元ニート男の複雑な思い

第39話



 気分転換になった。


 

 酔い潰れた日から雅彦は良い意味で吹っ切れた。


 とりあえず今後どうなるかは置いといて、今は一緒に住んでいるわけだから、二人のために生きよう。残された時間が僅かなのであれば尚更だ、と雅彦は開き直った。


 沈んでいた時間を取り戻すように日々を過ごし、あっという間に運動会当日となった。


 朝四時に起き、雅彦は音を立てぬように部屋を出て襖を閉める。顔洗って強制的に眠気を覚ました後、エプロンをして調理器具を取り出した。


 作る品目は、おにぎり、ハンバーグ、唐揚げ、エビフライ、サラダ、卵焼き、あとはウサギの形に切ったりんごである。


 弁当を初めて作るので、どの品目がいいのかわからなかったが、とりあえず二人の好物を入れておけばいいかと雅彦は思った。


 寝る前に唐揚げ用の鶏肉は切って下味を付けており、ハンバーグの肉だねも成形し終え、エビの下処理も終わっていた。


 まずはハンバーグからだなと思い、雅彦は調理を開始した。


 フライパンにサラダ油をひきコンロの火を点ける。フライパンが温まったところで、ハンバーグの肉だねを投入、弾ける肉汁、ジュワーという焼き音が台所に響いた。


 これ、あいつら起きるな。と雅彦は思った。


 しかし、この後揚げ物もやるのでもっと大きい音が出る。今更どうしようもないわけである。雅彦としては、起きないでくれよと思いながら調理を進める他なかった。


 調理開始から一時間が経過。ハンバーグとエビフライの調理が済み、丁度唐揚げを揚げ終えて網付きバットに休ませている時だった。


「手伝います」

 という声が聞こえ雅彦は振り返ると、髪の毛を後ろで一つに束ねた蓮穂がいた。


「すまん、起こしちゃったか。まだ早いし、寝ていていいぞ」

 雅彦は苦笑いを浮かべた。


 大きい音が出たのは調理のため仕方ないとはいえ、蓮穂をこんな朝早くに起こしてしまい、雅彦は負い目を感じた。昔、母親が遠足の弁当を作っている音で起きたことがあり、台所に近寄った自分に困った笑顔を浮かべていたが、正しくその時の母親と同じだと雅彦は思った。


「いえ、私も作りたいですから。やらせてください」

 蓮穂の姿は青白ストライプ柄のパジャマのままであったが、やる気満々の瞳で袖をまくっていた。


「……あ」

 何かに気付いたように蓮穂が声を漏らす。その視線の先は仕上がっているエビフライであった。

 エビフライは蓮穂の大好物である。


「タルタルソースは?」


「もう作ってあるよ」

 雅彦の回答に、蓮穂は軽く拳を握って嬉しそうに笑顔で返す。


 蓮穂が所望しているタルタルソースは、昨晩雅彦が作り終えていた。蓮穂の可愛らしい姿に、雅彦は口元を緩ませた。


「じゃあ、サラダお願いしていい? 材料はそこにあるから」

 どうせ寝る気がないならいいかと思い、雅彦は袋にまとめてある野菜を指さした。

 蓮穂が袋の中を見て野菜を取り出す。


「キャベツ、人参……と。あれですか?」

 蓮穂が材料を出し終えると雅彦に確認してきた。いつものゴマダレサラダだ、と雅彦は頷く。


「華耶も起きるかと思ったよ」


「あの子、一度寝たら中々起きませんよ」


「確かにそうだな」

 雅彦はフッと笑い、蓮穂も微笑を浮かべた。


 蓮穂は手際良く野菜を洗い、水気を取ると切り始めた。


 まな板と包丁が手拍子するような、小気味良い音である。蓮穂は格段に上手くなっている。だが悔しさは微塵もなく、親が子供の成長を見て喜ぶような思いだった。


 雅彦の目尻は自然と下がっており、唐揚げを網付きバットからタッパーに移しているところだった。ふと、野菜を切る音が止まった。


 そして蓮穂は切る構えのまま、

「……あの。何かあったんですか?」

 と言った。


「え?」

 何か……とは?

 意味がわからず雅彦は動きを止めたが、答えは直ぐにわかった。


「小田切さん、最近様子がおかしかったので」

 蓮穂と雅彦の瞳の焦点が合う。雅彦は目を見開いてしまった。


「……え? そう? いつもと変わらんよ」

 雅彦は慌てて目を逸らし、平静を装った。


 ……こいつ、勘付いていたのか。

 と心の中で雅彦は呟く。


 確かに心の整理がままならず、慣れない酒も向坂と飲んだ。しかし、葛藤や不安を見せぬように心掛けていたのに、子供に悟られるとは。と、雅彦は己の不甲斐なさを悔いた。


「私は今、とても満たされているんです。こうなったらいいなっていうことが現実になったというか、上手く言えないですけど、とにかく、満足しています。だから、私じゃ頼りないと思いますけど、料理以外も手伝えることはやりますし、何でも言ってください。これ以上私達のためにあまり無理をしないで欲しいです」

 そう、蓮穂は照れくさそうに述べる。終えると、また包丁を動かし始めた。


 蓮穂は基本的に華耶とは異なり敬語である。だが、まだ小学生で子供だ。ふとした瞬間や日常では、感情がそのまま言葉として出ることもあった。


 しかし今回、蓮穂は準備をしていた。


 感情を整理して、言葉を選んで伝えようと喋った。そんな蓮穂の心遣いに気付き、雅彦は胸が熱くなった。


 蓮穂の頭を撫でてから、

「子供が気を使うなって」

 と言い冷蔵庫へ向かった。


 それから、雅彦が冷蔵庫から卵を取り出していると、蓮穂が嬉しそうにフフッと声を出して笑みを浮かべていた。

「どうした?」


「私、それ好きです。ガキが気を使うんじゃねぇって」


「……好き?」

 雅彦は眉間にしわを寄せた。


 不可解な表情をする雅彦とは対照的に、

「はい。じんわり優しく伝わってくるんです」

 と言った蓮穂は穏やかな顔であった。


「良くわからんな」

 雅彦としては、邪険にしていると思われても仕方のない、ただの照れだと思っていた言葉である。


 ……優しいか?

 と不思議に思っていた。

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