第36話


 鬱屈とした状態のまま、雅彦は三葉児童園まで来た。


 前に向坂と訪れた際に入った、二階建ての家屋の前まで行くとチャイムを押す。バタバタと人が歩く音が聞こえた後、ドアが開いた。


「ごめんなさいね、わざわざ」

 そう言って出迎えてくれたのは藤堂だった。


 雅彦は会釈し中へ入ると、

「お久しぶりです。小田切さん」

 水野がおりお辞儀をしてきたので、それに合わせて返した。


 水野は山岸との一件から、二人の様子を見るため二、三度雅彦の家へ食事をしに来ていた。したがってそこまで久しぶりではないのだが、と雅彦は思ったが気にしないことにした。


 家の中へ入り、用意されたスリッパに履き替える。それから雅彦は藤堂と水野に部屋へと案内された。


 そこは、向坂と一緒に来た際に入った和室だった。


 藤堂が襖を開き、先へどうぞと雅彦に手で合図をする。雅彦が部屋へ入ると、座っていた夫婦が立ち上がってお辞儀をしてきた。雅彦もお辞儀をし、なるべく相手を見ないように顔を伏せたまま対面の位置に座わった。


「お疲れのところ、ご足労をかけて申し訳ない」

 目の前の男性が座り、そう言った。


「いえ、大丈夫です」

 雅彦は何とか笑おうと、口角を無理やり上げた。


「足、楽にしていただいて構いませんよ。こちらもそうさせてもらいますので」

 男性は雅彦に正座を崩すよう促すと、あぐらをかいて座った。確かに流れで正座したものの、長丁場の話になったら耐えられないと思い、雅彦は言われるがまま足を崩した。


 程なくして、水野と藤堂がお茶を持ってきた。それから水野は雅彦の横に、藤堂はその横に座った。


「では改めまして。野村陣八と申します」


「妻の佳代です」

 野村陣八のむらじんぱち佳代かよは交互に頭を垂れた。


「小田切雅彦です」

 雅彦も名乗り、頭を下げた。そして今度はしっかりと野村夫妻を見た。


 陣八は短髪で白髪が所々にあり、目つきは柔らかく、いかにも温厚そうな顔。白いワイシャツの上に緑色のベストを着ていた。


 佳代は、少し茶色がかった髪は肩まで、タレ目で柔和なイメージがある顔つき。紺色をベースにした服装がいっそう落ち着きを感じさせた。


 双方自己紹介も終え、雅彦は失礼しますと一言添えてお茶を飲んだ。


「二人を、引き取りたいとうかがったのですが」

 雅彦はのんびりする気はなかったので、早速本題に入った。


「ええ、はい。そうです」

 陣八が頷いた。


「野村さん、蓮穂とは二年くらい前から知り合いだったみたいなの。課外授業でしたっけ?」


「いえ、地域ボランティアです。妻が最初に知り合いました。それに、ボランティア活動で一緒に行動していたといっても、挨拶や言葉を少し交わす顔見知り程度ですよ」

 藤堂が馴れ初めを言うと、陣八は苦笑しながら訂正した。


 雅彦も当然のことながら、蓮穂がボランティアをやっていることは知っていた。しかも、たまに奉仕活動後に出るお菓子が目当てで、それを華耶にあげることが目的であったこともである。


『不純な動機なんです』

 と言って笑った蓮穂を雅彦は思い出す。その時に、ダメ男に引っ掛かりそうだな、将来男に貢いで苦労しそう。と雅彦は心配したものだ。


 雅彦が思い返している最中も、会話は続く。


 野村夫妻は蓮穂が元々良い子で気に入っており、施設の子と聞いて養子にしようかと話していたらしい。その矢先、山岸に先を越された。


 半年くらいボランティアにも顔を見せず心配していたが、その後蓮穂と再会し、養子縁組が解消し施設に戻ったと聞いてやってきた。という経緯であった。


 雅彦は身体と頭がフワフワしていたが、話は頭に入り自然と会話に参加できていた。


「それに、彼女達のことを聞いて、尚更にと思いました!」

 陣八は表情を引き締めて言った。


 雅彦は言葉の意味を察し、藤堂を見る。藤堂は雅彦の視線に気付くと頷いた。


 とはいえ、いきなりじゃあ養子にというのは話が急なので、まずはお互い顔合わせとして食事をしたらどうか。という結論となった。


 日にちは再来週の日曜と決まり、野村夫妻は深々と礼をして帰っていった。


 どうみても悪人には見えない善良な一般人だ。と雅彦は思った。


 雅彦も帰り支度をするため、野村夫妻を見送った玄関から和室へと戻った。


「わざわざありがとうね」

 和室に戻ると藤堂から礼を言われた。


「大丈夫です。それより、部外者の僕がこんな話に参加していいのかなって……」

 愛想笑いを浮かべる雅彦。皮肉を言うつもりはなかったが、勝手に口から出てしまった。


「あなたがどう思っているかはわからないけど、私はあの子たちを救ったのはあなただと思ってる。山岸から逃げた状態の中で、仮に他の男性に保護されたとしても、山岸と同じ目にあっていた可能性が高いでしょう。無事にあの子たちを保護し、助け出し、今もなお二人の為に身を粉にしている。あなたは、あの子達の行く末を見守る資格がある」

 藤堂は真剣な眼差しで言った。その横にいる水野も、藤堂を肯定するように何度も頷いていた。


 いじけた態度を取っていたことが急に恥ずかしくなり、雅彦は唇を噛んだ。


「偉そうな言い方しちゃったわね。ごめんなさい。要はあなたに知って欲しかったの。それに、あなたのことも心配している」


「僕を心配……ですか?」

 自分の心配をされるとは意外だったので、雅彦は素直な反応を示した。


「ウチの事情で二人をあなたに預けている手前、心配するのは当然でしょう。慎司君から聞いているけど、大分切り詰めて生活しているそうで、本当に申し訳なく思っているわ」


「別に、嫌だとか苦労だとは思っていません」

 雅彦は伏せていた目を上げ、藤堂を見つめて言った。藤堂は雅彦の眼差しから本意が伝わったのか、頬を緩める。


「ありがとう。二人のことを大切にしてくれていることはわかっているわ」

 藤堂はそう言い一呼吸おく、

「でもね、あなたにも、二人にとっても、これは悪い話ではないのはわかるでしょう?」

 そしてまた真剣な表情に戻り続けた。


「ええ」

 雅彦も今度は視線を下げずに頷いた。


「それに、気分を害す言い方になって申し訳ないと思うけれど、経済力がある両親がいるのであれば、それだけ子供の未来は広がるわ。二人はまだ小学生で未来もある。それに、あなたはまだ若い。これからやりたいこと、やれることが出てくる。二人の父親代わりとなって犠牲になることはないわ」

 真っ当な言い分を述べる藤堂であった。


 だが、その言葉が雅彦の心をグサリと刺した。

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