第30話


 向坂は雅彦の頭に手を乗せ、

「あと、こいつの為にもなるのかなって」

 と言った。


「どういう意味?」


「いや、こいつニートでしたから。引き続き二人の為に働いて、真人間になればもっといいかなってね」

 向坂は藤堂の問いに、雅彦の頭をポンポンと叩いて答えた。


 藤堂は、本当にそうなのかと確認するような表情で雅彦を見る。雅彦は向坂の言い草が気に入らなかったのでムスッとしていたが、藤堂の視線に対し渋々頷く。


「はい。そうです」

 改めて自ら言うと、恥ずかしさと情けなさから目を伏せた。


「警察にバレたらアウトなのに匿った。生活費が足りなくなるとニートをやめてまで働き始め、二人が連れて行かれた時はなりふり構わず突っ込んだ。そんな奴です」

 向坂は微笑んでからそう言い、

「もう一度言います。……こいつは山岸じゃない」

 と再び同じ言葉を使った。


 真剣な眼差しに藤堂は嘆息する。そして、小さく唸り声を上げ熟考し始めていた。


「園と関係ないとかさ、そういうのは先生の親戚ってことにすりゃいいじゃん」

 ここぞばかりに向坂が藤堂を落とそうとしたが、

「そんな簡単な話じゃないわよ」

 と言い藤堂は向坂を睨んだ。


「小田切さんは本当によろしいのですか?」

 そう言った藤堂と雅彦は視線が合い、しっかりと頷いた。


 雅彦の対応に藤堂はまた唸り声を上げ、それが何秒か続いたが、大きな息を吐くと向坂に視線を移した。


「わかった。わかったわよ。期間限定ということで、とりあえずはそれでいきましょう」


「わかりました。暫定という形でも構いません。自分もちょくちょく様子を見ますので、安心してください」

 向坂は満足そうに頷いた。


 言いくるめられた藤堂は多少不満そうであったが、雅彦と正対すると深く頭を下げる。


「小田切さん。こんなことをお願いするのはおこがましいですが、どうか二人をよろしくお願いします。当方も善処し、進展があれば随時お話させていただきたいと思います」

 先程まで眉間にしわを寄せていたとは思えないほど、柔らかな表情で藤堂は述べた。


「いえ、こちらこそ。できる限りやらせてもらいたいと思います」

 背筋を伸ばして言うと、雅彦は藤堂に頭を下げた。そして、いえいえこちらこそと、何度か二人してお辞儀のし合いをしていた。


「じゃあ話もまとまったし、解散しましょうか」

 向坂は手を叩いて締めの合図をし、

「俺は先生方を送ってくるから、お前らはここで待機な」

 雅彦にそう言った。


 雅彦は頷き蓮穂と華耶を見ると、藤堂が二人を抱き締めているところであった。その様子に見入っていると、水野が雅彦の横へ来た。


「私もお手伝いできることがあればやりますので、遠慮なく言ってくださいね」

 水野は言い終えると、雅彦に少し顔を向け微笑んだ。


「先生方、行きますよー」

 向坂が玄関で靴を履き、藤堂と水野を呼んだ。


 藤堂は向坂の声に気付くと、名残惜しそうに二人の頭と顔を撫でて立ち上がる。水野もまたねと二人に手を振った。そして雅彦に会釈をし、藤堂と水野は外へ出た。


「じゃあ直ぐに戻るから」

 最後に外へ出た向坂がそう言って、玄関のドアを閉めた。


 ガチャリと施錠された音が鳴り、部屋が静まり返った。


 雅彦は蓮穂達と同じようにソファに座った。


 茶革製のソファにズシンと沈み込む身体。雅彦は背もたれに寄り掛かると、一息ついた。


「ねー。まさひこのいえにきまったの?」

 隣に座っている華耶が絵本を閉じ、雅彦へ聞いてきた。


 今日遊びに行く友達の家で泊まること決まったの?

 と、そんな軽いノリな言い方。雅彦は更に肩の力が抜けた。


「そうだよ。文句あんのか」

 雅彦の言葉は汚かったが、怒気は一切なかった。


「ふぅん。ま、がまんしてやるか」

 華耶は素っ気ない返事をして絵本を開いたが、頬が緩んでいた。


 可愛くねぇガキだなと思いながらも、雅彦は苦笑してしまう。家に居たころのようなやり取りだったので、雅彦はまた安心した。


「この部屋……結構匂うな。お前ら、よく耐えられたな」

 安心したので、雅彦は部屋の異様さに気付いた。


「あ、はい。慣れました」

 蓮穂が乾いた笑みで答えた。


「まさひこのいえも、はじめはくさかったもんね」


「失礼だな。こんなに臭くて汚くはなかっただろ?」


「ううん。きたなかったし、くさかった」

 華耶は鼻をつまんで言い、笑った。


 華耶の遠慮ない態度にも懐かしさを感じ、雅彦は怒る気が全くおきなかった。それすら、嬉しさを感じていた。


「あの、小田切さん」


「ん?」

 ソファの背もたれに後頭部を乗せてリラックスしていた雅彦は、そのまま蓮穂へ相槌をした。


「ありがとうございました。先生からも色々やってくれていると聞いていましたし。何より、その……会いに来てくれましたし」

 蓮穂が必死に言の葉を紡いでいた。その姿に雅彦は自然と笑みを浮かべる。


「結局対処してくれたのは向坂さんだし、俺は何の役にも立てなかった。会いに行ったところで手を怪我して追い返されただけだしな」

 と言って雅彦はハハッと笑った。


 しかし、自虐した雅彦に対し、

「それでも……私は嬉しかったです」

 蓮穂ははっきりと言った。


 咄嗟のことで、雅彦は目を見張る。


 そして、雅彦の中に蓮穂の言葉が染み込んでくるようであった。


 ニートとして生活し、他者と離れ、それでもいいと思っていたはずなのに。


 乾ききっていた大地に、水分が浸透していくような。


 雅彦は己の感情に照れて下を向いた。


「本当に……その……俺の家でいいのか?」

 言い終えた雅彦は蓮穂を見た。


 雅彦の言葉を受けると蓮穂はもじもじしていたが、

「はい。小田切さんが迷惑でなければ……私はそうしたいです」

 そう答えた蓮穂は瞳を逸らさなかった。


 遠慮する癖は相変わらずだけれども、本心で言って選んでくれたと雅彦にはわかる。


「ガキが気を使うな。それに迷惑なんかじゃないよ。また、よろしくな」

 雅彦は蓮穂がしてくれたように見つめ返した。だが、恥ずかしかったので最後に少し笑ってしまった。蓮穂も、雅彦につられて笑っていた。



 それに。雅彦は嬉しかった。


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