第43話


 野村夫妻と蓮穂達が会う。


 当日。


 朝早くからバイトへ行った雅彦は、諸々を水野に任せていた。


 早番の時、いつもであれば午後六時に終わると、残業せずにそのまま帰っていた。しかし、今日の雅彦は定時で帰る気が起きず、結局午後八時まで店に残ってから帰宅していた。


 6月17日(日) 17時11分 今、小田切さんの家に戻りました。あと一時間で三葉に戻るので、詳細は後程電話します。


 雅彦は帰宅途中の電車内で、水野からのメールを読んでいた。それから、お礼と今帰宅していると打って送信する。その後、ボーッと何も考えずに車窓から外を眺めていた。


 調布駅に着き、雅彦は改札を出て帰路を辿る。駅前を過ぎた辺りで、ポケットに入れていたマナーモードの携帯電話が振動した。


 雅彦は携帯電話を取り出し、液晶画面に表示されている文字を確認すると、小さく深呼吸をしてから通話ボタンを押した。


「はい。小田切です」

 緊張していたからだろう、雅彦の声はいつもより小さかった。


「もしもし。今よろしいですか?」

 そう、落ち着いた様子で話す声の主は水野だった。


「構いません。今帰宅中なので丁度良かったです。今日一日、任せっきりで本当にすみませんでした。それと、二人の面倒を見ていただきありがとうございます」


「いえいえ。お役に立てたなら良かったですよ」

 雅彦の言葉に、水野は謙遜した。


 そしてその言葉から、会話が止まった。呼吸音だけが雅彦の耳へと伝わる。


「あの」


「えっと」

 二人して同じタイミングで声が重なった。焦りから雅彦の額には汗が滲んだ。


「すみません、どうぞ」

 雅彦が促すと、

「あっ、はい」

 と水野は言い、少し黙ってから話を始める。


「あの、今日あったことをお話ししますね」


「はい、お願いします」


「小田切さんの家で十一時まで過ごしてから、待ち合わせのレストランへ行って昼食を取りました。その後、野村さん、えっと……奥様の方からでしたが、ケーキを作ってあるからということでご自宅に招かれました。ケーキを食べたり、談笑したりしてから、また今度ということでお別れして。メールをした時間に帰宅しました」

 出来事を話し終え、水野の吐息が聞こえる。


「二人はどうでしたか?」

 雅彦が聞くと、水野はうーんと小さい唸り声を出した。


「華耶ちゃんは問題なかったと思います。最後は旦那さんともテレビゲームをして、楽しんでいる様子でしたから。……ただ」


「ただ?」

 水野が言い淀み、すかさず雅彦が聞き返した。


「蓮穂ちゃんがいつもと違ったというか、私の知らない蓮穂ちゃんだったというか」


「どういうことですか?」

 煮え切らない水野の言葉に、雅彦がまた確認した。


「蓮穂ちゃんって、気の利く子で、落ち着いていて、例え嫌なことでも感情を出す子じゃないと思うんです」


「確かに、子供らしくないとは思います」


「そんな蓮穂ちゃんが、あまり笑わなかったし、会話も積極的にしない。勿論、野村さんが不快になるような態度は出しませんでしたが、終始距離を置くような感じでした」


「あの、確か地域ボランティアで顔見知りだったんじゃ?」

 元々知り合いなのだから話が弾むはずだ。と雅彦は思った。


「そうなんですよ。だから私もおかしいなって思って、蓮穂ちゃんに聞いたんです。そうしたら、確かにその通りだと。でも、態度は変わらなくて。奥様がケーキを用意している時とか、いつもの蓮穂ちゃんなら手伝いますって言ってもおかしくないんです。それなのに顔を伏せて微動だにせず。まるで、心ここにあらずでした」

 水野は言い終えてから、息を吐いた。


 小学六年生に何を求めているのかという話だが、蓮穂を知っていればそう言うのも無理はない。


 子供らしくない。


 出来過ぎている。


 ケーキを用意する話を聞いて、蓮穂ならばそうするだろうなと、雅彦も水野と同じことを思ったであろう。だが、結果は違った。


「もしかして、蓮穂は地域ボランティアで野村さんと会う内に、山岸のような人間だと知っていた……とか?」


「うーん。信じたくない話ですね」


「ですよね」

 含み笑いをする水野に、考えすぎかと雅彦は苦笑した。


「私、ずっと考えていたんですけど。これってもしかしたら、良い傾向なのかもしれないって思ったんです」

 水野は納得した感じでそう言ったが、雅彦は意味がわからず言葉が出なかった。


「すみません突然。話が長くなりますけどいいですか?」


「はい」


「蓮穂ちゃんが三葉に来た理由はご存知ですよね?」


「いえ、知りません。それに本人からもあえて聞いていません」


「え? 一緒に暮らしていて、聞かなかったんですか?」

 水野は驚愕している声色だった。


「僕が知りたい知りたくない以前に、蓮穂にとって楽しい話ではないのはわかっていますので、聞きませんでした」

 雅彦が毅然として言う。すると携帯電話越しでも、水野が絶句している様子がわかった。


「なるほど……だから……」

 水野は言い聞かせるように呟いてから、

「理由を話してもよろしいですか?」

 雅彦へ許可を取るように聞いてきた。


 あえて蓮穂からは聞かなかったが、知りたくなかったわけではなかった。


「お願いします」

 雅彦は意を決し返事をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る