第28話
雅彦は両拳を握り締め、向坂を見る。
「向坂さんのやり方、理屈ではわかってます。これがテレビのドキュメンタリーを見ているんだったら、良かったじゃんと思っていたかもしれません」
「うん」
向坂が小さく相槌し、雅彦は続ける。
「無料でやってもらった上に、何もできないから頼んだ手前こんなこと言うのはおかしいかもしれません。だけど……」
「いいよ。言って」
雅彦が言葉を詰まらせ躊躇っていると、向坂は促してきた。
「俺は無理です。二人がこれから痛めつけられるのをわかっているのに、我慢するのは無理です。方法として、記録として必要だからって。やっぱり納得はできないです。無理です……絶対に!」
雅彦は身体の奥底から感情を吐き出した。雅彦の言葉につられ、藤堂は更に嗚咽していた。
それから一分程度無言が続いた。
「お前の言う通りだな。俺が悪い」
向坂がポツリと言った。
向坂もわかっていたのだとは思うが、改めて被害を与えてしまった事実を認識し、反省しているように見受けられた。非を感じている相手にこれ以上責めても仕方ないと、雅彦はひとまず留飲を下げた。
「それに向坂さんは本当にいいんですか? 山岸にも言っていましたけど、あいつが向坂さんを殺しに来る可能性だってありますよね?」
「優しいじゃないの」
向坂は落ち込んだ表情だったが、そう言うと少し口角を上げた。
「いや、真面目に言っているつもりです。いくら何でも向坂さんが危険です。警察に……」
「そりゃ無理だ」
諭すように言う雅彦を向坂は遮った。
「お前に準じて真面目に話をさせてもらうわ。まず、山岸に行った諸々のこと、不法侵入、盗撮、恐喝、等々は当然犯罪。だから警察に保護を要請することはできない。そもそも、望んでやったことだ。お前がさっき言ったこと、嬢ちゃん達を敢えて傷付ける方法でしかやれなかったこと。山岸への追い込みも、やり方も、リスクを承知で俺が選んでやったんだよ。全部ひっくるめて俺の業ってわけ。それに私情も加味しているから、お前が気を揉むことじゃない。心配してくれてありがとうな」
向坂は喋り終えると、自嘲的な笑みを浮かべた。
「っし。そろそろ行きますか」
両膝を両手でパンッと叩き立ち上がると、向坂は勢い良く言った。
もう話は終わりだ、そう言ったように雅彦には思え、食い下がって話を続けることはやめた。
「行くってどこに行くんですか?」
「そりゃあれだよ。先生もいつまで泣いているんですか。行きますよ」
「そ、そうね。ごめんなさい」
向坂に宥められ、藤堂は鼻をすすってから何度も目元をハンカチで拭った。
「あれってどこですか?」
「行きゃわかる」
だからどこだよ。と内心聞き返したが、結局向坂は答えないのだろうなと思い、雅彦は口を結び部屋を出る準備を始めた。
三人揃って事務所を出た後、向坂は近くのコインパーキングに車を停めているからと、道を誘導しながら歩いた。
それからコインパーキングまで四、五分、向坂は停めてあったミニクーパーの前で止まった。
「先生は後ろで、お前は助手席な」
向坂は車のロックを外し、運転席を倒して後部座席への道を作った。藤堂が後部座席に座ったことを確認すると、雅彦には助手席側へ行けと手で払った。
「車、持ってたんですか?」
雅彦は指示通り助手席に座り、シートベルト着用すると向坂に聞いた。
「通勤で使ってるからな。知らなかった?」
「初耳です。ていうか車を持っていたなら、前に三葉児童園へ行った時に乗せてくれれば良かったのに」
「いやいや。車より徒歩の方が時間取れるし、あの時はゆっくり状況を聞きたかったからな。時間の有効活用だよ」
雅彦の嫌味に対し、向坂はフッと笑いそう言った。
向坂はシートベルトを着けてからエンジンをかける。アクセルを踏んでゆっくりとコインパーキングを出ると、鶴川街道方面へ進んだ。
雅彦は前の車両のテールランプをぼんやり眺めていたが、ふと車内の時計に目を移した。
時刻は、午後十時十四分だった。
調布に到着してから僅か二時間か。と雅彦は思う。
まるで現実感がない。思い出したら吐き気と怒りが込み上げてくるのに、見てきたことが嘘だったのではという気持ちもある。それ程までに信じ難く、激しく精神を摩耗させられた濃密な時間だった。
藤堂も明らかに憔悴しきっていたため、事務所を出てからほとんど言葉を発していないし、結局、車が発進してから目的地に到着するまで誰も喋らなかった。
車は鶴川街道を多摩川方面へ進み、三葉児童園も通り過ぎて多摩川原橋を渡った。
渡ってから河川敷に沿って走り、右に曲がって住宅街に入る。住宅街に入ってから少しすると、とあるアパートの駐車場に車を駐車した。
「着いたよ」
向坂はそう言って降りると運転席を倒し、藤堂が降りられるように誘導した。
雅彦はシートベルトを外し、助手席から降りてアパートを見た。
暗くて色などはわからなかったが、駐車場がないだけで雅彦が住んでいる木造アパートに似ている、と雅彦は思った。
「こっちです」
向坂は車をロックすると、アパートの階段を上がった。
雅彦と藤堂も向坂についていき、階段を上がって通路一番奥のドアの前で止まると、向坂はポケットから鍵を取り出した。
「ここって、もしかして?」
「そう、俺んち」
向坂は雅彦の言葉に間断なく答え、ドアノブの鍵穴に鍵を入れて回した。解錠される音を確認すると向坂はドアを開ける。
中は明かりがついていた。
向坂が家の中へ入ると、雅彦と藤堂も続いて入った。
向坂の家の間取りは雅彦の家と似ていたが、台所と部屋の境となる扉や襖がなかった。
したがって、家に入った瞬間に部屋全体が丸見えだった。
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