するに子供向けの玩具で、値段は六千八百円。


「高っ! 無理だな」


「けち。あやかちゃんはもってるもん」

 雅彦は即座に終わらせたが、華耶は頬を膨らませていた。


「華耶、よそはよそ。わがまま言っちゃダメでしょ」

 蓮穂が華耶を宥める。蓮穂に言われると、華耶は口を尖らせながらも頷いた。


 しかし今度は、

「まさひこさ。ゲームないの?」

 と聞いてきた。


「ゲーム?」

 雅彦は聞き返し、以前にやっていたパソコンのオンラインゲームのことだろうかと考えていた時、華耶が車のハンドル操作のような仕草をした。


「このまえさ、おじちゃんとくるまのゲームしてさ」

 と言って華耶が笑う。


 しかしその直後、

「華耶っ!」

 蓮穂の大声が部屋に響いた。


 普段蓮穂が声を上げることは、ほとんどない。それだけに華耶だけでなく、雅彦ですら身体が固まっていた。


「その話はしないって、お姉ちゃんと約束したでしょ?」

 少し黙った後、蓮穂は静かにそう言った。


「……うん。ごめんなさい」

 華耶は泣きそうな表情で蓮穂に謝った。


 まぁまぁ、落ち着いてさ。そう場を和ませ、雅彦は二人の意見を聞いて仲裁したかった。しかし、それはできない。野村夫妻と会ったことに踏み込むからである。


 蓮穂が何で嫌がっているのか聞かなくてはならない。養子になることを今話さなけ

ればならない。


 雅彦は現実を直視せぬよう心掛けていたが、早くもそれが破綻していた。とにかく、二人の顔を見ぬよう急いでご飯を平らげていた。


 そしてその時、雅彦の携帯電話が鳴った。ポケットから携帯を取り出し、液晶画面を見る。


 三葉児童園だった。


 雅彦がチラリと蓮穂を確認したところ、動作を止めて見つめられていた。


 ……このタイミングかよ。

 と雅彦は、無意識に唾をごくりと飲む。


「向坂さん。シフトのことかな」

 額に脂汗をかきながら、雅彦は白々しい嘘をついた。


 また後で電話をすればいいと思い、携帯電話を切ってポケットにしまう。


 それから雅彦は話題を変えたり、赤ワイン煮のアクセントについて語ったりと。普段そんな気をまわすことをしないので、明らかにぎこちなかったが、とにかく悪くなったこの空間を良くすることに全力を注いだ。


「アイス買ってくる」

 先に食事を終えた雅彦が言うと、わかったと二人は頷いた。


 ピリピリしていた雰囲気が大分収まり、華耶も落ち込んだ状態から少し回復したところだった。


 もう大丈夫だろう、雅彦はそう思い家を出た。


 勿論アイスは建前で、三葉児童園に電話をするためである。


 雅彦は家を出て少し歩いてから、携帯電話を取り出し三葉児童園にかけた。



 夜の調布駅プラットホーム。


 帰宅ラッシュで散っていく人から、ベンチの片隅に取り残されている一人の姿。


 その光景が幾度も繰り返された。


 雅彦がそこのベンチに座ってから、三十分が過ぎようとしていた。


 ……帰りたくないな。

 と雅彦は思い、一旦休もうとベンチに座ったのだが、一度座ると根が張ったように動けなくなった。


 三葉児童園に連絡した日から、三日が経過していた。


 藤堂と話をし、野村夫妻はいつでも受け入れ態勢とのことだったので、雅彦がだったら次の日曜日にしたらどうかと提案すると、すんなりそれに決まった。


 本日は金曜日。


 要するに、明後日である。


 明後日、蓮穂と華耶を引き渡すことになる。


 しかしながら、雅彦は二人にまだ何も伝えていなかった。


 藤堂には自分が説得するからと大見得を切っておきながら、この情けない有様である。


 遅くなればなるほど言い辛くなるとわかっていたはずなのに、言えない。言うことが怖い。雅彦はそうやって現実から目を逸らし続けていた。


 だが、そろそろ潮時か。


 そう心で呟いて、雅彦は重い腰を上げた。


 駅を出て、黙々と家路を辿る。


 途中、赤信号で止まる時間が長かった時、このまま向坂の事務所にでも行こうかな、と一瞬邪念がよぎったが、雅彦は家に着いた。


 家へ入り、雅彦は早速話そうかと思ったが、蓮穂がご飯を作り終えていたので、冷めない内に食べた。


 雅彦が平静を装い食べ終わると、蓮穂が食器を片付けようと腰を上げた。


 今しかないと、雅彦は覚悟を決める。


「ちょっといいか?」

 雅彦の言葉に、蓮穂は中腰から座る体制へと戻った。


「はい。何ですか?」

 と蓮穂は真面目に答えてくれたが、華耶はテレビに夢中で聞いていなかった。


「華耶もだよ」

 雅彦が言う。しかし振り向くだけで、華耶はテレビが気になるのか落ち着かない様子だった。


「華耶、テレビ消して」


「うー」

 蓮穂が言い、渋々従う華耶。結局、最後まで華耶をコントロールできなかったなと、雅彦は自虐的な笑みを浮かべた。


 テレビからの映像や音が消え、無音となる部屋。


 蓮穂と華耶、二人の顔を交互に確認してから、小さく息を吐く。


「結論から言う」

 雅彦は切り出してから、目を閉じ少し溜め、

「野村さんが、蓮穂と華耶、二人を養子にしたいと言っている」

 と言った。


 言ってしまった。そう思いながら瞑っていた目を開け、雅彦は二人の顔を見比べる。


 蓮穂は察していたかのような、視線を下げて悲哀に満ちた顔。華耶はポカンとしているというか、無表情のままだった。


 そしてその状態で、

「のむらってだれ?」

 と華耶が言った。


「この前に水野先生と一緒に遊びに行っただろう? その時にいたご夫婦だよ」

 雅彦が説明すると、

「あー」

 華耶は理解したと声を上げる。だがその後、華耶も沈んだ表情に変わった。また、部屋に無音が訪れる。


「俺は、いい話だと思う」

 雅彦が話を再開した。


「野村さんに今子供はいないし、家は小学校の近くで転校もしなくて済む。それに温厚で人当たりもいいし、世間体、経済的にも問題はない。きっとお前ら二人を大切にしてくれるはずだ。向坂さんにも色々調べてもらったし、山岸とは違うから安心して欲しい」

 できるだけ不安を取り除こうと、雅彦は説明した。


 しかしながら、二人は雅彦の目を見ようともせず黙りこくっていた。

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