第34話


 卵スープをスプーンで一口味わうと、オムライスを食べ進める。


 雅彦は紅葉の休憩室で昼休憩をとっているところであった。


 昼休憩用に食べる物は基本的に毒島が作った賄いだが、自分で作って食べても問題はない。ただ、余りにも高い食材はダメなので、毒島から材料の使用許可をもらう必要があった。


 今回雅彦は昼食を自作し、卵スープとオムライスを昼食に選んだ。


 卵スープはスライスした玉ねぎとベーコン、卵、コンソメをベースにしたシンプルなもの。


 オムライスは味が薄めのケチャップライスに、中が半熟のオムレツを乗せ、ナイフで切れ目を入れて花を咲かせる、俗に言うタンポポオムイラスである。最後に紅葉特製のデミグラスソースをかけて完成。


 雅彦が紅葉で働き始めてもう大分経ち、皿洗いや野菜の皮むき以外に、少しずつ調理の補佐もやらせてもらっていた。基本的な料理しかできなかった初心者の雅彦だったが、そのお陰でかなり上達していた。


 オムライスといえば、カレー、ハンバーグと並ぶ華耶の三大好物の一つである。

 雅彦の頭に、華耶が口元にデミグラスソースを付けて、美味しそうに頬張る姿が浮かんだ。


 ……明日作るか。


 雅彦はそう思うと自然と笑みが浮かんだ。しかし、突如休憩室のドアが開かれたため瞬時に真顔へと戻した。


「おはよーす」

 入ってきたのは向坂だった。


 なんだ向坂か、と思って雅彦は表情を緩め挨拶を返した。


「休憩中か。美味そうなの食ってんじゃん」

 向坂はバックと衣類をロッカーへ入れると、雅彦が食べている物を舐め回すように見た。相変わらず食い意地張っているなと思いつつ、雅彦はふと時計に視線を移す。


 時刻は午後一時五分。


「いつもより早くないですか?」

 雅彦が聞いた。


 向坂は本日遅番であると思われるが、遅番は午後二時から勤務開始である。元来五分前などギリギリに出勤してくる向坂が、こんなに早く来ることはあり得ないのである。


「んー?」

 雅彦の問いに生返事で返す向坂。


 コックユニフォームに着替え始めた向坂を眺め、雅彦は昼食を続ける。向坂のはやる所作を見て、雅彦は思い当たる節があった。


「もしかして。飯食いたくて早く来たんですか?」


「あ、わかる?」

 雅彦に核心を突かれたのか、向坂は笑って誤魔化した。


「二回食べるつもりですか? 毒島さんにバレますよ?」

 本来食事手当は一日に付き一回であり、勤務開始後の休憩中と決まっているのだ。


「いいのいいの。俺と兼ちゃんとの仲だし」

 雅彦の忠告に対し、向坂は楽観的に返した。


 一方で雅彦は、兼ちゃんって誰だ?

 と、別のことを考えていた。


 ……あー、毒島さんか。名前が兼続かねつぐだもんな。そう合点がいった瞬間、部屋を出ようとする向坂を雅彦の目が捉えた。


「ちょっ、ちょっと待ってください」

 雅彦は咄嗟に声を掛けた。雅彦は寸前で、向坂に話があることを思い出したからである。


「何だよ?」

 ドアノブに掛けていた手を放し、向坂は雅彦へ向き直った。


「あのう……その。何と言いますか」

 雅彦は恥ずかしそうにもごもごと喋った。


「えっと……ですね……」

 引き続き口籠る雅彦。呼び止めてからおよそ十秒は経過していた。


「はよせぇ! オムライス食いたいんじゃい!」

 黙って聞いていた向坂がたまらず声を上げた。怒気はないが、ぐずる子供を叱りつけるような言い方だった。


 雅彦は向坂の態度に覚悟を決め、

「あの! 実は今週の土曜に運動会があります!」

 勢い良く発表した。


「……へぇ。二人の?」

 向坂は雅彦の様に目をぱちくりさせた後、微笑んだ。


「そうです。俺は、行ってもいいんでしょうか?」


「ん? 行きたくないの?」


「行きたくないわけではないです」


「なんだ、その回りくどい言い方。二人が来ないで欲しいとでも言ったのか?」


「……いえ。来て欲しいと言われています」

 昨日、雅彦は華耶に運動会催しの用紙を見せられた。


 運動会を楽しみにして破顔する華耶を後目に、蓮穂は申し訳なさそうに雅彦へ参加をお願いする。雅彦の頭にはそんな映像が再生されていた。


「じゃあ行けば?」

 悩む必要があるのか、と言わんばかりに呆気らかんとした向坂の言い草。


「でも、俺は三葉児童園の職員でもないし、あいつらの親でもないわけで」


「だから?」

 雅彦のはっきりしない態度に、向坂はイラ立ちを隠さなかった。


「行く資格があるのかな……と」

 目を伏せる雅彦に対し、向坂の顔面がピクピクと動いた。


「だぁかぁらぁ! 親なのか職員とか関係ないだろ。今の保護者はお前! 二人はお前に来てもらいたいって言ってるんだよ。そうじゃなかったら香苗先生のところに行くだろうがよ」

 また雅彦を叱りつける向坂であった。


「そう。そう……ですよね」

 向坂に言われ、雅彦は染み込ませるように呟いた。


「じゃ。俺行くぞ」


「まっ、待ってください」

 出ていこうとする向坂を、雅彦が慌てて制止する。向坂は振り返ると大袈裟に雅彦を睨み付けてきた。


 空腹なんじゃ!

 まだあるんかい!

 と向坂の表情が語る。


「俺、その日出勤なんです。向坂さん休みですよね?」


「なるほど」

 向坂は雅彦の言葉の意味を察したのか、表情を戻した。


「シフトを代われ……と?」

 そう半目で言ってきた向坂に、雅彦は遠慮がちに頷く。


「はぁ。嬢ちゃんたちを理由に出されたら断れんわな」

 向坂は大きな溜め息を吐いてからそう言った。


「向坂さん!」

 雅彦は瞳を輝かせて顔を上げた。


 しかしその瞬間、

「明日の夜。ビール三本、から揚げ、枝豆、揚げ出し豆腐」

 と向坂が単語を並び立てた。


 暫しの沈黙が二人を包む。


 恐らく、明日お前んちに行って飲むから用意をしておけ、それが交換条件だ。ということであろう、と雅彦は察した。


「承りました」


「うむ」

 契約が成立すると、向坂は休憩室を出た。


 明日は華耶にオムライスを作ろうかなと思ってたんだけどな、と思う雅彦。しかし華耶が逃げるわけではない、また次があると思い直して昼食を再開した。

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