生活が元に戻ったが……

第31話


 六月始め。春が過ぎ、暖かさから暑さへと移りゆく季節の変わり目。寒さに震えコートを着て出会った三人は、軽装へと衣替えをしていた。



 雅彦の家で同居を再開してから、三ヶ月以上が経過した。



 蓮穂と華耶は小学校にもしっかり通うようになっていた。


 二人とも一学年上がり、蓮穂は六年生、華耶は二年生になった。


 そして、家にこもって暮らしていた以前とは生活スタイルも大きく変わった。


 学校があるので朝食も必要だし、眠くても必然的に規則正しい生活リズムとなった。


 また、掃除、洗濯、買い物、夕飯の準備、アルバイト。羅列すると結構タイトなスケジュールになるが、雅彦は全く苦ではなかった。


 それに朝からアルバイトへ行く時は、蓮穂に買い物や夕飯をお願いすることもあるし、華耶の世話や部屋の掃除はほとんど蓮穂に任せっきりであった。


 なるべく蓮穂の負荷にならないように注意しているが、手伝いを断ると落ち込むし、手伝いは楽しそうにやるし、蓮穂本人も望んでいるようなので雅彦は無下にできなかった。


 午後七時過ぎ。


 雅彦はアルバイトを終えて帰宅する。早番だったので、本日も買い物と夕食の準備を蓮穂にお願いしていた。家の前まで来ると、料理の匂いが雅彦の鼻孔をくすぐり、顔が自然とほころんだ。


「お帰りなさい」

 雅彦が家へ入ると、まず蓮穂が嬉しそうに玄関までやってくる。


「おかえりー」

「雅彦。お疲れさん」

 続いて部屋から声がした。


 そうそう、いつも蓮穂は玄関で迎えてくれるが、華耶はお腹が空いていると部屋から動かないもんな。たまに蓮穂と一緒に玄関で迎えてくれることもあるけどさ。と雅彦は思い返していたが、余計な声があったことに気が付いた。


「ていうか、またいるんですか? 向坂さん」

 部屋へ入った雅彦は、向坂を見つけると呆れた顔をした。


 三人での同居を再開してから、向坂は雅彦宅に週の半分以上夕飯をたかりに来ていた。


「冷てぇこと言うなよ」

 向坂は悪びれた様子もなく口を尖らせた。


 三十半ばで髭面のおっさんが、口を尖らせ茶目っ気を出したところで可愛げもクソもねぇな。と雅彦は嘆息し、手を洗って食卓についた。


 テーブルには芋の煮物、肉豆腐、ポテトサラダが並べられていた。


「おねえちゃん、ごはん」

 華耶が蓮穂に催促する。みそ汁と白米がまだ準備されていなかった。


「はいはい、ちょっと待っててね」

 蓮穂は台所と部屋を忙しなく往復していた。


「ごめん、手伝うわ」


「や。平気です」

 雅彦が手伝おうと腰を上げるが、蓮穂は笑顔でそう答えた。


 まぁ、甘えさせてもらうか。と雅彦は上げた腰を下ろした。


「蓮穂ちゃん、お前が帰って来ないと飯を食わしてくれないんだが、何とかならんか?」

 向坂は頬杖をつき、流し目で雅彦へ訴えてきた。


「俺は待ってなくていいって言っているんですけどね」

 言っても聞かないしな。と雅彦は心の中で付け足した。


 蓮穂は迷惑を掛けることをとにかく嫌う。遠慮するな、雅彦がやるといっても自分で解決できることであれば必ず自分でやる。悪く言えば子供らしくなく頑固だ。


 しかし、相手に負荷や迷惑を掛けて生きたくない、生きられない。彼女の生い立ちがそうさせてしまったのかもしれない。少しずつ自分の欲求を出すことができればいい。小出しにし、甘えてもいいのだと慣れさせよう。と雅彦は考えていた。


「お待たせしました」

 蓮穂が全ての配膳を終え、テーブルについた。


「おいしい」

 早速、華耶は食べ始めていた。


 雅彦も箸を進める。


「うん、美味しい」

 ポテトサラダから始め、芋の煮物、肉豆腐を口にしてから雅彦はそっと言った。


 蓮穂は雅彦の言葉を聞くと頬を赤らめ、

「良かったです」

 と言って恥ずかしそうに俯いた。


 実際、雅彦より和食は上手くなっていた。


 雅彦が不在の時はインターネットでレシピを調べ、図書館で料理本を借りて勉強しているらしい。施設にいた頃から料理を手伝っていたようなので、基礎はできていたのであろう。この数ヶ月でメキメキと上達していった。


「いや、それにしても蓮穂ちゃん。料理上手くなったよな。この芋の煮っ転がしとかいい味付けしてるぜ。おかわり頂戴」

 向坂は芋の煮物を頬張って嬉しそうに言い、空になったお椀を蓮穂へ向けた。


「それ、隣のお婆ちゃんから教えてもらったんです」

 白米を盛って向坂に返し、蓮穂が言う。蓮穂の答えにふーんと思いながらも、一瞬固まる雅彦。そして飲んでいたお茶を少し噴き出した。


「え! マジで? 隣の婆ちゃんに?」

 雅彦は咳き込みながら蓮穂に聞き返した。


「はい。前におすそわけしてもらって美味しかったから、レシピを教えてもらいました」


「あの婆ちゃんに? 嫌味とか言われなかった?」

 平然と答える蓮穂に、雅彦はもう一度確認した。


「いえ。優しいですよ」


「かやも、おかしもらうよ」

 蓮穂はすんなり返事をし、華耶も続いた。


 ええええええ。あのババァ二人のことうるさいとか言ってたじゃん。いつの間に仲良くなってんだよ。と雅彦は動揺していた。


「あの。口に合いませんか?」

 心配そうに蓮穂が聞いてきた。


 雅彦は蓮穂の言葉で我に返り、お茶を一口飲んで心を落ち着かせた。


 それから雅彦は芋の煮物を食べ、

「いや。美味いよ。美味いです」

 と蓮穂へ無理やり笑みを浮かべた。


「妹の交友関係が更新されて不安になったのかな。ね? お兄ちゃん?」

 向坂はケラケラ笑いながら言った。雅彦が睨み付けると、向坂は素知らぬ顔でみそ汁を飲み始めた。


「おねえちゃん、おかわり」


「蓮穂ちゃん、俺もー」


「向坂さん食いすぎ。もうダメ」

 華耶のどさくさに紛れて所望する向坂に対し、即座に雅彦が却下した。


「あー、華耶ちゃんだっておかわりしたのに。差別だ!」


「差別じゃないです。向坂さん、三杯目じゃん。それに、毎回言っているけど食費を入れろ! タダ飯食い散らかして!」


「んもぅ! まさひことこうさか、うるさい! テレビがきこえない!」

 喧しい食卓である。


 蓮穂は二人のお椀に白米を盛りつつ、クスクスと笑っていた。

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