第29話


 部屋の奥には蓮穂と華耶、水野がいた。


 台所まで空き缶やゴミが散らばっており、そんな汚い部屋にある大きめのソファに三人は座っていた。


 三人は雅彦達だとわかると、不安げな表情を崩した。


「おかえりなさい」


「とりあえず手は打った。明日次第かな」

 笑顔で近寄ってきた水野に、向坂はそう返した。


「まさひこじゃん」

 ソファから身を乗り出してニッと笑う華耶。その姿は天真爛漫そのものであった。

 と同時に、この邪気がない子供が受けた凄惨な様を思い出してしまう。再び会えた嬉しさと、彼女が受けた苦しみの事実、二つの感情がまじりあって雅彦は奥歯を噛み締めた。


 華耶をまじまじと見ていられなくて、雅彦は目線を外した。しかし外した目線の先には、座っていた蓮穂がいた。顔に痣がある痛ましい姿ながらも、彼女はなぜか微笑んでいた。


 雅彦は咄嗟に手で目を覆った。


 ……涙が滲んでしまったからである。


 鼻を一度すすり、呼吸を整えてから手を離した。


 雅彦の視界には、藤堂が蓮穂と華耶を抱いている姿が映る。よく頑張ったね、と囁きながら二人の頭を撫でていた。


 華耶は何だかわからないけど褒められているから笑っている、といった感じで、一方蓮穂は泣くのを我慢している姿が見て取れた。


「今朝、二人を山岸のところから保護してここに匿ってたんだ。もし二人がいなくなったことを山岸が気付いて、施設やお前んちに行っていたらアウトだろ。俺の家は山岸にバレていないからな。だからここにした。あと、俺一人で保護しに行っても不安だろうから、香苗先生と水野先生にも付き添ってもらったってわけ」

 向坂の補足説明に雅彦は頷き、良かったと自然と笑みがこぼれていた。


「そういえば、二人の今後についてアテがあるみたいな話でしたよね?」

 雅彦はふと思い出し、向坂へ確認した。


「ああ、そうそう。先生方もいいですか? 俺は引き続き雅彦の家でいいかなと思っているんですが、どうでしょう?」

 藤堂と水野に言った後、向坂が親指で雅彦をさしたのとほぼ同時に、

「……は?」

 と雅彦は声を漏らした。


「え? 何言っているの? 慎司君、本気?」


「本気ですよ」

 慌てて確認をする藤堂に、向坂は即座に返答した。


 一同皆目を丸くしている中、向坂一人だけ真顔だった。


「慎司君。それはダメ、いや、無理よ」

 藤堂はそう言い切ってから、

「それに、ここで話すことじゃないでしょう」

 と小声で付け足した。


「いいえ、ここでいいんです。これからのことを当の本人達が蚊帳の外でどうするんですか。子供だからとか関係ありませんからね」

 向坂は強い口調で言ってから、蓮穂と華耶へ目線を合わせた。雅彦や藤堂もその視線を追い確認すると、華耶は絵本に夢中で我関せずであったが、蓮穂はこちらへ向いており、雅彦と目が合うと頷く。それとほぼ同時に藤堂から溜め息も聞こえた。


「話を戻しますが、香苗先生が雅彦を否定されるのもわかりますよ。二十二歳、独身、家は賃貸、収入も不安定。里親になる条件の全てを満たしていません」


「だったら……」


「でも里親になる、養子縁組とするわけじゃない。仮ですが、三葉児童園の別館として扱って住まわせればいい。そして、生活費、養育費などを諸々雅彦にやってもらう」

 向坂は藤堂の反論を遮って提案した。


「そんなの……無理よ」


「例えば他の施設に移ったとしても、そこが快適な場所とは限らない。新しい環境へのストレス、職員による虐待やイジメも少なくない。それは先生もわかっていることでしょう。それに二人の精神状態を考慮すればこれ以上は……と、思うんですがね」

 向坂が畳み掛けていた。効果があったのか、否定していた藤堂は口をつぐんだ。


「蓮穂ちゃんも華耶ちゃんも、雅彦との暮らしに不満はなかったようですし、二人の精神的な負荷を考えれば悪い話ではないはずです」

 向坂の言葉が雅彦は信じられず蓮穂を見るが、目が合うと恥ずかしそうに俯いた。


「でも、小田切さんはまだお若いし。ウチとも関係がないし、理由が……」

 藤堂は引き続き渋った物言いだった。遠慮しがちに返してはいたが、明らかな拒否だと雅彦には感じられた。


「と、先生が困っている中、勝手に話進めてなんだけど、お前は大丈夫だよな?」

 そう聞いてくる向坂に、今更そこを確認するのかと雅彦は思ったが、

「二人が望むなら構いません。とはいえ、園長先生が懸念されるのも理解できます。なので、俺個人の判断でどうするという話ではないかと」

 と、了承した上で判断を委ねる返答をした。


 そもそも、雅彦は向坂に二人のことを依頼した時に、自分はどうなってもいいと伝えている。向坂から指示があれば全て従うつもりだった。



 それに。



「先生が心配する気持ちもわかるよ。でも、こいつは山岸じゃない」


「慎司君。何でなの? 赤の他人の幼い女の子と若い成人男性、一緒に住むことがいいとは思えないし私には理解できないわ。倫理的にもおかしいのはわかっているでしょう?」

 藤堂は眉をひそめながら向坂に言い返した。


「さっきも言いましたが、合理的な話をすると施設の運営的に戻るのは厳しい。他の施設もストレスが掛かるので避けたい。倫理的って仰いましたけど、それを言うなら二人の状況を踏まえると、他の施設や不慣れな場所も今後の人格形成においては、良い環境とは言えませんよね。そうなると極力二人が望み、ストレスが掛からない場所。つまり、雅彦の家となる。まぁ、消去法ですね」

 と言った向坂は苦笑し、更に続ける。


「非合理的、感情的な話をさせてもらうと、華耶ちゃん、蓮穂ちゃん、雅彦の三人で暮らして欲しいと思っているからです」


「……なぜ?」

 藤堂が向坂の言い分に対し、一拍置いて問い掛けた。


「華耶ちゃん。蓮穂ちゃん。二人は雅彦の家でまた暮らしたい?」

 向坂は藤堂には返答せず、ソファに座っている二人に話し掛けた。


 華耶は絵本を読んでいたので、

「んぁ?」

 という生返事だったが、状況を理解したのか絵本を閉じて身を乗り出した。


「かやはいいよ。おねえちゃんもいっしょだよね?」

 華耶は満足そうに口角を上げていた。向坂はうんうんと頷いて、勝手に親指を立てる。


「私は……」

 蓮穂は即答せず、雅彦の顔を見た。雅彦は蓮穂がまた遠慮しているのかと思い、少し呆れながらも頷いた。


 蓮穂は雅彦の所作を確認するとはにかみ、

「私も、小田切さんのところで暮らしたいです」

 と言って首を縦に振った。


 表情から遠慮せずに本音を言ったと、雅彦にはわかった。そして蓮穂の返答を受け表情を変えなかったが、内心、雅彦は拒否されずにホッとしていた。


「と、本人達が希望しています」


「でもねぇ」

 向坂は二人の返答を受けて意を伝えるが、藤堂はやはり難色を示した。

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